※※

「と、いうわけで、来ちゃった」

「『と、いうわけで』って、お前なぁ……」


 木剣を肩に預けるように持った安湛あんじんは、呆れたように声を上げた。


「確かに俺は『人目につかねぇ所で、またじっくり鍛錬しようや』って言った。言ったさ。言ったけどなぁ、お前……」


 四方を建物に囲われた中庭には、黄季おうきと安湛しかいない。完全に人目がないせいか、安湛の口調も纏う空気も、『さい校尉』から『ばん道場の大師兄』に戻っている。


 そんな『兄』としての顔のまま、安湛は黄季に小言をこぼした。


「俺が非番かどうかも確かめず、いきなり屋敷に押しかけてくるってどーなのよ?」

「ごめん。でも俺、軍部に顔出しなんてできないし」

「まぁ、そりゃそーだけどもな」


てい師父には、「彩陳さいちん通りから一本裏に入った、前庭に銀木犀が入った屋敷に行くと言っていた」と、伝えてください。多分それで通じます』


 乱寂らんじゃく比翼に言伝ことづてを頼んだ黄季は、王城を抜け出し、安湛の屋敷を訪れていた。ちなみにこれが初訪問であるのだが、安湛が言っていた通り近場にそれらしき屋敷はここしかなかったので、黄季は迷うことなく安湛の屋敷に辿たどり着けている。


 安湛の指摘通り、安湛の都合を確かめずにいきなり直接屋敷を訪ねる形になった黄季だが、幸いなことに安湛は非番で、たまたま屋敷にいた。唐突な黄季の訪問に目を丸くした安湛だったが、追い返すことなく屋敷に招き入れ、今もこうして鍛錬の相手をしてくれている。


「んで? お前んトコの上官の相方が上官を裏切って敵に回り、上官はそのことにもその他のことにも疲弊していて、上官を慕ってるお前の相方も元気がないって話だったか?」


 雑談を振りながらも、安湛は再び木剣を構えた。同じ形で構えながら、黄季は安湛の問いに答える。


「そう」


 同時に踏み込み、手にした木剣を安湛に向かって振り下ろす。だが黄季の木剣は安湛にフワリといなされた。


 その勢いに振り回されることなく、逆に流された勢いを利用してフワリと身を翻した黄季は、二打目を安湛に向かって叩き込む。


「おまけにその諸悪の根源になってる敵が、ものすっごく強くて」

「そんなにか」

「そう。呪術的には泉仙省せんせんしょうの総力で挑んでも勝てるかどうか分からなくて、武術的には俺がコテンパンにされたくらい」

「そりゃ強いな」


 前回顔を合わせた時には、状況が状況だっただけに互いに近況を語り合うこともできなかった。


 今もこうして互いに木剣を握り合っているわけだが、その合間合間に雑談程度に黄季の来し方は説明している。


 もちろん話せない部分も多々あるわけだが、安湛は何となくその線引きを察して有耶無耶にした部分はそのまま飲み込んでくれているらしい。


 ──本当は、根掘り葉掘り、色々問いただしたいんだろうけども。


 何せ安湛が鷭道場を離れて九年近くが経っている。その間に黄季は身内全員を亡くし、たった十歳で大乱後の混乱の中に放り出された。かつて黄季の保護者の一人だったことを自覚している安湛としては、自分が鷭道場を離れてからの九年間が気にならないはずがない。


 そうでありながら黄季の事情を汲んで、何でもなさそうな顔で黄季に合わせてくれているのが、いかにも安湛らしかった。


 ──そういや安湛さん、俺が泉仙省にいるってことも、今日気付いたみたいだし。


 前回、奇襲とも言える形で一戦を仕掛けた時は、松明と星明かりしか光源がない闇の中だった。黄季の服装を詳細に判別することは安湛にもできていなかったのだろう。


 今日、表門で黄季と顔を合わせた安湛は、唐突に現れた黄季に驚いた後、黄季が退魔師として仕官していたことにも驚いていたようだった。


『あぁ! あの天女みたいなド美人、お前の相方だったのか! いやぁ、いきなり目がくらんだと思ったらお前はいなくなってたし、何かその直前に天女の幻を見たような気がしたし、一体どうなってんのかと思ったんだよな、あれ』


