閑
※
その
蝋燭の灯りだけでは祓い切れない闇がはびこる中、奥壁に向かい合うように立った
「……」
追悼墓碑。
ここは八年前に起きた大乱『
慈雲は時折、こうして一人でこの廟を訪れる。その時腰で揺れているのは、
本来ならば二人で分けて下げるべき物を、慈雲は時折こうして一人で身に付ける。
それは、あの大乱を一人で生き残ってしまった
そして……
「……また、来てたの?」
不意に、微かな鈴の音とともに、すぐ後ろから声が聞こえた。
気配に
「
そんな慈雲を知っている相手も、気にすることなく言葉を続けた。微かな鈴の音とともに間合いを詰めた相手が、慈雲の数歩後ろで足を止める。
「良かったね。君の努力が無駄にならなくて」
「……基礎を作ったのはお前だろ」
「そりゃそうだよ。慈雲の結界破りには、僕が必要不可欠でしょう?」
気配と同じく、静かで、穏やかな声。常に笑みを含んでいるように聞こえる声だが、それが本心を覆い隠すための仮面のような物であると慈雲は知っている。いつだって、内心を読ませないためだけに彼は、人当たりの良さそうな笑みを浮かべ続けている。
「本当に、良かった」
だが今は珍しいことに、声の主は本心から安堵の笑みを浮かべているようだった。
だから慈雲は、壁を見上げながら素直にその疑問を言葉に載せる。
「……珍しいな」
「だって、これで慈雲は一人じゃない」
慈雲の内心なんていつだって手に取るように把握している彼は、慈雲の短い言葉に的確に答えた。
シャリンッと、また小鈴が鳴る。同時に、後ろにいたはずである彼が少し離れて隣に並んで、さっきまでの慈雲の動きをなぞるように壁に指を這わせたのが分かった。
「今の
その気配に、慈雲はようやく己の傍らを見遣る。
「今の距離では、僕は慈雲を守ってあげられない。今だって、隣に置いてくれれば、僕は何からだって君を守り抜くのに」
左肩から胸元に垂らして、肩口でひとつに括った艶やかな髪。慈雲よりも頭半分ほど低く、造りも華奢な体。
それでいて現場に出れば、前翼を担っていた慈雲より余程猛々しい戦い方をする退魔師であったことを、慈雲は嫌になるほど知っている。
「ねぇ、慈雲」
「無駄だぞ」
「まだ何も言ってないよ」
「お前にこの佩玉を返すつもりはない」
嫌になるほど知っていたから、……揃いの赤い佩玉が今、慈雲の腰にある。
「……未練ったらしく、佩玉二つも下げてるくせに」
「普段は翡翠がひとつだけだ」
「捕物現場に出る時とここに来る時だけ付け替えてるんだって、僕知ってるんだからね」
「ハッ! 自戒みてぇなもんだよ。別に未練なんかじゃねぇ」
「僕には、未練だよ」
キッパリと言い切った彼は……かつての慈雲の比翼で、そしてこれからも唯一の比翼であろう彼は、体ごと慈雲に向き直った。闇の中にあるせいで常の色よりも暗く見える瞳が、真っ直ぐに慈雲を見上げる。
「ねぇ、慈雲。忘れないでね」
常に笑みが浮いているはずである顔から、笑みは消えていた。
彼のこんな顔は、多分、慈雲しか知らない。
「僕が誓った言葉は、今だって、……そして未来でだって、ずっと有効なんだってことを」
そう今でも確信できることが嬉しくて、……同じだけ、苦しい。
「『天に在りては比翼の鳥 地に在りては連理の枝』」
慈雲の腰には二人分の佩玉が揺れていて、彼の腰に佩玉はない。
慈雲が捕物現場に出る時に、この二人分の佩玉をあえて腰に吊るのは。
「『昇る月を阻むモノは 地を這う菫が全て枯らす』」
そう誓い合った相手が、どんな時でも守ってくれるような気がするから。
慈雲は静かに瞳を閉じた。
答える言葉は、いつだってひとつしか知らない。
「……『こっちの意思は、関係ないのな?』」
「そうだよ。僕はいつだって、欲しいモノは何をしてでも手に入れる主義だもの。だから答えは『応』しかない」
フワリと、彼が笑ったのだと分かった。
目を閉じていたって分かる。いつだって自分はこいつに振り回されてきたのだから。
「……でも慈雲は、それ以上の手段を以って僕を振り払ったんだよね」
その言葉に、慈雲は答えない。閉じた目を開くこともない。
今の自分は、どうあっても、彼の意に沿う言葉を口にできないから。
「酷いよね。本当に酷い。……今の君なら、僕を傍に呼び戻すことだってできるだろうに」
「さっさと愛想尽かせよ」
「尽かさない」
フワリと空気が動いて、頬にヒヤリとしたものが触れた。その冷気はスルリと慈雲の頬を滑ると唇に乗ってから離れていく。
「
その冷気に抗う手段を、慈雲は昔から、知らない。
知っていたはずなのに、気付いた時には全て取り上げられていた。
だからこそ、この佩玉だけは、渡せない。
「忘れないでね、先輩。貴方が、誰のものか」
フワリと、また空気が動く。
「忘れないでね。菫の毒に、解毒薬はないんだってことを」
シャリンッという小鈴の音ともに気配が消えていく。
慈雲が再び瞳を開いた時、そこにはすでに彼の姿はなかった。ただ蝋燭の灯りに揺らめく影と、静かにたたずむ墓碑だけがある。
「……解毒薬、なんて」
再び奥壁を見上げ、そこに刻まれた名前をなぞる。
先輩、同期、後輩、上官……知っている名だけでも、おびただしい数が刻まれた墓碑を。
「あっても、望まないのに」
静かに瞳を閉じて、額を奥壁に預ける。
黒石で造られた奥壁が纏う冷たさは、先程己の頬を滑った指先の冷たさに似ていた。
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