拾漆

「それで」


 静まり返った長官室の中に、氷柳ひりゅうの固い声が響く。


 静かなのに空に溶けていかない声が、そのままこごって床の上を跳ねる幻覚が見えたような心地がした。


「どこまでがお前達の仕込みで、どこからが予想外だったんだ」

「どこまでもクソも」


 答える慈雲じうんの声は、固いというよりも渋い。慈雲がここまで素直に苦虫を噛み潰したような内心を声に表したところを、黄季おうきは初めて聞いたような気がする。


「あの場の成り行きは、全部貴陽きようが勝手に仕込んだことだ。俺はそれに乗っただけ。……というよりも、乗ることしか許されなかった、と言った方が正しいな」


 人気ひとけけた、午後の長官室だった。長官室だけではなく、泉仙省せんせんしょう全体で人の気配は薄い。


 貴陽が展開した炎術によって、地盤の核が焼き払われて今日で五日。


 あの日から泉仙省に持ち込まれる依頼が格段に増えた。地盤を失ったせいで日々の業務が後手に回っているという要因も少なからずあるだろうが、決してそれだけが原因ではない。


 妖怪の動きが……都中の陰の気が、活性化している。その動きに対処するために、泉仙省泉部せんぶの退魔師達が軒並み現場に駆り出されてしまうくらいに。


 ──本来なら、俺と氷柳さんはまだ、出撃を見合わせた方がいいって話だけど……


 五日前、貴陽が命を削って召喚した業火を辛くもしのぎ切り、氷柳と慈雲を無事に撤退させた黄季だったが、その一件だけで黄季はほぼ全力を使い切ってしまっていた。


 身の内を巡る霊力は、きちんと療養して養う他に根本的な回復方法はない。平時ならば黄季には数日の加療が課されたはずだ。


 だが今の状況は、そんなささやかな猶予さえ許さない。黄季おうきと氷柳は事が起きた翌日から現場に出ずっぱりだ。今も現場から一時帰還してきたばかりで、この後にもまだ現場仕事が控えている。


 ──動けないわけじゃない。だけど……


 ジリジリと余裕が削られていることを、ここまで肌身で感じたことも、今までにない。


「貴陽は恐らく、永膳えいぜんに宣誓呪詛式によって縛られていた。あいつの見たこと、聞いたことが、全部永膳に筒抜けになってたんだ」


『地下の鎮火、冷却が確認できて、ようやく下の今の状況が分かった』

『地盤の術式は、跡形もなく焼き払われていた。貴陽の亡骸も、出てこなかった』

『あの空間は、ただの「空間」になった。綺麗サッパリ更地になった、涼麗りょうれいの屋敷跡みたいにな』


 慈雲がそう口にしたのは、ついさっきのことだ。息を呑んだまま何も言えなかった黄季に対し、氷柳が常の無表情のまま問いを発したことで、今の会話が生まれている。


「そんな状況じゃ、お互い直接言葉に出して打ち合わせ、なんて真似はできない。盗み見してるであろう永膳の隙を突いて残した違和感と、思考の癖とその他諸々を勝手に読み合って、互いに事を進めるしかなかった」


 恐らくその『読み合い』こそが氷柳が感じ取った違和感の正体だったのだろう。対としての現役を退いてなお、泉仙省屈指の『比翼』である猛華比翼にしかできない戦い方だとも言える。


 ──それでも。


 そこまで考えて、黄季はキュッと両手を握りしめた。


 ──それだけの読み合いができた長官でも、こう先生を止めることはできなかった。


「貴陽が地盤の術式を綺麗サッパリ焼き払いやがったのは、永膳の指示ってのもあるだろうが、こっちの仕掛けをあいつが覚ってたってのも、多少はあるんじゃねぇかと俺は思う。永膳に地盤をどうこうされる前に地盤そのものを潰して、永膳がこっちの仕掛けに気付くきっかけを潰したかったんじゃねぇか、ってな」

