第3話 志郎の絵
ある日、リサから電話があって、志郎の絵を見たいと言ってきた。リサは私の2歳上のイトコで、その頃は中2。私の2歳下の小4のルミの姉だった。リサは中高一貫の女子学園の美術部に所属していて、自宅でも絵を描いていた。
志郎に話すと、はじめはためらっていたが、リサに絵を見せることを承諾した。志郎が持参したスケッチブックは3冊あった。1冊目と2冊目に目を通したリサは唇に人差し指をあてて考えていたが、ひとつうなずいてスケッチブックを閉じた。
「志郎くんは絵が上手だね。才能あると思うよ。私には描けない絵だね」
リサは感心して言った。ほめられた志郎はちょっと照れて嬉しそうに笑った。
「シーちゃんにはゆとりがあるからね。ね、リサ。前にそう言ってたよね?」
ルミはひとりで納得したようにうんうんとうなずいている。ルミも志郎をシーちゃんと呼んでいた。
「そんなこと言ったっけ?」
リサがまた唇に人差し指をあてて斜め上を向いて考えている。端正な横顔だと私は思った。
「言ったよ。前に。シーちゃんが街や建物の絵ばっかり描いてるって話したとき」
ルミが不満そうに言った。
「ああ、あれね。あれはね。ゆとりじゃなくて、ユトリロみたいだって言ったのよ」
リサが思い出して言った。
「ユトリロ? それ画家の名前なの?」
私はリサにきいた。ルミは話がわからないらしく私とリサを交互に見ている。
「モーリス・ユトリロ。フランスの画家よ。パリの街並みや教会の建物なんかをいっぱい描いてるわ。自画像もあるけど、ほとんどがそういう絵よ。ネット検索すると街路の絵がいっぱい出てくるわ。画家としての才能は素晴らしいけれど、本人はあまり幸せじゃなかったかもしれない。日本の美術館でも見られるわよ」
リサの説明を聞いていた志郎は何を思ったのか、ちょっと寂しげに目を伏せた。
「ユトリロに影響受けて、街の絵をいっぱい描いた日本人画家で佐伯祐三って人がいてね。その人も体が弱いっていうのか、精神を病んでいてね。30歳だったかな。若くして亡くなってる。私の好みとはちょっと違うけど、とても素晴らしい画家よ」
リサは誰に説明しているでもなく、夢見るような目でスラスラとしゃべった。
しかしリサは志郎が元気をなくしてる様子を見て、何か気づいたように付け加えた。
「あ、でもユトリロは長生きしたのよ。アルコール依存症だったけど、70歳くらいまで生きたと思う。20世紀前半の人だから長生きよね。お酒を飲まなきゃ、もっと長生きしたかもしれないわ」
リサは3冊目を1枚ずつ丁寧にめくって見始めた。猫の絵がいっぱい描いてあった。ほとんどがウチのクロだったが、他の猫の絵もあった。又飼い猫がいるのだろう。
「ふーん。猫が好きなのね。フジタみたい。上手ね」
リサがまた感心して言った。
藤田嗣治のことを言っているのだろう。私は藤田の絵は絵画展で見たことがあった。リサはフジタのことは説明しなかったが、志郎は藤田嗣治の猫の画集を持っていた。以前にそれを持ってきたことがあり、私と志郎とで見たことがある。「猫の本」というそのまんまタイトルの楽しい画集だった。志郎はその本は自分の宝物だと言っていた。
リサは自分が描いている絵の話はしなかった。志郎の絵をほめて、それだけで帰っていった。ルミはウチに残りたがったが、宿題が残ってるとかで、リサに手を引っ張られて帰っていった。ルミは姉に強制されないと宿題をやらなかった。
「シーちゃん、やっぱ、絵、上手だってよ。リサが言うんだからホントだよ」
「そうかな。僕はただ街並みや建物が好きなだけで。人物画は自信ないんだ」
「でもうまいよ。コレって川越? キレイだよね」
「それはこっちに来てすぐの頃、家族で行ったときに描いたんだ」
「猫の絵もうまいよね。あ、これは三毛猫だよね。ウチの猫じゃない」
「ああ、そうだよ。その猫は最近ウチに来るようになったんだ」
「ミーちゃんって呼んでる。あ、ごめん。猫に同じ名前付けちゃって」
「いいよー。そのミーちゃんも可愛がってあげてね。なんか嬉しいな」
私が笑うと、志郎もちょっと照れ笑いした。
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つづく。
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