拾壱
※
「で?」
「んで?」
「え?」
「何がどうなってこうなったわけ?」
「俺らサッパリ理解できてないわけなんだけども」
先日、
「呪具保管庫の呪具が暴走しただろ〜、で、
「黄季が本気になって魏上官しばき倒したら、何か上官は暴走しちゃったし」
「で、汀尊師の自宅が爆破されて、黄季と同居って、流れが怒涛すぎて俺らついてけねぇんだけども」
「結局何がどうなってんのか、改めて黄季に訊きたいよなぁーって
一度ドロドロに溶けて溶岩の海と化した中庭の土は、冷え固まった後、波打つ岩肌を作り出していた。中庭の中心を真ん中に置くようにして三角形を描く形で陣取った黄季と同期二人は、呪力の流れに意識を凝らしながらも雑談に興じている。
そんな同期の片割れである
「改めて訊かれてもなぁ……」
──俺も正直言って、民銘達と似たりよったりな状況なんだけども。
何をどこまでどう喋っていいものかと、黄季は思わず考え込む。そんなことを真剣に悩んでいても、地脈へ伸ばした意識がブレることはなかった。春先の自分だったら雑念を抱いた時点で意識がブレにブレていただろうから、色んな経験を経て多少は成長することができたのかもしれない。
「俺も、正直、目の前で起きたことへの対処に手一杯で、何が起きてるのかまでは……」
本日の黄季達に課された任務は、浄祐の壊器で地脈をスッカラカンにされてしまった泉仙省中庭の気脈を整える、というものだった。
大地に走る霊脈である地脈は、
──まぁそもそも、地脈に影響を及ぼすような大技を行使できる退魔師があんまりいないわけなんだけども。
そんな『滅多にあるはずがないこと』をしでかしたのが、先日の魏浄祐だった。
元々この場所には退魔師同士が退魔術を用いた果たし合いを行っても影響がないくらい潤沢な力が流れていたのだが、今はその力の流れが感じられない。最終的に妖怪まで堕ちた魏浄祐が根こそぎ吸い取ったせいであるらしいのだが、数日待ってみても地脈の流れは回復の兆しを見せなかった。それを受けて『自然回復を待つのは絶望的』という判断がされ、黄季達が派遣されることになった、という流れだ。
「へ? 当事者なのに?」
「そ。当事者なのに」
ここから一番近場にある他の地脈から、己の霊力を呼び水としてこの場に地脈の力を引き込む。その力をジワジワと、乾いた大地に水を染み込ませるようにこの場所に
──スッカラカンになった場所に、ある一定以上まで力が染み渡れば、後は満ちた力が自発的に地脈を引き込むようになるから、ゆっくりとではあるけれど自然に流れが戻ってくるはず……だったっけ?
──まぁ、根気良くやれって言われてるし。
『気脈の流れを呼び戻す』と言うととても大変なことをやっているようにも聞こえるが、実際にやっていることは簡単で危険も少ない。慈雲と氷柳にも『地脈を捉えて感覚を維持する鍛錬にちょうどいい』と言われていた。
──最近命がけな現場ばっかだったし、何だかしみじみと平和が心に染みるなぁ……
「氷りゅ……汀師父や
そんな心境を噛み締めながら、黄季はかなりぼかした言葉で民銘からの問いに答える。黄季の言葉を受けた二人は首を傾げながらさらに問いを投げてきた。
「黄季には教えてもらえない?」
「っていうか、聞いても分からないって感じ?」
「あー」
「そゆ時しんどいよなぁ、特にお前はさぁ」
「そーそ、黄季、気付いたらすんごい人にばっか囲まれてるわけだし」
「うぅ……分かってもらえてメッチャ嬉しい」
傍から見ればのんべんだらりと雑談しているだけのように見えるが、三人ともきちんと『呼び水』としての役割は真っ当している。
──普段からこういう平和な任務ばっかり来てくれりゃいいんだけども。