 ──そこまで驚いていながら、一切詳細を調べようとしなかった辺りも、何だか安湛さんっぽいや。


 安湛側から下手に接触をはかれば、軍部が黄季に……元五獣ごじゅう筆頭らん家直系最後の生き残りにして『鷭の麒麟児』と呼ばれた存在に気付く可能性は少なからずある。


 そこを危惧してあえて放置していたというのもあるのだろうが、安湛のことだ。『元気に生きててくれやそれでいい』『何か俺に頼りたいことができたら、黄坊なら頼りに来てくれんだろ』と、豪放磊落な性格のままに放り出していたに違いない。


「その敵、得物が大剣なんだけど。大剣のくせに、機動は匕首ひしゅを握ってた俺よりも早くて」

「はぁ?」


 打ち込みを続けながら、黄季はさらに言葉を続ける。黄季の言葉も太刀筋も余裕で受け止めながら、安湛は頓狂とんきょうな声を上げた。


「どうなってんだ、それ」

「とりあえず隙を衝いて懐に入ったら、相手が反対の手で握ってた匕首でブッスリ」

「はぁっ!?」

「あ、大丈夫。この間安湛さんに奇襲かけた時よりも前の話だから」


 さらに続いた言葉にギョッと目を剥いた安湛が一瞬剣先を躊躇ためらわせる。そんな安湛に『心配無用』と告げながら、黄季は容赦なくその隙に攻め込んだ。だがようやく入るかと思った一打は、安湛が無意識に繰り出した一打に黄季の体ごと弾かれる。


 ──ちょっ!? 今までメチャクチャ手加減してたんじゃんっ!?


「大丈夫っておまっ……怪我した状態で俺とあんな打ち合いしたっつーのかよっ!?」


 宙で体を丸めてクルリと回転し、猫のように身軽に着地する。そんな黄季に安湛は動揺を露わにした顔を向けていた。今にも木剣を放り出して駆け寄ってきそうな安湛に、黄季はハタハタと目をしばたたかせてから慌てて両手を振る。


「あ、だっ、大丈夫っ!! 医局の呪術医官の先生に治してもらってて、あの時点で完治してたからっ!!」

「完治って……!」

「ほんとほんと! 医療呪術ってそーゆーもんなのっ!」


『ちゃんとあの奇襲も先生の許可を得た上でのものだから!』と慌てて付け加えると、安湛はようやく前のめりになっていた重心を元に戻した。それでもまだ安湛の顔には心配そうな表情が浮いている。


 ──そうだよなぁ……。呪術に馴染みのない人からしてみれば、これが普通の反応だよなぁ……


『黙ってた方が良かったかなぁ』と一瞬反省した黄季だったが、かく永膳えいぜんの強さを分かりやすく説明するにはこの話をするのが一番手っ取り早い。何よりこの話は、これから切り出す『本題』にも繋がってくる。


「もしかして、黄坊。お前が俺に接触してきたのって……」


 その『本題』を、安湛は黄季が切り出すよりも早く覚ったようだった。渋い顔をしたままの安湛は、物言いたそうな瞳を黄季に据えている。


 これ以上の前置きは不要、と判断した黄季も、構えを解くと真っ直ぐに安湛を見つめ返した。


「うん。何とかして、その敵に俺の攻撃が入るようにしたい」

「……逃げるってのも、立派な戦術だって、大乱の時に俺は学んだわけなんだが」

「ちょっと、逃げられない事情があって」


 安湛の言葉に、黄季は思わず苦笑を浮かべる。


 確かに、絶対に勝てない相手であると分かっているならば、『争わない』という手段を取るのも一手だ。命がかかった実戦であるならば、その選択はきっと正しい。


 だがこの一戦だけは、どうあっても『逃げ』は選べない。


 黄季が郭永膳を相手に逃げを打つということは、何もかもを投げ出して負けを認めるということだ。氷柳ひりゅうの相方の座も、退魔師として背負った民草の命も放り出し、全面降伏するということに他ならない。