「王城に仕掛けられた反転陣の仕込みに、貴陽は一切噛ませていないという話だったな」


 一瞬、あの業火の中で聞いた慈雲の絶叫が、耳をぎったような気がした。


 だがその幻聴と感傷を、黄季は一度奥歯を噛みしめることで振り払う。


「あぁ。あいつが見たこと、聞いたことだけでは、俺達がそんな仕込みをしていることには気付けなかったはずだ。だが貴陽なら、感覚的な部分でこっちの仕掛けや意図に気付いた可能性はある」


 追悼墓碑に呼び出されたあの時、黄季と氷柳はすでに現在、最終決戦に備えて王城に反転陣の基盤が敷かれていることを慈雲から説明されていた。他にも泉仙省側で都にいくつか陣を仕込んでいるという。地盤の解析をした場合、氷柳ならばそれらの存在に気付くかもしれないと慈雲は判断したらしい。


 だが結局、解析はそれらの陣が割り出されるよりも早く中断された。貴陽が仕込みに気付く余地はなく、引いては永膳にこちらの策を読まれた可能性も低いだろうというのが氷柳の所感であったはずだ。


 そこまで思い返し、黄季はふとあることに気付いた。


 ──もしかして、煌先生があの瞬間にほころびを見せたのって。


 腹芸が苦手な氷柳ならば、貴陽から永膳の霊力を感じ取れば平静ではいられない。さらに氷柳が自分に疑惑の目を向けていることにも、慈雲が氷柳を止めるつもりがないことにも察しがついていれば、あの時点で氷柳が解析を取りやめ、貴陽を詰問するという展開まで予測ができたはずだ。


 ──煌先生ならきっと、それくらいの誘導はできたはず。


「貴陽が積極的にこちらの情報を永膳に流していた、という可能性はないのか?」


 今更になって気付いた事実に黄季は思わず息を詰める。対する氷柳は同じ考えに行き着いていながらも、数ある可能性を否定するためにあえて逆の考えを慈雲に向けているようだった。


「そうであったならば、直接見聞きしていなくても、こちらの策は向こうに抜けているぞ」

「あいつにその気があれば、俺に永膳の影を覚らせずに立ち振る舞うこともできたはずだ」


 対する慈雲は感情が読めない顔で言葉を紡ぎ続ける。あえて感情を消していると分かる凪いだ顔は、その下に押し隠した苦さと重さが推し量れる分、下手に感情が浮いているよりも見ているこちらの胸がつかえるような心地がした。


「それを俺にあえて覚らせたって時点で、貴陽は積極的に永膳に加担しているわけじゃない。……そこは信じてもいいんじゃねぇかと、俺は思ってる」


 慈雲の答えに、氷柳はふつりと口をつぐんだ。黄季も何を口にすべきなのか分からないまま、二人を見上げる。


 張り詰めた静寂が、再び長官室を満たす。


「……あいつは、死んじゃいねぇ」


 その静寂を破ったのは、慈雲だった。


「『手土産持参で合流しろと指示された』っつってただろ、あいつ。あの状況からでも、永膳と合流できる何らかの手段を、あいつは持ってたはずだ」

「生存していたとしても、永膳と合流した以上、次に会う時のあいつは敵だ」


 苦さがにじむ声で言葉を紡ぐ慈雲に、氷柳は淡々と事実を突きつける。まるで貴陽の生存に希望を見出そうとしている慈雲に、その考えは甘えであると叩き付けるかのように。


 あるいは、相方が敵に回った先達として、心構えをくかのように。


「生きていようとも、こちらを生かすための寝返りだったとしても。……敵対する位置に立たれてしまえば、こちらは敵として遇するしかない」


 ──氷柳さん……


 あの業火の中で、貴陽と真っ先に対峙することになった氷柳は、その事実をいち早く心に落とし込んだのかもしれない。まだ氷柳ほど割り切ったことは言えないが、黄季にも漠然と同じ認識がある。


