第7話 雅美の初恋
離れに戻ると、秋田先輩と村瀬先輩はもうすっかり準備が出来ていて、二人で楽しそうに朝のコーヒーを飲んでいた。もうまるで新婚夫婦みたいに。雅美は起きてまだ時間が経っていないみたいで、セミロングの寝癖を直していた。
私:「ただいまー」
マリ:「ただいま帰りました」
秋田:「おかえり。2人で朝の散歩?」
村瀬:「あら、仲いいのね」
雅美:「私だけおいてくなんて、ひどいぞー」
私:「だってアンタ、さっきまでヨダレたらして熟睡してたんでしょ?」
マリ:「起こすの、気の毒でしたから」
いちおう準備が整った雅美が近づいてきて言う。
私と同じで昨日と同じ服だ。
雅美:「ちょっとマリ。いつからみゆきといい関係になったのよ?」
マリが私のほうを見て目をパチパチしてる。
私:「いい関係って、アンタ、まだ寝ぼけてるの?」
雅美:「マリ。バージン仲間のみゆきと朝からナニ話してたのよ?」
マリ:「秘密です」
雅美:「生意気な小娘め。白状しろ。」人差し指でマリのオデコをちょんと突いた。
私:「ちょっと、マリをいじめないでよ。 それに、バージン仲間ってナニ?」
雅美:「そのまんまの意味だけど」
私:「いいかげん、そういう言い方やめなよ。自分だって経験ないくせに」
雅美:「わたしはあるぞ。途中までだけど」
マリ:「え? 途中までってなんですか?」
私:「マリは知らなくていいの。さ、そろそろ朝食に行こ」
朝食は7時半からだった。
私たち5人は昨日と同じ、母屋のほうに歩いた。
秋田先輩と村瀬先輩は私たち3人の少し前を手をつないで歩いている。
違うのは二人とも今日は洋服に着替えていることくらい。
他は昨日の夕方と同じだ。
雅美はまだ私とマリの朝の散歩が気になるらしく、しつこく聞いてきた。
雅美:「ねー、みゆき。マリと何を話したのよ」
私:「いろいろよ。マリにも悩みがあるのよ」
マリ:「みゆきさんにいろいろ聞いてもらいました」
雅美:「あたしには話せないようなこと?」
マリ:「そうですね。雅美さんにはちょっと」
雅美:「ナニ、ナニ、水臭いじゃない。アタシとマリの関係なのに」
私:「だから、いろいろあるんだって。ね、マリ」
マリがコックリうなずいた。
雅美:「ははあ。あんたたち、そっち系に目覚めたか?」
マリ:「わたしとみゆきさんは百合じゃありません」
雅美:「はあ~。女同士の友情なんて、薄情なもんだね」
マリ:「そんなことないです。雅美さんはとっても面白い人ですよ」
雅美:「まあ、今日はいいや。いつか話してよね」
母屋に着くと昨日と同じ場所に朝食が用意されていた。おばさんに朝の挨拶をする。先輩たち二人には自家製パンと自家製チーズ、自家製玉子のオムレツが用意されていた。私たち3人は和食にしてもらってたので、雑穀ごはんと納豆と味噌汁の定番メニューだった。
朝食を終えて帰り、雅美が言った。
雅美:「ここにいると別世界だよね。なんか時間が止まっているみたい」
マリ:「そうですね。東京の雑踏がウソみたいです」
私:「東京はいつも人が多いもんね。みんな忙しそうだし」
雅美:「ここにずっといたい気もするけど、やっぱり、退屈するだろな」
マリ:「慣れればそうでもないかも」
私:「私たちはお客様だからヒマだけど、仕事は忙しそうだよ」
雅美:「そうだね。なーんにもしない生活なんてすぐ飽きるな」
マリ:「たまに来るからいいんですよ」
先輩二人は相変わらず仲睦まじく恋人つなぎで前を歩いている。
雅美:「はー。いいな。先輩たちはー」
マリ:「ずっとラブラブです」
私:「そうね。女同士のほうが気持ちが通じるのかもしれない」
雅美:「みゆきはどう? 恋愛したい?」
私:「さあ。どうかな。今は他にやりたいことがいっぱいあるから」
マリ:「そうなんですか?」
雅美:「みゆきは海外留学したいんだってさ」
マリ:「そうなんですか? みゆきさん」
私:「まあね。でも長期は無理そう。できても1年の語学留学くらいかな」
マリ:「どこの国に行きたいんですか?」
私:「どこでもいいのよ。日本語が通じない外国なら」
雅美:「みゆきは異文化の中にひとり身を置いてみたいって言うんだよ」
マリ:「外国でひとり暮らしですか?」
私:「海外旅行するのと、そこに住むのとじゃ、全然違うらしいからね」
マリ:「なんとなくわかります」
私:「日本にいると自分の価値観が絶対みたく感じる。ソレっておかしいでしょ?」
マリ:「たしかにそうかも」
私:「外国人と話すと自分が考えてるのと全然違う価値観を感じることがあるの」
雅美:「うん。バイト先で外国人の子と話してるとそう感じること、時々あるな」
私:「でしょ? だから、日本とは全然違う文化圏の外国で暮らしてみたいの」
マリ:「日本人がいない外国のどこかってことですか?」