しかし己が氷柳の相方であり続ける限り、それは叶うはずもない望みなのだろう。嘆いておいて何だが、氷柳の相方であり続ける以上はという覚悟も、腹の底では決まっている。
とはいえ、それはそれ。これはこれ。
「汀師父も恩長官も、ついでに
「そういや医局の煌先生が恩長官の元相方だって話、本当なのか?」
「明顕、またブレた」
思わず泣き言が漏れた黄季に明顕が身を乗り出す。その瞬間、地脈に伸ばされた明顕の意識がブレたのを敏感に察知した民銘が鋭く叱咤の声を上げた。
後翼退魔師である黄季や民銘と比べて、前翼退魔師である明顕は地脈の流れを捉えるのがイマイチ苦手だ。民銘からの注意もこれで四回目である。
──とはいえ、民銘が早めに注意するから、集中が本格的に切れることはないんだけども。
『やっぱこの二人って相性いいんだよなぁ』と内心だけで呟いてから、黄季は軽やかに明顕の問いに答えた。
「それはホント」
「うぉわ、知らんかったわ……」
「公にしてなかったっていうか、伏せてた感じはあったけど……。あれだけ派手に暴れてたわけだし、隠すつもりはないんじゃないかな?」
──多分、だけども。
あれだけ派手に前線に出ておいて、今更その事実を秘匿したいなどとはあの二人も言わないだろう。
この程度ならば答えても大丈夫なはず、と黄季は内心だけで小さく頷く。
「『
「信じらんねぇわ、あんな穏やかそーな顔した先生が恩長官の元相方だとかさー」
「死別じゃなかったんだな。恩長官、時々佩玉二つ吊るしてたからさ、てっきり遺品かと思ってたんだけども」
「もうさぁ、案外『氷煉比翼』のもう片方も生き残ってんじゃね?」
だが話が『氷煉比翼』に飛び火した瞬間、黄季の肩は無意識のうちに跳ねかけた。体の動きを抑え込むと同時にブレそうになる意識を全霊で地脈に集中させ、黄季は必死に動揺をやりすごす。
「そもそも汀尊師だって死んだことになってたわけじゃん? もうここまで来たら
「いやいや、それはねぇだろ」
黄季の対処が良かったのか、あるいは民銘が明顕の発言に意識を持っていかれたのかは分からないが、民銘が黄季の動揺に気付くことはなかった。
軽やかに否定した民銘は頭の後ろで腕を組みながら、変わることのない軽やかさで言葉を続ける。
「郭永膳が生きてたとしたら、大乱を終結させた大術を発動させたのは一体誰になんのさ?」
その発言に、己の瞳がスッと温度を下げたような気がした。
──そう。その部分は、氷柳さんも恩長官も疑問に思ってる。
民銘が口にしたのは、
八年前、この都を灰燼に帰した『
だが実際の所、大術を成したのは郭永膳一人だけで、その相方であった氷柳は生き延びていた。相方であった郭永膳を
それが今のところ、黄季が知っている『天業の乱』の実態だ。
──それでも、あの大乱のど真ん中にいた三人が三人とも、事件の裏に郭永膳がいると断言した。
大乱当時ただの幼子だった黄季と違い、氷柳や慈雲は当時から泉仙省の退魔師だった。戦場に立ち、実際に現場を肌で知り、黄季以上に大乱にまつわる事情を知っているであろう三人が断言したならば、最早黄季に口を挟む余地はない。
──……ほんっと俺、何にも知らないんだなぁ……
先日、氷柳の屋敷跡にいた時にも思ったことが、また胸の内に去来する。あの時は『どうにもできないこと』とすんなりと割り切れたことが、今は何だかモヤモヤと胸にわだかまっていた。
──? ……何なんだろう、このモヤモヤ。
時々感じるこの胸の
──考えることが多すぎる。
「そういやさ、わけ分かんねぇと言えば」
そんな風に黄季が考えの淵に沈みかけた瞬間、軽やかに話題を変えたのは明顕だった。
「呪具保管庫の結界が破れたあの一件、何か捜査進んだとか、話あったか?」
「いんや。俺は何も聞いてないけど」