 だが慈雲に今すぐそこまで割り切れと迫るのは、酷な話だろう。


 ──煌先生は、はっきりと『慈雲のために』って口にしてて……命まで、削っていて……


 もし仮に自分が慈雲と同じ立場に置かれたら、自分はあの場でどんな行動を取っていただろうか。


 無言のまま袖の中で拳を握りしめる慈雲の姿を見ていると、そんな考えが浮かんで消えてくれない。


「……お前は私に『そのままお前が感じた通りに、考えたままに動け』と言った」


 重さを増した沈黙が、再び長官室を満たす。


 今度その空気を動かしたのは、氷柳だった。


「『突っ走りすぎたらきっと黄季が止めてくれるだろうし、そのまま突っ走りたいと言えば、黄季なら支えてくれる』とも」


 氷柳の言葉に慈雲が顔を上げる。胡乱うろんげな顔には『確かに言ったが、それが?』という疑問が浮いていた。


 ──氷柳さん?


 脈絡のない発言に黄季も目をしばたたかせながら氷柳を見やる。その一瞬だけ、チラリと氷柳の視線が黄季に流れた。さらにヒラリと、微かに氷柳の右手がそよぐ。


 ──ん? 今の仕草って……


 見覚えのある動きに、黄季は思わず氷柳を見つめ返す。それだけで氷柳は訴えたいことを伝えきったと判断したのか、流れるように慈雲に視線を戻していた。


 氷柳の片足が、無造作に前へ出される。カツリ、という静かな音とともに、わずかに慈雲と氷柳の間合いが詰まる。


「だから私は、その言葉に従う」


 その宣言とともに、氷柳は不意打ちで慈雲に向かって踏み込んだ。右脇を締めるように拳が構えられた右手には、寸鉄よろしく飛刀が逆手で握り込まれている。


「っ!?」


 氷柳は拳ごと飛刀の柄頭を慈雲の鳩尾に叩き込もうと腕を構える。


 だが不意を突こうとも、間合いが詰まっていようとも、正面から襲いかかっている上に武芸の腕ならば慈雲の方が氷柳よりも数段は上だ。


「涼麗っ!?」


 慈雲は目を丸くしながらも危なげなく氷柳の奇襲を回避する。


「お前、一体何のつも……っ!?」


 、黄季はそんな氷柳の動きを目隠しにして慈雲の背後に回り込むと、容赦なく慈雲の首筋に手刀を叩き込んだ。


 氷柳の奇襲を回避できた慈雲だが、さすがにそれを陽動にした黄季の動きまでは読みきれなかったらしい。無防備に黄季に背中をさらした慈雲は、すすべもなく手刀を喰らって意識を手放す。


「お見事」


 同時に手の中から飛刀を手放した氷柳は、クタリとくずおれた慈雲の体を肩の上に掬い上げるようにして受け止めた。米俵よろしく慈雲の体を持ち上げた氷柳は、わずかにふらつきながらも存外しっかりと慈雲の体を支えている。


 ──わー、氷柳さん、思っていた以上に力持ちー……じゃなくて!


「えっと? 氷柳さん?」


 そんな氷柳に内心だけで棒読みの声を上げていた黄季は、手刀を構えたまま問いかけた。


「こういう意味で合ってましたよね?」

「ああ」


 袖の中でわずかに手がそよぐあの動きは、氷柳がひっそりと手の中に飛刀を忍び込ませている時に見せるものだ。その仕草を見せながら、あえてあの瞬間に黄季に目配らせをしてくるならば、その意味は『止めるな』か『合わせろ』のどちらか。止めないでほしい、という感情が先に立つような状況ならば、氷柳はそもそも黄季に視線は寄越さない。