私:「そう。大都会には外国でも日本人がいっぱいいるから外国でも田舎がいい」
雅美:「へー。日本にいても外国の子と話せばいろいろ面白いけどな」
マリ:「みゆきさんはきっと『異邦人』になってみたいんですよね?」
私:「そうかもね。日本てさ、息が詰まりそうな空気があるじゃない?」
マリ:「そうですね。空気を読めとか言われます」
私:「常識ってその地域限定の共通の価値観だと思うの。でもそれは絶対じゃない」
雅美:「常識は絶対じゃないってことか」
私:「言わなくてもわかりあえるっていうのは、グローバルスタンダードじゃない」
マリ:「コミュニケーションの話ですか?」
私:「人間同士のコミュニケーションは、会話やボディランゲージが必要でしょ?」
雅美:「なるほど。言わなくても空気読めよ。ていうのは、常識じゃないのかもね」
マリ:「自己表現できないとコミュ障になりますね」
私:「それを自分で体験してみたい。そのためには日本にいたんじゃだめだと思う」
雅美:「みゆきはいろいろ考えてるんだなー。さっすが哲学者」
私:「そんなんじゃない。私はいろんな人と出会って話してみたいだけ」
マリ:「そうですね。『井の中の蛙大海を知らず』じゃ、だめですね」
雅美:「マリはすぐにヒトに感化されるんだなー」
マリ:「違います。みゆきさんが言ってることは一理あると思っただけで」
雅美:「まー。ヒトそれぞれでいいとアタシは思うけどな」
私:「雅美の言うことも正しいと思う。マリはマリで自分の考えを持てばいい」
マリ:「そうですね。わたしも自分の頭で考えます」
そんな話をしながら私たちは離れに戻った。
帰り支度を整えて、先輩たちとも話して、10時頃に出発することに決めた。おばさんに電話で伝えると10時過ぎに送迎バスを出してくれることになった。電車は10時30分発のがあるそうで、出発までまだ1時間ほど時間がある。私たち3人は、暑くなってきたけど東屋で時間をつぶすことにした。
日差しが強いせいかアサガオがもうしぼんでいる。ミンミン蝉も鳴いている。
マリ:「しぼんじゃいましたね。アサガオ。」 マリがさびしそうに言う。
私:「そうね。でも、また明日の朝には新しいつぼみが開くよ。 マリ」
マリの肩にそっと手をふれると、マリがうなずいて微笑んた。
雅美:「なんだー? アサガオに2人だけの秘密があるのかー?」
マリ:「はい。秘密です。ね、みゆきさん」
雅美:「まさか2人でベロチューじゃないだろうなー?」
私:「そんなワケないでしょ」
マリが口を押さえてクスクス笑ってる。
ヒマワリは朝と変わらず大輪の花を空に向けて咲いている。
マリはまぶそうにヒマワリの花を見上げている。
お兄さんのことを思い出しているのかもしれない。
東屋に3人で座った。ひなたは暑いが日陰は涼しい。
マリ:「雅美さんは恋愛経験あるんですよね」
雅美:「あるよ。バッチリ」
私:「ナニ、そのバッチリって」
マリ:「聞かせてもらっていいですか? 今後の参考のために」
雅美:「いいけど。まじめに聞きなよ」
マリ:「わたしはいつでもまじめです」
雅美:「コホン。じゃ、まずは初恋の話から」
私:「『まずは初恋の話から』って、なんか恋多き女みたいな言い方ね」
雅美:「ちょい、そこ。バージンのみゆきは黙ってなさい」
私:「バージンは余計でしょ?」
マリがまたクスクス笑ってる。
雅美はいつになくまじめに話し始めた。
雅美:「アタシが高2とき、西村イツキっていう子と同じクラスになったの。イツキは数字のイチに輝くって書くんだけど、そんなことはまあいいや。高1のときからその子のことは知ってたんだけど、話したことはなかった。クラスが違ってからね。アタシは1組でイツキは6組。教室も離れてたから。高2のクラス替えで同じ1組になって、席が隣になって、それからよく話すようになった」
私:「なんか普通でしょ?」私はマリに言った。
雅美:「ちょっと、そこ、うるさい」雅美はまじめだ。
雅美:「イツキは勉強はできたけど、体育はあんまり得意じゃなかったみたい。アタシは勉強はまあまあだけど、陸上部でバリバリやってて体育は得意だった。イツキと親しくなってから宿題教えてもらったり、試験のヤマ教えてもらったり、二人で話すことが多くなった。イツキは物理部だったんだけど、部活のほうはあんまし熱心でもなくて、アタシがトラックを走ってるのを見てたりした」
私:「前置きはそれくらいにして、本題に入りなよ」雅美がにらんだ。
雅美:「で、さ。アタシ、告白されたんだ。イツキから」
マリ:「わ。どんなふうにですか?」マリが身を乗り出してきた。
雅美:「トラックを走ってる棚橋のことが1年の時からずっと好きだったって」
マリ:「え~。胸キュンです」