 そんな道は選べない。選びたくない。


 ──国が焼かれて、何千何万という民の命が奪われるってことも問題だけども。でも。


 あの人が自分に差し伸べてくれた手を、自分から振りほどくような真似は、何があってもしたくない。繋がった手を、誰かに断たれることも許せない。


 今の黄季は、そんな感情が自分の中にあるということを、自覚してしまっているから。


 だから。


「……泉仙省を裏切った、上官の相方だった人。退魔師としての俺の、第二の師匠でもあったんだけども」


 黄季はそっと視線を伏せながらも、真正面から安湛に悩みの種を告げた。


「その人が、言ったんだ。『今のお前じゃ相手に剣の切っ先は届かない』って」


 あの業火の中で、貴陽きようははっきりと黄季に言った。今のままでは、黄季は永膳に勝てないと。


 ──そんなこと、俺が一番よく分かってる。


 永膳に己が握った匕首の切っ先が届かなかったあの時から、考えない時はなかった。退魔術でも武術でも劣る自分が、少しでも牙を研ぐにはどうすれば良いのかと。


 今の戦局で『足を引っ張らないためには』なんて、消極的な考えのままでいては、それこそ周囲の足を引っ張ることになる。何でもいいから、自分自身で打って出られるくらいの手段が欲しい。


 ──ちょっと前まで、自分のこと『落ちこぼれ』とか言ってた俺が、こんなこと思うなんて、烏滸おこがましいことなのかもしれないけれど。でも。


 そんな自分自身に自嘲の笑みさえ浮かばないくらいに、心の底から痛切に打開策が欲しい。


「……黄季、お前、泉仙省で振るってるのは紫鸞しらんか?」


 ギュッと体の横で握りしめた拳が震える。


 そんな黄季に、真剣な声音になった安湛が言葉を向けた。一段低くなった声に弾かれたように顔を上げると、片手をあごに添えた安湛が声音同様に真剣な表情で何かを思案している。


「えっ、ううん。さすがにあれを常時持ち歩いてると、色々マズいし……」

「お前の得物は剣じゃないのか?」

「最近は護身の意味も込めて、匕首を持ち歩くようになったけど……」

「は? 紫鸞も黄鵠こうこくも使ってないのかっ!?」


 安湛はひっくり返った声とともに目を丸くする。その反応に思わず黄季は目を泳がせた。


『黄鵠』というのは、次兄・青燕せいえんの遺品となった弓の銘だ。鸞家であった時代から代々の当主に継承されてきた宝剣である『紫鸞』、高弟達に預けられ、当代は大師兄であった安湛と次期当主であった長兄・紅兎こうとに託されていた夫婦剣『天鴦てんおう』と『地鴛ちえん』、その三剣と並ぶ鷭家の名宝として数えられていたのが弓の『黄鵠』である。


 ──いや、ね……。確かに紫鸞も黄鵠も、結果的に俺が継承することにはなったけど、でも……


 黄鵠は一般的な弓よりも張力が強く、弓自体の重さも重い。鷭道場でも使いこなせていたのは、父と青燕くらいだった。黄季だってまともに扱えるようになったのはここ数年のことである。


 だがそんな事情以上に、黄季は感情面から黄鵠を得物に選ぶことができずにいた。


 ──だって黄鵠は……


 青燕の遺品、なのだ。


 青燕とともに出兵し、青燕の亡骸の代わりに戻ってきた。黄季の中では今でも、あの弓の主は青燕だ。


 大乱前から継承者が黄季とされていた紫鸞は、自分の剣として振るうことができる。だが黄鵠を己の得物として扱うことに、黄季の中には違和感があった。


「お前、泉仙省じゃ後衛担当って言ってなかったか? 剣より弓の方が遠距離で攻撃が届くし、向いてるだろ」

「それはまぁ……そうなんだけども」


 さらに言えば、貴陽から学んだ戦い方が飛び道具と相性が悪い、というのもある。


 貴陽から学び、黄季が修めた『戦い方』というのは、ザックリと言ってしまうと『呪力を流し込んだ武器で相手の退魔術を物理的に叩き斬る』というものだ。飛び道具に力を込められるならば、攻撃術で苦心したりしていない。