 ──で、俺を使ってまで長官の意識を強制的に落としたかった理由は……


「少し、休ませたい」


 氷柳はチラリと背後を見やるような仕草を見せた。この状態では氷柳から慈雲の顔を見ることはできないが、氷柳が慈雲の顔色を気にしていることは黄季にも分かる。


 黄季は手刀を解きながら、神妙に頷いた。


「顔色、すごく悪いですよね」

「恐らく、貴陽がいなくなってから、ろくに眠れていない」


 コクリと頷いた氷柳の顔には、わずかに心配の色が見える。慈雲と話し合っている最中、ずっと張り詰めた表情をしていた理由の中には、明らかに顔色が悪いくせに自身には一切頓着する様子がなかった慈雲を案じる気持ちもあったのだろう。


「……この後の出撃は、取りやめる」


 黄季に視線を戻した氷柳は、ずり落ちそうになる慈雲の体を支え直すときびすを返した。恐らくこのまま慈雲を医局の簡易休憩室に投げ込みに行くのだろう。出撃を取りやめるということは、そのまま付き添い、意識を取り戻した慈雲が仕事場に戻らないように見張るつもりであるらしい。


「俺も付き添いましょうか?」

「いや、いい。……少し、二人で話がしたい」


 黄季としては簡易休憩室まで氷柳一人で慈雲を運搬できるのか、というところが心配だったのだが、氷柳にも氷柳で何か思うところがあるのだろう。一度振り返って黄季に視線を合わせた氷柳の瞳には、何事かを思案するような光が宿っていた。そうでありながら、今の氷柳の瞳の中には静けさと強さが同居している。


 こういう目をしている時、氷柳の心は強い。同じ『凪』でも、出会った当初のような凍てついた静けさとは違い、今の氷柳の瞳には春の清水のような柔らかさがある。


 ──……うん。今この状況で、長官が弱さをさらせるとしたら、相手はきっと氷柳さんしかいないと思うし。


 そういう場にはきっと、黄季はいない方がいい。部下である黄季は、どんな場面でも慈雲にとっては『守らなければならない存在』に分類されてしまう。慈雲はきっと、そういう相手には何があっても弱音を口にできない性分だろうから。


 ──普段なら氷柳さんもその分類なんだろうけど、氷柳さんは違うだろうし。


「お前は私達が出撃を取りやめたことを伝えてくれ。双玉か、あるいはうん老師に伝えてくれれば、上手く差配をしてくれるはずだ」

「分かりました」

「くれぐれも気を付けて行動しろ」

「氷柳さんも、お気を付けて」


 黄季が見送りの言葉をかけると、氷柳はコクリと頷いてから部屋を出ていった。軽々と、とまではさすがに言えないが、やはりその足取りは思った以上に安定している。


 ──そういえば地下室から撤退する時も、俺を抱えたままいつもと変わらない速さと安定感で走ってたもんな。


 同年代と並ぶとわずかに小柄な黄季だが、鍛えている分体重は並みより重いという自覚がある。そんな黄季を軽々抱えたり投げ飛ばしたりしているのだから、氷柳は見た目以上に腕力があるのだろう。


「……さてと」


 氷柳を見送った黄季は、自分達の出撃が取りやめになったことと、慈雲が席を外したことを伝えるべく長官室を後にした。


 ひとまずここからならば、老師の部屋よりも皆が詰める大部屋の方が近い。顔を出せば誰かは捕まるだろうと、黄季はひとまず大部屋を目指す。


 ──それにしても……


 貴陽の裏切り。後手に回り、追い詰められていく泉仙省。全容が見えないかく永膳の策略。容赦なく迫る最終決戦の気配。


 ──きっと、開戦してしまえば、もう止まらない。


 今度の争いは、郭永膳が消滅するか、国が焼き払われて消えるまで止まらない。そんな予感に、胃の腑がスッと底から冷え切っていくような心地がする。


 ずっと、仮初めの平和の上に立っていただけだったということは分かっている。


 それでも、自分が立っている場所がかつてないほど脆弱に溶け出した薄氷うすらいの上であると自覚してしまうと、どうしても打ち払えない恐怖に体がすくんでしまう。


 ──ただでさえ、俺は劣ってるっていうのに。


 漠然とした不安は、鋭利な刃も策も鈍らせる。こんな心境では、持ち合わせた力を十全に振るうことはできない。そのことは分かっているのに、不安が漠然としているからこそ、具体的に解決する方法が見つけられそうになかった。


 ──うーん……。こういう時、いつもどうしてたっけ?


