第2話 黒猫
転勤が多い志郎の家はペットを飼えないらしく、ウチのサドを可愛がってくれた。はじめの頃、ご飯をもらいにくる黒猫がウチの猫だとは知らず「クロちゃん」と呼んでたそうだ。サドより誤解のない良い名前だと思い、サドはクロに名前を変えた。平凡だが見た目そのままだし、サドは自分がどう呼ばれようと気にしないようだった。
以後、ウチの黒猫は「クロ」と呼ばれることになった。母は自分で「サド」と名づけておきながら、ただ「ネコ」としか呼ばなかったから、サドがクロに名前を変えても、前と同じように「ウチのネコはどこ?」と言っていた。クロはウチと布施家に又飼いされていたが、他の家でももらい食いしていたようだった。
そのクロの日常に異変をきたす事件が起こったのは、志郎が引っ越してきて2ヶ月もたたない頃だった。近所の猫がウチの前の道路で車にひかれて死んでしまったのだ。家族会議でクロは家から出さないことに決まった。クロは軟禁されることになった。
志郎にそのことを話すと、クロに会いに行ってもいいかと真剣な顔できいてきた。私はもちろんOKした。それから志郎はウチによく遊びにくるようになった。
クロの部屋飼いが決まったのはちょうど夏休み前、梅雨明け頃のことだった。友達がいなかった志郎は、クロに会えなくなったことが寂しかったのだろう。
女の子の家に遊びに行っていいかきくことは勇気がいったことだろう。それくらい志郎は夏休みを1人で過ごすことが寂しかったのかもしれない。
夏休みに入ると、志郎はしょっちゅうウチに遊びに来た。そしてクロと遊んで帰った。クロは今までの自由気ままな暮らしができないことに不満を持っている様子だったが、志郎が来ると毎回喜んで出迎えた。ウチよりずっと志郎に可愛がられていたのだろう。
ねてる時は私が呼んでもしっぽで返事するだけだが、志郎が来ると起きて出迎えた。志郎はひとしきりクロと遊んで、また明日も来ていいかときいて帰っていった。母は志郎をシーちゃんと呼ぶようになり、イトコのルミと同様家族扱いするようになった。
志郎は私をはじめ名字で呼んでいたが、クラスのみんなが「みゆき」と呼んでいるので、自然と私を「みゆきちゃん」と呼ぶようになっていた。
志郎がクロに会いにウチに来るようになってから、母がシーちゃんと呼んだので、私もいつの間にか志郎をウチではシーちゃんと呼ぶようになった。私がシーちゃんと呼んでいるのに「みゆきちゃん」では呼びにくいと思い、ウチでは私をミーちゃんと呼んでもらうことにした。ただし「シーちゃん」「ミーちゃん」はウチの中だけでの呼び名だった。
帰りが一緒になって2人きりになったときは、その呼び名になることがあったが、学校や他の友達がいるところでは決してその名で呼ぶことがないよう気を付けた。これは志郎が真剣に念を押してきたことで、私と志郎の約束だった。
志郎は夏休み中、3日にあけずクロに会いに来たが、ルミのように予告もなしに突然来ることはなく、事前に約束するか、そうでなければ来る前に電話してきた。私の家に通いつめてることは家族以外誰にも知られないように気を配っていて、私にも口外しないよう頼んだ。志郎は私との噂をたてられることを心配していた。私は気にしないが、変な噂をたてられて私に迷惑をかけたくないと志郎は言った。
さいわい、志郎が私の家に出入りしていることは誰にも知られることがなかった。私は志郎と学校でも話をしていたが、お互いの関係を知られないよう気をつけていた。学校でプライベートな話はしなかったし、ごく普通の必要な会話しかしなかった。
志郎が来ているときに、突然ルミが来ることがあり、志郎はルミとも面識があった。ルミは誰とでも話すが学校では有名人だったので、志郎はルミが来ると帰っていった。私はルミに志郎がウチに来ていることを口止めした。ルミは特に理由をきかなかった。地味で無口な志郎に対して、ルミは何の関心も持たなかったらしい。
志郎に興味がなかったルミだが、ある日志郎が忘れたスケッチブックを見たことがあった。志郎の趣味はスケッチだったのである。クロをスケッチするために、志郎はスケッチブックを持ってきて、何枚もスケッチすることがしばしばあった。
ルミは志郎のスケッチブックをパラパラとめくっていたが関心はなさそうだった。私も一緒に見たが、ほとんどが猫の絵だった。以前に志郎が見せてくれた何冊かのスケッチブックには、街路や建物の絵ばかり描いてあって人物画は1枚もなかった。
ルミに話すと、その話を姉のリサにしたらしい。リサは志郎に興味を持ったらしく「その人ゆとりがあるみたいだって。リサがそう言ってた」とルミが報告してきた。ゆとり? 志郎にゆとりがあるって? 私はルミの報告がさっぱり理解できなかった。
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つづく。
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