 ──いやまぁ、俺が攻撃術を苦手にしてたのは、心理的な面も多々あったわけだから、そこまで言っちゃうのは暴論なのかもしれないけども。


「まぁ、お前にも色々と抱えた事情はあるんだろうが」


 黄季が言葉に出さずとも、色々と思い悩んでいることは安湛にも分かったのだろう。視線を泳がせたまま何とも言えない表情をしている黄季を見据えて腕を組んだ安湛は、キッパリと言い切った。


「その上で言うぞ。お前の考えは甘い」

「うっ」

「何をおいても降したい敵がいるなら、なりふり構ってる場合じゃねぇだろ。使える手は全部使え。十全な装備を揃えるより前に己の無力を嘆くなんて、片腹痛ぇにも程があんぞ」

「うぇ……ごもっともデス……」


 安湛の言葉に、黄季は心持ち姿勢を正した。武術面からこうしてお叱りを受けるのは、大乱勃発以来初めてのことかもしれない。


 ──ド正論が耳に痛い……


 この指摘は安湛が武人としての立ち合い方を知っていて、かつ武器を握っていたかつての黄季を知っているからこそできるものだ。氷柳や慈雲じうんが口にする指摘とは視点が違う。


「あとな。お前自身がどう思ってるかは知らねぇけど、お前は剣よりも弓の方に才覚があると俺は思う」


 そんな安湛からの言葉を素直に受けるべく、黄季はグッと奥歯に力を込めて顔を上げた。安湛も安湛で真正面から黄季のことを見据えている。


「あのまま大乱が起きてなかったら、お前は十歳で軍部に連れてかれることが決まってた。だから先生達はひとまずお前に剣を教え込んだんだと思う」


 そのまま視線同様に真っ直ぐに注がれた言葉に、黄季は無言のままパチパチと目を瞬かせた。反射的に口をついて飛び出しかけた言葉はあったが、ひとまずここは安湛の言葉を聞くべきだと判断した黄季はキュッと唇を引き結んで安湛を見上げる。


「お前は昔から、武芸ならどんな技でも、どんな武器でも使いこなすことができた。だがやっぱり、その『できる』の精度には差がある」


 かつて大師兄として黄季の指導にもあたっていた安湛は、黄季の才をよく知っている。良い部分も、悪い部分もだ。


 九年の空白があろうとも、その事実は変わらない。黄季の素地が九年の間に安湛の評価を違えるほど変わることもないはずだ。


「お前の天分は、剣よりも弓だ。青燕もそう言っていた」


 自己評価ではない己の評価に、黄季はひとまず無心で耳を傾ける。


 だがその一言には、思わず声が漏れていた。


「青兄が?」

「おうよ。ちなみに俺もそう思ってるぜ」


『この間の一射で分かった。軍部にも弓でお前に勝てるようなヤツはそうそういねぇよ』と、安湛は不敵な笑みとともに告げる。その言葉にも表情にも、末弟の成長を誇らしく思う感情がにじんでいた。


 ──青兄が、安湛さんにそんなことを言ってたなんて……


 黄季の剣の師匠は父と紅兎だが、弓の師匠は青燕だった。今でも黄季は弓の使い手として、青燕の右に出る人間はいないと思っている。


 ──そんな青兄が、俺のこと、そんな風に評価しててくれた、なんて……


 初めて、聞いた。


 次兄は優しい人で、特に黄季を可愛がってくれた。だが極端に寡黙な人でもあったから、直接口を開くことも稀だった。


 ──直接、教えてくれたって、良かったじゃん……


 黄季、と。


 普段は表情があまり出ない目元をフワリと緩めて、低く穏やかな声で名前を呼んでくれた声を覚えている。大きくて分厚い手で、優しく頭を撫でてくれた温もりを覚えている。


 そんな兄から、直接その言葉を聞きたかった。


「黄季。そんな青燕は弓が得物だったわけだが」


 思わず、ジワリと涙腺が緩む。


 そんな黄季に気付いているのか否か、表情を改めて安湛が言葉を投げた。


「青燕が近接戦をどうやってこなしていたかは、知ってるか?」

「え? 弓本体を鞭を扱う要領で使ってたんじゃないの?」


 記憶を辿るまでもなく、黄季はほぼ反射的に答えていた。


『武芸百般指南道場』の看板の通りに、鷭道場では様々な武具の取り扱いを教えていた。その影響なのか七人いた兄達は皆、得意とする武術が違っていた。


 だがその中でも遠距離使用の武器を得意としていたのは、弓を得物としていた青燕だけだった。剣や棒と違い、弓は間合いの内に入られてしまえば威力を発揮できない。護身や立合に使うには不向きな武器だったが、青燕は弓以外の武器を滅多に握っていなかった。