 思えば氷柳と出会う前は、よくこんな不安にさいなまれていたような気がする。


 氷柳と出会ってからは日々課される鍛錬をこなすのに精一杯だった上に、抱えていた不安が『己の何それが足りないから』『だからそれが原因でこんなことが起きるのではないか』と具体的になっていたから、対策も立てやすかった。その過程を経てきた今だからこそ、具体的な形になっていない不安というものがいかに厄介なのかがよく分かる。


 ──あの頃は、民銘みんめい明顕めいけんにも打ち明けられなくて、他に話せそうな相手もいなかったから……


「あ」


『よく一人で素振りしてたっけ』と思い至った黄季は、あることを思いついて声を上げていた。


 ちょうどその瞬間に廊下を曲がってきた壬奠じんでんが、思わずといった体で足を止めて黄季に視線を向けてくる。さらにその後を追いかけてきたのか、壬奠の相方である李晋りしんがいきなり立ち止まった壬奠にぶつかってかなり痛そうな音を上げていた。


「いっっっっ、たぁぁあああっ!!」

「あ、えっ!? 李晋先輩、大丈夫ですかっ!?」

「ちょっとちょっと壬奠ちゃん!? デカい図体でいきなり止まんないでくれるっ!?」

「どうした、黄季」

「え、俺のことは無視っ!? 壬奠ちゃんの後頭部にメッチャ鼻ぶつけたんだけど俺っ!! 鼻潰れるかと思ったんだけど俺っ!!」

「李晋、そのまま全身潰れて」

「はーい、辛辣乙!!」

「李晋、黙って。そのまま息の根ごと止めて」

「えっ、ちょっ……」

「壬奠ちゃ〜ん? そろそろ悪口の引き出し、増やした方がいいんじゃな〜い? 毎度毎度『息の根止めて』じゃ俺もつまんないんだけ、ウベッ!?」

「黄季、どうした」


 後ろでかしましく騒ぎ立てる相方の顔面を片手で鷲掴みにすることで強制的に黙らせた壬奠は、常と変わらない平坦な声で黄季に問いかける。


 黄季がポロリとこぼした声には真摯に耳を傾けてくれるのに、自身の行動で怪我をしたかもしれない相方の訴えには一切耳を貸さないつもりであるらしい。なまじ表情が常と変わらないせいで、平静そのものな顔面と青筋が浮き出た右手の主が同じであるとはにわかに信じられない絵面ができあがっていた。


 ──さ、さすが泉仙省随一の険悪比翼……


 姦しすぎる李晋と、静かすぎる壬奠。


 そこから取られて『乱寂らんじゃく比翼』と呼ばれているこの二人は、『相方を得ることを焦るあまり「相方は誰でもいい。組めれば文句はない」と泣きながら長官にすがりついた結果、人間的に苦手な相手と組まされて地獄を見た』という噂を体現した一対であるという。


 ──李晋先輩はともかく、壬奠先輩が長官に泣いて縋る姿なんて想像もつかないけど……


 だが二人が性格的に相性最悪で、明らかにお互いを嫌っているくせに、長官指示で組んでいるということは事実だ。互いにそこまでいがみ合っているならば、もっと気が合う人間をそそのかして対を入れ替えるという手段も取れただろうに、互いが互いへの嫌がらせとして比翼宣誓まで交わしたという話だから筋金入りである。


 さらには『お前が俺の足を引っ張っている』と相方に言われるのが何よりも癪である、という理由だけで技を磨き、相手の裏をかくべくその手癖と呼吸を測り尽くした結果、一周と言わず三周くらい回って息の合った連携を見せると言うのだから、もはや傍から見ると色々と意味が分からない一対と言っても過言ではない。


 ──いや、比翼宣誓を嫌がらせとして行使してたって聞きましたけど、それってどうなんですかね……?