同じ軽さで答えた民銘は問うように黄季へ視線を流す。それを見た明顕の視線も黄季へ向けられるが、そんな目を向けられても黄季はそもそも何を問われているのかすら分からない。
「何の話?」
黄季が目を
「黄季が簒奪だー、なんだーってゴタゴタしてる間にさ、俺ら、呪具保管庫の結界について調べてたんだわ」
「保管庫の? なんで?」
確かに、この一連の事件の発端は、呪具保管庫の結界が破られ、郭永膳の遺品でもあった
「あー。そもそも黄季は、あの結界がどういう風になってたって話、聞いてないんだったっけ?」
黄季がさらに首を傾げると、民銘はキュッと眉間にシワを寄せた。『どこから説明するべきか』という内心がその表情に表れている。
「結論から言うとさ、俺と明顕が保管庫まで行き着いた時、結界は破れてなかったんだわ」
「へ?」
「むしろ結界を破ったのは、俺と明顕なわけ。俺達が結界の綻びを突く形で破って無効化したから、あの嵐は止まったんだよ」
「え?」
思わぬ言葉に黄季はさらに目を瞬かせる。
「で、でもあの時、最初に現場を確かめた明顕は『結界の存在は感じられなかった』とか言ってなかった?」
「言った」
虚を衝かれた表情のまま問い返すと、明顕が顔をしかめた。そんな明顕を横目で見遣った民銘はやれやれと溜め息をついてから黄季の疑問に答える。
「明顕が存在を感知できなかったのは、元々あった結界に新たに追加された結界の効力がぶつかって気配っていうか、波動っていうか……まぁそんな感じのものが相殺されていたからなんだ」
「は?」
「そこに呪具の嵐が起こす気の乱流が重なって、結界術が苦手な明顕には、結界がどうなってるのか正確に分かってなかったってこと」
「……どういうことだ?」
──あの呪具の暴走は、結界が破られたから起こったものじゃなかった?
さすがに黄季ももうあの一件が氷柳と慈雲の小競り合いの余波を受けて偶然起きたものだとは思っていない。だが『破られた』のではなく『何かが上書きされていた』となると、黄季が思っていた以上に事態は深刻だったということになる。
そもそも結界というものは、ただ破るよりも新たに何かを書き加えたり、意味を変性させることの方が難しい。結界に新たな結界を被せて元あった結界の効力を相殺するよりも、元あった結界を力技で破ってしまう方が何倍だって楽なはずだ。
「あの時の保管庫の結界には、元あった結界の内側に新しい結界が追加されてたんだ」
黄季がスッと表情を改めたのを見て取った民銘は、指先で宙に円を描きながら言葉を続ける。
「元あった結界は、中に閉じ込める呪具が強ければ強いほど展開される結界が強固になるっていう類のものだった。建物が己の自重でよりしっかり地面に固定されるような、そういう感じのやつ」
さらに反対側の指も伸ばした民銘は、先程宙に描いた円の内側をなぞるように、今度は反対回りで円を描いた。
「その中に新たに展開されていたのは反転陣。この新しく追加された結界が元あった結界の定義を反転させたから、中に保管されていた呪具達は力が強ければ強いほど、外に向かって弾き出された」
「……え? ちょっ、ちょっと待って、内側?」
「そ、内側」
黄季が上げた声に民銘は重く頷く。そんな民銘の表情はいつの間にか結界展開を担う後翼退魔師の顔になっていた。
「後から聞いた話なんだけど、あそこの結界、大乱後に恩長官と
当時の泉仙省に残された最も腕が立つ退魔師二人が万全を期して編み上げた結界だという。今の泉仙省でも慈雲と薀老師を凌ぐ腕の持ち主など氷柳くらいしか思いつかない。
その結界が、外側からではなく、内側から改変された。
「え、それって……それも、魏上官がやった、のか?」
