第9話 ハンカチ

私も布施君も休まずに部活に来たが、その後は何の進展もなく夏休みが終わった。私は電話番号すら聞けなかったが、神崎さんが布施君の携帯番号を教えてくれた。もしもの時に連絡し合えるように部員全員が電話番号を登録することを神崎さんが部長として提案してくれたのだった。


連絡事項はLINEで十分だったが、布施君に電話番号すらきけない私への神崎さんの配慮だった。神崎さんは「あきらめちゃ、ダメ」と私をこっそり励ましてくれた。何も進展がなくて私が気を落としているのは、神崎さんにも白浜さんにもバレていた。私は恥ずかしかったけれど、先輩2人に感謝した。


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9月になって最初の月曜日。掃除当番がみゆきと一緒になった。布施君とみゆきの関係が気になってモヤモヤしていた私は、とうとうみゆきに直接きいてしまった。カマをかけてみたけど、みゆきは布施君はただの友達だと言った。


そのうえ私に、布施君が好きなら相談に乗るとまで言われた。みゆきに布施君への想いを自分でバラしてしまった。でも、口がカタイみゆきなら他言しないだろう。ほんとうは、みゆきがバラしてくれてもいいと思った。それで私から布施君への想いが伝わるなら。もしかしたら布施君との関係が進展するかもしれないと思った。


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9月も3週目を過ぎた。私と布施君の距離は4月の頃と何も変わっていない。


一緒に美術部で絵を描いてるだけ。クラスでは2人で話すことはほとんどなかった。でも、私の布施君への想いはつのっていった。泣きたくなるくらい悲しくなった。


布施君のことを思うと、しめつけられるように胸が痛くなった。何度も布施君に電話しようと思ったけれど、1度も電話できずにいた。



9月の4週目。私と布施君は1年1組の花壇の手入れをしていた。


私は4月に2人でベゴニアを植えた時のことを思い出していた。ベゴニアの花言葉は、「片想い」「愛の告白」「親切」「幸福な日々」。今思えば、これはみんな布施君がみゆきに寄せる想いだったのだろう。


自分より10cmも背が高い女子を布施君が好きになるハズないもんね。小学校の時だって、電柱とか登り棒とか、男子にヒドイあだ名で呼ばれたし。最初から私を好きになってくれる男の子なんているハズなかったんだ。


みゆきは布施君よりちょっと背が低い。並んで歩くとお似合いだ。みゆきの髪は布施君が好きな長くて茶色のふんわりウェーブ。気さくで明るくて、誰とでも話ができるみゆきがうらやましかった。



私はみゆきになりたかった。私がみゆきだったらよかったのに。


神様にそんなことをお願いしたって叶うはずがない。わかってる。



私って、ほんとバカみたい。自分で勝手に都合よく解釈して喜んだりして。布施君に想われてるかもなんて、一瞬でも思った自分が恥ずかしかった。そして悲しくなった。しゃがんで草取りをしながら涙がこぼれそうになった。


7月下旬から伸ばし始めた髪は、まだ肩より少し下までしかなかったが、それでも、髪で隠れて横顔を見られないことがせめてもの救いだった。布施君が好きと言ったから伸ばし始めた髪がこんなふうに役立つなんて、なんて皮肉なの? あふれた涙がぽたぽたと手の甲に落ちた。



私はいろんなことが頭に浮かんできて、ぽろぽろ泣きながら草取りした。布施君は黙々と花壇の雑草を抜いたり、枯れた葉を取ったりしている。私の想いはちっとも布施君に通じてないじゃないの。神様の嘘つき。



「相馬さん。僕、今月末に転校することになった」


作業する手を止めずに布施君が突然言った。


「え?」


私はもう涙で顔が濡れていて、布施君の顔を見ることができずにいた。


「来年の春まではいられると思ったんだけどな。今回は1年半。早すぎだよね」


布施君は立ち上がって腰を伸ばした。


「転校って・・・? どこに?」


私は涙目になってるのも忘れて布施君を見上げた。


「鳥取県。遠いよね」


布施君は快晴の空をまぶしそうに見上げている。


「うそ。そんな。急に転校だなんて」


私は今までのめそめそした気持ちも吹き飛んでしまっていた。


「いつも急だから。仕方ないよ。先生にはさっき言ってきた」


布施君が私を見てちょっとさびしそうに笑った。


私は何も言えなくて、布施君が言った言葉を頭の中で繰り返していた。布施君が転校? 今月末に? 鳥取に? 思いもよらないことだった。


布施君は花壇の花をじっと見つめていた。

今の花壇にはキク科の薄紫色の花が咲いている。


「半年間だったけれど、相馬さんと一緒に絵が描けて楽しかったよ」


布施君が言った。


私は何も言えずにうつむいて、あとからあとから涙があふれてきた。そんな。そんな急に転校だなんて。布施君が遠くにいっちゃうだなんて。そんなのイヤだ。絶対イヤ。神様の嘘つき。私の想いは通じないままなの?声を出さないように、泥だらけの軍手のまま必死に口を押さえて泣いた。


「相馬さん。顔、泥だらけだよ」


布施君が私の顔をのぞきこんで笑った。


「え? あ、イヤだ」


私は急いで花壇のそばにある水道で顔を洗った。

泥は落ちたけど、涙は止まらなかった。


「大丈夫?」


布施君が真っ白いハンカチを差し出してくれた。

私は一瞬戸惑って布施君の顔を見た。


「あ、これは新品だから。気にしないで使って」


その大きめのハンカチは本当に真っ白でシミひとつなかった。


「オヤジから言われてハンカチはいつも2枚持ってる。1枚は自分用に、もう1枚はもしものときにヒトに貸してあげられるように。だから、このハンカチは使ってない」


「ありがとう」


私はハンカチを受け取って顔を拭いた。なんだか恥ずかしかった。


「あ、これ、明日、洗って返すね」


畳んでポケットに入れようとしたけど、また涙が溢れてきて、ハンカチで拭いた。新品のハンカチは、顔を拭いた水と涙と鼻水でもうぐっしょり濡れていて、私は、水道でハンカチを洗って、また顔を拭いた。


「1枚じゃ足りないね。これからは3枚くらい持ち歩かないと」


布施君が笑った。布施君のこんな素敵な笑顔を見たのは初めてかもしれない。



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つづく。

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