『相手への一番の嫌がらせは、自分が相手の相方に収まること』という思考は、もはや五周くらい回って『相手のことが大好き』という解釈でもいいような気がする。……そんな考えを二人に知られたら、きっと壬奠に顔面を鷲掴みにされ、李晋にネチネチと耳元で厭味を言われ続けることになるのだろうが。


「……てい尊師は、一緒じゃないのか」


 二人の応酬に固まっていた黄季は、その一言でハッと我に返った。それまでの間に李晋から壬奠の脇腹に向かって回し蹴りが飛び、それをあえて受けた壬奠が逆に李晋の軸足を払って迎撃した結果、支えを失った李晋が顔面を掴まれた壬奠の手によって宙吊りにされていたが、もはやそこにとやかく口を挟める空気ではない。


「あ、その。氷りゅ……汀師父はおん長官を簡易休憩室に連行していったので……あ、不眠ぎみだった恩長官に強制的に睡眠を取らせるためなので、大事があったわけではないです」


 李晋がくぐもった絶叫を上げても平然としていた壬奠だったが、『汀師父が恩長官を簡易休憩室に連行』という言葉には心配そうに眉を寄せた。その変化に気付いた黄季は慌てて『心配無用』と言い添える。


「それで、汀師父は長官に付き添うので、この後に予定していた現場を誰かに代わってもらいたいという話なんですが」

「分かった。俺達が引き受ける」

「ありがとうございます」


 壬奠の言葉に黄季が頭を下げると、ひとつ頷きながら壬奠は李晋を掴んでいた手を離した。ドサリとくずおれた李晋はピクピクと痙攣しているが、それでも壬奠への対抗心と怒りで意識を繋いでいたらしい。ゼェハァと荒く息をつきながらも、李晋はすぐにユラリと立ち上がる。


「それで」


 そんな李晋へ視線を向けないまま、壬奠は左手で刀印を結ぶと李晋の鳩尾みぞおちに指先を突き立てた。


「さっきの『あ』は、どうした」


 ようやく立ち上がった李晋を指先で軽々吹き飛ばした壬奠は、何事もなかったかのように黄季に問いかけた。淡々とした壬奠の表情と手元で吹き荒れる暴力の落差に、黄季はもはや問いの中身が理解できていない。


「今の報告、相談とは、別件の『あ』だっただろう」

「えーっ、と?」


 ──首から上はいつも通り『寡黙だけど面倒見のいい壬奠先輩』なのに、首から下が理不尽と暴力の権化と化しているのですがっ!?


「あー……あ! 俺、ちょっと外に出てくるので、もしも汀師父が早めに簡易休憩室から戻ったら、そのように伝言してもらえるように、誰かに伝えてもらってもいいですか?」


 内心だけで突っ込みつつ、必死に記憶を漁った黄季は、半ば記憶に埋もれかけていた思いつきをようやく言葉に出した。そんな黄季の発言に、壬奠のみならず、吹き飛ばされた李晋までもが首を傾げる。


「別に構わない。が」

「どこに行くんだ? 単独行動って危なくね?」


 ここまで険悪な仲を披露しておきながらピッタリ息が合った問いかけをしてくる二人に、黄季は思わず苦笑をこぼした。


「多分、大丈夫です。俺は狙われにくいって話ですし、王城からそこまで遠い場所じゃないんで」


 その苦笑の中にそっと、目の前の二人に向けたものだけではない苦笑を混ぜながら、黄季は言葉を続ける。


「汀師父には、『彩陳さいちん通りから一本裏に入った、前庭に銀木犀が入った屋敷に行くと言っていた』と、伝えてください。多分それで通じます」


 黄季が笑みの種類を変えたことに気付いたのだろう。


 乱寂比翼は顔を見合わせると、互いへの厭味を言うことも忘れたまま、揃って同じように首を傾げていた。

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