 ならば青燕は常に誰かの後方支援のみに徹していたのかと言えば、そうではない。何なら青燕は単身前線に置かれても弓だけで戦える武人だった。


 ──そういう意味で、黄鵠の重さは役に立つんだよな。


 弓の射程より内に入られてしまった場合、青燕は弓本体を鈍器として使用していた。一度、護衛任務帰りの青燕が暴漢に絡まれている場面に行き合ったことがある黄季だが、いつになく暴力的な青燕の立ち回りに驚きで固まった覚えがある。


「まぁ、それもあるんだがな。青燕は体術の名手でもあったんだわ」


 黄季の言葉にひとつ頷いた安湛は、続けて黄季に投げた問いに対する答えを口にした。


「黄季、お前、覚えてるか? 紅兎や橙旺とうおうは外に出る時に剣をいてたし、萌牙ほうがは全身暗器で武装してた。緑亥りょくいだって矛代わりに鉄扇くらい持ち歩いてた。だが青燕は基本いつも手ぶらだっただろ」

「……言われて、みれば?」


 都の外れに位置する鷭道場周辺は、都の中心部より治安は良くない。おまけに貴人や商隊の身辺警護などの仕事を請け負うこともあった鷭家の高弟達は、何かと敵対しがちな破落戸ゴロツキ達から恨みを買いやすかった。その関係もあって兄や父、ついでに母達も屋敷の外に出る時には万が一に備えて武器を携帯していたような覚えがある。


 そんな中、言われてみれば青燕だけが武器を持ち歩いている様子がなかった。町中で争いになった時に弓では周囲を巻き込むことになるからかと思っていたが、それならば代わりの武器を用意すれば良かっただけだ。丸腰のまま出歩いていたのは、思慮深かった青燕らしくもない行動だったと言える。


「鷭家の人間はな、得物の弱点を埋めるべく、組み合わせるためのふたつ目の武芸もミッチリ修めるんだよ。青燕は弓という得物の弱点を埋めるべく、超近接戦に特化した体術も修めてたってわけだ」

「組み合わせる?」

「おうよ。お前、鷭家の剣術にやたら余白があるって感じたことはねぇか?」


 安湛の言葉に、黄季はハタハタと目をしばたたかせた。


「余白?」

「そ。技と技の間に、妙な空白があるというか。『ここを詰めりゃもっと効率良くね?』みたいな間」

「ある、と、言えば、ある、かも……?」


 とはいえ、その余白に別の武器で繰り出す技を詰める、というのはどうなのだろうか。


 ──そもそも、そんなこと可能なのか?


 言われてみれば確かに、紅兎は剣と棒の両方に秀でていたし、四兄の緑亥も矛の腕ばかりが注目されていたが、同じくらい鉄扇の扱いにも長けていた。五兄の萌牙は暗器に分類される物なら何でも扱えたと思う。そこにそれぞれ剣の腕もあったのだから、全員数種類の武具の扱い方を心得ていた、というのは事実だ。


「鸞っつーのは、風を司る神獣だ。型にまらずに変幻自在に、状況に応じて臨機応変にっつーのの、ま、一種の最終形態って感じだと、俺は解釈している」

「安湛さんも、そういう立ち回りができるの?」

「おーよ。俺は剣と棒……ま、基本的にゃ紅兎と同じ系統だな」


『正式な立ち合いじゃ邪道だから使えねぇけど、実戦……しかも大乱みたいな乱戦の中じゃ、かなり世話になったよ』と続けた安湛は、一瞬だけ何か苦い物を飲み込んだような顔をしていた。