「多分、違う。黄季だって知ってるでしょ? あの保管庫の中で呪術の類は使えないようになってた。元からあった結界の効力で。どう考えても魏上官にあの結界をどうこうする技量はなかったはずなんだ」
そのことには恩長官と薀老師も同意していた、と民銘は続ける。
──話が見えてこないんだけど……
自分の頭ではどう考えても繋がってこない話に黄季は思わず眉間にシワを寄せた。内心の困惑が声に漏れているのか、我知らず声が険を帯びる。
「じゃあ、一体何が起きてあんなことに」
「これ、あくまで俺の推論なんだけども」
そんな黄季の声に、民銘は顔を上げた。表情には迷いが混じっているが、黄季を見据えた目には何かを確信している光が見える。
「結界が張られる前から、仕込みがされてたんじゃないかなって」
「張られる前から?」
「たとえば、収蔵されている呪具に、時限式の結界展開式を仕込んでおいて、ある一定期間が過ぎてから発動するようにしてあったとか」
確かにそれならば理屈は通る。結界が効力を発揮してから新たに術式を仕込むことは至難の業だが、効力を発揮する前から、後々展開される結界に対して作用を及ぼすよう細工がされた代物を仕込んでおくこと自体は理論上可能であるはずだ。
だが、それでも。
「つまり、八年前から、この時期に、保管庫の呪具を暴走させたいって誰かが考えてて、仕込みがしてあったってことか? 何のために?」
理論上は可能であっても、それを実際にやれるかどうかは分からない。
何より、そんなことをしなければならない理由が検討もつかない。
「もう一度大乱を起こしたかったから、とかだったらどうよ?」
だが民銘は黄季の引き
「大乱直後から、もう一度あの大乱を八年後に起こそうと決めていた人物がいた。その人物による仕込みだったとしたら、どうよ?」
「そ……」
そんなことを誰が、と言いかけて、途中で言葉は詰まって消えた。
──もしかして……?
誰が、なんて、自分は答えを知っているはずではないか。
あの一件で保管庫から消えた物品の最後の使い手。一連の事件の裏に見え隠れする影が誰であるのかを、黄季は聞かされている。相手が噂通りの腕を持ち、漏れ聞こえてくるままの性格であるならば。
──じゃあ、もしかして、狙いって……
「そこまで分かったんだ?」
不意に、耳慣れない声が、スルリと忍び込んできた。
真冬の深夜の空気のように、しんと冷え切って、暗くて、黒くて、深くて、低くて……酷く人の耳を惹きつけて離さない声が。
「バレるなら慈雲だけだろうと思ってたから、あいつだけ殺しとけば事足りるかと思ったけど」
何かを考えるよりも先に声が聞こえる方へ……民銘の背後へ視線を投げた黄季は、そのまま大きく目を見開く。
「そうか。足りないか。いい部下を持ったね、慈雲は」
──影。
いや、実際は頭の上からスッポリと漆黒の外套を纏った人物だった。背は影のすぐ目の前に立っている民銘よりも頭ひとつ分高い。背中に当たる部分の輪郭が不自然に膨らんでいるのは、恐らく背中に何か荷物を背負っているからだ。
そう、ちょうど大剣のような物を。
「じゃあ、さようなら」
その予想を裏付けるかのように、影は己の背中から荷物を引き抜いた。ギラリと太陽の光を反射したそれは、黄季が思い描いた通り、片腕で扱うには長大すぎる両刃の大剣だ。
「っ……!!」
突然のことに民銘は凍り付いて動けない。明顕が反射的に腰に
そんなことを思うよりも早く、黄季は前へ飛び出していた。
「民銘っ!!」
黄季が腕を伸ばした瞬間、外套の下で影が笑った。微かに揺れた外套から、淡く赤い燐光に彩られた黒髪が一房こぼれ落ちる。
その瞬間、鉄錆の臭いとともに、鮮血の花が咲いた。
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