004 独白

 目覚めてから数時間……いや、一時間程度か。空は相変わらずの鉛色で、雨が止む気配はない。


 けれど、時計の針以上に体感はながい時を刻んでいたのだと、温かい飲み物を口にして深く椅子に腰掛けたその時に思い知らされた。


 指の一本、動かすのさえ気だるい。この感覚は、久々だった。



異崩者エトランゼ――わたしたちのように、別の世界から来た人間をそのように呼称するそうよ」


「エトランゼ……」



 正直なところ、喫茶店の椅子ではなく、マットレス上で横になって話を聞きたい。が、少女……ユズキと名乗った優柔不断そうな彼女は俺の心情を察してはくれない。



「驚かないの? わたしもきみとおなじ異崩者エトランゼなんだけど」


「まあ……二人目だし」


「二人目?」



 あくびを噛み殺しながら、どこかへ消えてしまったあのチャラ男を思い出す。



「今のところ、この世界にはそのエトランゼしかいないような気がする」


「そんなことないよ。いっぱいエトランゼがいたら、この世界のパワーバランスが崩れちゃうでしょ?」


「なるほど」



 詳しく聞く必要もない。むしろその手のジャンルにおいて、ある種のお約束というかテンプレというか。


 どうやらこの世界でもその法則は変わらないらしく、異世界転移者はチート能力持ちが多いらしい。


 と、そこまで考えて。


 俺はいったい、どんな能力があるのだろうか。


 今のところ、開花した形跡はどこにもないのだが。



「おーい? 眠たいの?」


「いや、すこし疲れただけだ」


「まあ、それは仕方ないか。わたしも三ヶ月前は、いろいろパニクったし」


「三ヶ月前に飛ばされて来たのか?」


「うん。師匠が魔法をしくじらせたみたいで。気がついたらわたし、師匠の家の天井をぶち破ってソファに落っこちててさあ。あの時の、驚いた顔の師匠は今でも忘れられないよ」



 なぜだか、その光景が鮮明に思い描けるぞ。あまり詮索すると話が終わる気がしないので、苦笑いで受け流す。



「ユズキは召喚されたのか」


「偶然の産物……らしいよ。そもそも、師匠は亡くなった親友の魂を冥界より呼び出して、女体の擬人体ホムンクルスに定着させた後でたっぷり楽しむ手筈だったみたい」


「相当な変態だな、おまえの師匠」


「エグめのTSモノ結構好きだから、わたしは師匠を応援したよ。六人の錬金術師トモダチを呼んで、誰が一番最初に妊娠させるかを競う……名付けて性姦戦争――」



 とても聴いていられない言葉がその後も続き、話が軌道修正されるのに十分ほどの時間を要した。


 その後も、特に聞いていないのにペラペラと必要な情報とそうでないものを羅列するユズキ。相当おしゃべりが好きなようだ。


 ともかく、一時間ほどかけて俺は諸々の言葉と状況を飲み込んで。


 やはり俺は、日本とは別の……《レーヴ=デジール》と呼ばれる異世界に漂流したことの再確認と。


 

「元の世界の戻り方? うーん、あるかもしれないけど……別に探そうとは思わないな。だって、向こうより今の方が楽しいじゃん?」



 目の前の女子高生……冒険者ユズキ《Lv.102》は頼れなさそうだ、ということ。



「ユウキは戻りたいの? わたしは、まあそのうち戻れる方法を見つけるかな。そんで、向こうの世界とこっちを行き来するの。できれば異世界にずっといたいよ? だって学校とか就職とかめんどくさいし? 親もうるさいし友達も少ないし。でもでも、唯一の未練は……えへへ。彼氏、かな? まだ付き合って一週間で、手さえ握ったことないけど、ずっとずっとずっと好きで……大好き。だから、彼をこっちの世界に連れてくるために、わたしは帰る方法を探すかな」



 おそらくユズキという少女は、一種のテーマパークという感覚で視ているのだろう。


 だから、死体を見ても驚かないし、彼氏に会いたいという欲求よりもまだ遊んでいたいという欲求が勝つ。


 経験談から言って、こういうタイプは平気で浮気する。彼氏側からしてみれば最悪のクソ女だが、遊ぶ分にはちょうどいいタイプ。



「ねえねえ、だからさあユウキ。しばらくわたしと一緒に行動しな――」



 と、その時だった。


 町全体に響き渡る警笛。なにか嫌な予感を彷彿とさせるその音に、ユズキはわずかに頬を綻ばせた。



「魔物の襲撃だ。普段は滅多に訪れないイベントだけに、ちょっとワクワクしちゃう」


「行くのか?」


「うん! ユウキはここら辺で待ってて! すぐ戻ってくるからっ」



 血相を変えて非難する異世界人とは裏腹に、ユズキだけは娯楽施設を遊びまわるようなノリで喫茶店を出て行った。


 ここら辺で待っていて、と言われてもな。


 

「……そういえば、あの子はどこ行ったんだ?」



 森の中……転移する直前までは、握っていたはずの大鎌少女。この町に到着してから、忽然と霧のように消えてしまった。


 目を瞑っていたあの一瞬で、俺の元から消えたのだ。けれど、近くにいるのはわかる。なんとなく、彼女の気配を感じる。



「探しに行くか」



 思えば、彼女にも聞いておかなければならないことがたくさんある。むしろ、こっちの方が重要なのかもしれない。


 気怠さを引きずって、俺は椅子から立ち上がった。



「マスター。俺の財布が魔物を狩り終わったら、代金を支払うよ」


「あいよ」


「すまん」



 慣れたもんだと言わんばかりに、落ち着きを払った姿勢でマグカップを拭く喫茶店の主人に礼を言って外に出る。


 町の入り口の方で、黒と白の光が飛び交った。ユズキの魔法が炸裂しているらしい。他にも、衛兵らしき影が複数人見える。


 

「さて……こっちの方か」



 微かに感じる紫色の気配をたぐり寄せるようにして、俺は閑静な町を歩き始めた。





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