 そんな表情を意図してかき消した安湛は、木剣を取り上げると何とも言えない表情で黄季を見つめる。


「話が長くなったが、ま、そういうこった。弓を得物に選ぶことに何か難があるなら、剣と弓を組み合わせるっつーこともお前にならできるんじゃねえかっつー、俺の一意見だな」


 ──組み合わせる……


 考えたこともない発想だった。


 確かに後翼である黄季には、剣よりも弓の方が汎用性があるのかもしれない。剣も併用できるならば、今までの戦い方も活かすことができる。


 ただ、


 ──弓と俺の退魔術を組み合わせるには、どうしたら……


「と、いうわけで、俺からお前にちょっと渡したいモンがある」


 安湛の言葉に、黄季は思わず考え込む。


 そんな黄季に安湛は脈絡もなく言葉を投げた。『え?』と顔を上げた時には、すでに安湛は木剣を片手に身を翻している。


「ちょっ!? 安湛さんっ!?」

「すぐ戻るから、そこで待っててくれ」


 ヒラリと肩越しに片手を振ったの安湛は、黄季を放置して建物の中に入っていく。思わず片手を伸ばしたまま固まった黄季は、その背中を見送るしかない。


 ──いや、自由人すぎる!


『そんなトコも変わんないなぁー』と黄季は思わず呆れてしまう。多分軍部でもそんな風のような気性を部下に慕われているのだろう。


 そんな呆れとも感慨とも言える感想を胸中で噛みしめていると、安湛はヒョコッとすぐに戻ってきた。


「ちょっと、安湛さ……」


 すかさず黄季は文句を言おうと口を開く。


 だがその言葉は安湛が手にしている一振りの剣を目にした瞬間消し飛ばされた。ヒュッと鋭く息を呑む音が、どこか遠くから聞こえてくる。


「安湛さん、それ……」


 鞘もつかも真っ黒なこしらえ。飾り気のない細身の剣は、安湛の腰にある真っ白な剣と対とされるものだ。


 ──地鴛。


 かつての紅兎の愛剣であり、鷭家の名宝。紅兎とともに出兵し、帰ってこなかった兄の一部。


「俺の手元に、ずっとあった」


 握りしめた地鴛に視線を落とした安湛は、表情をかき消した顔で呟いた。小さな声だが、四方を建物に囲まれた中庭には、安湛と黄季しかいない。互いの息遣いさえ聞こえるような静寂の中では、どれだけ小さな声だって消えることなく黄季に届く。


「鷭家に返すべきだって、分かってた。それでもずっとできなくて……俺が、紅兎の形見として、持ち続けてきた」


 一度地鴛に視線を注いだ安湛は、右手で地鴛を握り直すとスッと黄季へ差し出した。黄季は息を詰めたまま、地鴛と安湛に視線を注ぐことしかできない。


「紫鸞ほど、お前の手には馴染まないかもしれない。だが、他の剣よりは、お前と相性がいいはずだ」


 安湛の言葉に黄季はハッと安湛を見上げる。そんな黄季に、安湛は表情をかき消したまま頷いた。


「どうしても降したい敵を相手にするならば、まずは自分の装備を十全に整えろ。紫鸞は鸞家の剣だが、地鴛は鷭家の剣だ。おおやけの場で振るっても、お前が引く血に勘付く人間はいない」


 その言葉に、黄季は何と答えたらいいのか分からなかった。安湛が大戦を前にしている自分に対して最大限の助力をしてくれていると分かるのに、言葉で答えることもできなければ、手を差し出すという簡単な動きさえ取ることができない。


 そんな黄季に、安湛は何を思ったのだろうか。


 ふと、安湛の顔に泣き笑いのような表情が浮かんだ。


「お前の兄貴達は、どんな戦場でも、どんな敵が相手でも、お前と一緒に戦ってくれる」


 その言葉に、今度こそ黄季の呼吸が止まった。


「受け取ってくれ、黄季」


 涙で歪んだ視界では、安湛がどんな表情をしているのか、判断することはできない。


 ただ、黄季が伸ばした両手に地鴛がそっと乗せられた瞬間、黄季の脳裏には紅兎と青燕の笑顔が見えたような気がした。

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