雅美:「その頃のアタシは、真っ黒に日焼けしてて、髪はウルトラショートで、得意種目は地味な3000m。自分のことをずっと見ていてくれてる男子がいたなんて、考えたこともなかった。だから、イツキに告白されたときはすごく嬉しかった」
マリ:「そうなんだ~。ずっと雅美さんのことを想ってたんですね」夢みるマリ。
雅美:「アタシは嬉しくて、すぐにOKした。それから、何度かデートもした。遊園地とか水族館とか。カフェで話したり。まあ、高校生がふつうに行くとこにね。イツキはまじめで、体に触ってくるようなことはないし、手も握ってこなかった。スキンシップしたかったアタシとしては、ちょっとさびしかったかな」
マリは真剣に身を乗り出して聴いている。
雅美:「でね。ある日、イツキの部屋に行ったの。その日は、イツキ以外の家族が留守で、アタシとイツキの二人きり。アタシちょっと期待しちゃって。日曜の午後だったんだけど、遊びに行く前に新しい下着に着替えたんだ。勝負下着ってヤツ? 本気だったのかな?」
マリの目が期待でキラキラしてる。
雅美:「水曜日から試験だったから、試験に出そうなとこを二人で勉強するつもりだった。最初の1時間くらいはふつうに勉強してたんだけど、ちょっと休もうってことになって。ベッドに座ってペットボトルのお茶飲んでたの。二人で並んで。そしたら、イツキが、アタシに抱きついてきたの。で、いきなりキスされた」
マリが口をおおって目を見開いている。
マリ:「ふ、ふれんちきす? ですか?」
雅美:「そ。ベロチュー。イツキが舌入れてきたの。」
マリはもう自分がキスされてるみたいに顔を赤くしている。
雅美:「それから、ベッドに押し倒されて、キスしながら、服の上から胸を触られた。アタシは、期待してたはずなのに気が動転しちゃって。それだけじゃなくて、イツキはアタシの首にキスしながら、アソコにも触ってきた。まあ下着の上からだけどね。アハ。アタシ、いつもはジーンズなのに、その日は気合い入れてスカートだったんだ」
マリ:「それで、それから、どうしたんですか?」
雅美:「イツキがアタシのパンツの中にまで手を入れてきて、指で触られちゃった。でもイツキも初めてだったんだろうね。アタシのパンツを脱がそうとするんだけど、うまくいかないの。パンツ脱ぐ時ってお尻の方から脱がないとうまくいかないじゃない?イツキはそれを知らないから、前から脱がそうとしてうまくいかなかったのよ」
マリ:「それで? それから?」マリの目がうるんでる。
雅美:「二人でベッドでゴソゴソしてたら、家族が帰ってきちゃったの」
マリ:「は~。バッドタイミング」マリがため息をついた。
雅美:「予定より早かったらしくて、イツキはパニック起こしてさ。アタシはアタシで飛び起きて服のシワをなおしたり、顔がほてってるのが気になってほっぺたさすったり。でもさ。その時、思った。オトコってやっぱり怖いって。部活で鍛えてたつもりだけど、イツキの力はすごく強かった。男が本気だしたら、アタシが抵抗してもかなわないって」
マリ:「でも、雅美さんは期待してたんでしょう?」
雅美:「そうなんだけどイザとなると怖気づいちゃった。逃げ出すように帰ったよ」
雅美は照れ隠しなのか恥ずかしそうにうつむいた。
私:「家族は、特にお母さんは絶対気づいたよねー」
雅美:「たぶんね」
マリ:「それで? それからどうなったんですか?」
雅美:「次の日からイツキと気まずくなってさ。イツキは謝りたかったんだろうけど、アタシが避けるようになっちゃって。イツキはアタシに嫌われたと思ったんだろうね。そのまま卒業まで、ほとんど話すこともなくて、よそよそしいまま終わっちゃった」
マリ:「はあ。そうなんですか」マリが残念そうに大きなため息をついた。
雅美はうつむいたまま何も言わない。泣いてるわけじゃないけどしょんぼりしてる。この話、私は何度か聞いて知ってたけど、雅美はこの話をするといつもちょっと落ち込む。本当はイツキのことが好きだったんだろうな。よくある話だと思うんだけど。雅美は、ああ見えて乙女なのだ。
しばらく3人ともしんみりしちゃって、ミンミン蝉の鳴き声を聞いていた。
マリは何を考えているのか、遠くのほうを見ている。
私:「あ、もうそろそろ戻らないと」9時半を過ぎていた。
私たちは東屋を出て、一旦離れに戻った。それから、先輩たちと一緒に荷物を持って母屋のほうに向かった。先輩二人は相変わらず楽しそうに話しながら歩いていたが、私たち3人は黙って歩いた。マリも何を考えてるのか何も言わない。
雅美の恋愛経験は、たぶんイツキだけだ。私はちょっと心配している。イツキとのことが雅美にとってトラウマになっているかもしれないから。
つづく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます