第2話 大輪のバラ

真崎理帆(まさき・りほ)と親しくなったのは高校3年になってからだった。理帆は同学年で目立つ存在だったから、私は1年ときから理帆を知っていた。クラスも違ってたし、共通の友人もいなくて、直接話す機会がなかったのだ。


理帆が目立ってた理由のひとつは数学と物理の成績がとてもよかったからだ。数学と物理は毎回満点。全国模試でも数学と物理の順位はいつも一桁。トップを取った時もあった。噂では、小学校の時から独学ですでに高校レベルの数学と物理を勉強していたという。数学か物理のオリンピックに出場するとかしないとかという噂もあった。


理帆の両親は二人とも私立の進学校の教師だった。親が勤めてる高校を避けてウチの高校に進学したらしい。ただし本人はそんな事情を一言も言っておらず、親が勤める高校に進学するのを避けたかったのはむしろ親のほうだったのかもしれない。



もうひとつは外見に華があったからだ。私がヒナゲシなら彼女は大輪のバラ。黒い大きな瞳。形よく筋の通った鼻。唇は見る人を魅了するほど形が綺麗だった。髪はごく普通の黒のロングだが、首を傾げるとサラサラ流れるように動いた。ハーフにも見えるが両親とも日本人。ただ母親がハーフという噂はあった。


当然男子の憧れの的だったが、成績の良さと美貌のせいで取り付く島がなかった。しかも彼女はなにか近寄りがたいオーラを放っていた。愛想がよくないのである。初対面では不機嫌オーラに感じるが、話しかければ普通に応える。用がない限り自分から話さないだけなのだ。


162cmと長身ではないが手足が長く、小顔で、仕草がどことなく優雅に見えた。ただ体力も運動神経もあまりないらしく、体育は苦手で、放課後は帰宅部だった。アインシュタインのように自宅に帰って趣味の数学と物理に没頭していたのだろうか。


それと本人も自覚していたようだが、理帆には空気を読めないところがあった。同世代の一般的常識に疎く、女子同士の会話についていけないことも多かった。理帆が自分から人に話しかけないのは、ヒトと話しても面白くないからだろう。




私が理帆と親しくなったのは、同じクラスになり数学の成績を上げたかったからだ。要するに私は下心があって理帆に近づいたわけだが、理帆はまったく気にしなかった。理帆はこちらから話しかければ特にイヤな顔もせず、問題の解き方を根気よく教えてくれた。


私の読み違いだったのは、理帆は問題の解き方の説明が下手だったということだ。自分が頭が良すぎるせいか、説明が短く、丁寧ではないのだ。一部省略してしまったりする。理帆的には説明になってるのだろうが、私は何度聞いてもわからないことがあった。


私がもう少しわかりやすくと何度も説明を求めると、理帆は何度でも説明してくれた。理帆は一度もイライラすることなく、説明の仕方を変えて何度でも説明してくれた。基本的な質問をしても面倒がらずにきちんと答えてくれた。私には貴重な師匠だった。



同じクラスに阿藤里穂(あとう・りほ)がおり、アトリホというあだ名を付けられていた。真崎理帆は阿藤里穂と区別してサキリホ。アトリホはのちにアトリボになり、サキリホもサキリボになった。阿藤里穂はアトリボというあだ名をイヤがったが、真崎理帆のほうはどんな名前で呼ばれようがまったく平気だった。私は阿藤里穂をアトと呼んでいた。


アトと私は1年から同じクラスで親しかった。里穂の名前は、農家のおじいちゃんがつけたそうだ。里の田んぼに稲の穂がたわわに実るように豊かな人生を生きて欲しい。そういう願いが込められている。いい名前だと思うのだが本人は気に入らないらしい。そのうえリホがリボになりアトリボなどと呼ばれるのはなおさら嫌でたまらないらしい。




私はその日も帰宅部の理帆を引き止めて数学の宿題を教わっていた。理帆は授業中だけ黒ブチの眼鏡をかけるが、放課後ははずしている。理帆的には数学と物理に関して言えば授業は退屈だっただろう。それと英語も。理帆は英語も堪能だった。リーディングの先生はネイティブな発音の手本としてしばしば理帆に教科書を読ませた。


理帆の数学のノートを見たことがあるが、授業とはまったく無関係の見たこともない数式がびっしり書き込まれていた。短い休み時間でも、何か思いついたようにノートを取り出して走り書きすることがあった。ぼんやりしているように見えてもいつも何か考えていたのだろう。


数学の教師が理帆を試すために校内模試で超難問を出したことがある。高校生ではとても解けないような難問だったが、理帆は時間内に解答を書いた。理帆の解答は正答だったが解き方のプロセスに一部問題があると判定された。しかし別の数学教師が理帆が書いた解法も正しいと判定した。答えはひとつだが解法はひとつではなかったのである。




私たちが帰り支度をしてると、アトリボこと阿藤里穂が教室に戻ってきた。アトは生徒会委員なのだが、やっと会議が終わったのだと言う。私たちは3人で駅まで歩くことにした。


私:「理帆は休みの日には何をしているの?」

理帆:「休日? さあ、なにしてるかな?」

アト:「自分が何してるか覚えてないの?」


153cmのアトが下から理帆の顔を見上げるようにのぞきこんだ。


理帆:「うーん。妹と一緒のことが多いかな」

アト:「真崎さん、妹がいたの? 知らなかったな」

私:「小学生なのよね。妹さん」

理帆:「6年生。美帆は、妹は、中学受験しないって言って親に反発してるの」

私:「理帆は中学受験しなかったの?」

理帆:「私は、算数は得意だったけど、国語がダメだったから」

アト:「そうなんだ。妹さんは?」

理帆:「妹は何でもできる。国語は今の私よりできるかもしれない」

アト:「まさか」

理帆:「源氏物語を原文のまま読んでるからね」

アト:「へー。じゃ、数学は?」

真崎:「さすがに数学は私のほうが上。だけど国語は自信ないかも」

私:「妹さん、優秀なんだね」

理帆:「そうね。私より人間としても上かもね」

アト:「人間としてって? 6歳も年下なのに?」

理帆:「いろんなことをよく知ってる。私より常識があるかな」

アト:「美帆ちゃんだっけ? マセてるってことかな~?」

私:「アト、ちょっと、言い過ぎよ」

理帆:「そういうことになるかな。恋愛面じゃ完全に私の負け」


理帆は珍しく可笑しそうに笑った。


アト:「美帆ちゃんモテるの?」

理帆:「モテるよ。私とは髪の色が違うし、着る服も大人っぽいからね」

私:「へー。会ってみたいな。美帆ちゃんに」

理帆:「小学生に見えないよ。中学3年でもイケるかもしれない」

アト:「そうなの? まだランドセルなのに? マセガキだねー」

理帆:「この前は高校生から告白されたって言ってたから」

アト:「あぶないねー。小学生に告白するヤツなんて犯罪者だよ」

私:「背が高いの?」

理帆:「そうね。私よりまだちょっと低いけど、157くらいあるかな」

アト:「ほんとに? いいなー。 私、卒業までにあと2センチ欲しいよ」

理帆:「でも体型はまだ子供よ」

私:「そうよね。まだ小学生だもの」

理帆:「よく一緒にお風呂に入るからね」


アトが自分の胸をキョロキョロ見てる。


アト:「まさか、私より胸が大きいってことないよね?」

理帆:「背が高いだけで胸とお尻は細いわよ。裸になると棒みたいに細い」

アト:「おお、そうか。じゃ、勝ったな」

私:「ちょっとアト、小学生と比べてドヤ顔してどうすんのよ」

アト:「身長ですでに負けてるからねー。せめて胸だけでも勝たないと」

私:「美帆ちゃんが中学になればすぐに負けちゃうよ」

アト:「じゃ、バストも卒業までにサイズアップするぞ」

私:「は? それが綱紀委員が言うことなの?」

アト:「胸のサイズアップは校則違反にならない」


阿藤は胸を張った。背も小柄だが胸も小さめだ。しかし抜け目がない。生徒会で綱紀委員をやってるのは、進学の際に推薦を取りたいためなのだ。現実的な阿藤は看護師を目指していた。


私:「ところでさ。理帆は美帆ちゃんと一緒に何やってるの?」

理帆:「受験勉強を教えてる。・・・ことになってる」

私:「本当は何してるの?」

理帆:「雑談。かな?」

アト:「ナニ話してるの。もしかして、恋愛の話とか?」

理帆:「そうね。それが多いかもしれない」

アト:「真崎さんは告白されたことないの?」

私:「アト、ずいぶんダイレクトな質問するのね?」

アト:「だって真崎さんがモテないはずないでしょうに」

理帆:「告白って、男の人から好きと言われたとか?」

アト:「それ以外にないでしょう?」

私:「急にきかれても困るよね? 理帆」

理帆:「ああ、いや、あるよ。うん。ある」

アト:「ホラ。ね? それで相手はどんな人?」


理帆は話していいものかどうか迷ってるふうに目が泳いでいる。


私:「無理に話すことないのよ。アトはなんでも聞きたがるクセがあるから」

理帆:「先生から告白されたことがあるのよ。高1の時だけど」

アト:「うわっ! それヤバイでしょ? 誰よ? その不良教師?」

理帆:「音楽の篠塚先生」

アト:「ああ、アイツかあ。あの不良教師。綱紀委員として許せないな」

私:「でも篠塚先生は去年異動になってこの学校にいないんじゃない?」

アト:「ははん。それが理由で北高に飛ばされたのか? アイツ」

理帆:「それはないと思う。誰にも言ったことがないもの」


理帆は自分に言い聞かせるように首を振りながら言った。自分のせいで篠塚先生が異動になったとしたら先生が気の毒だと思っているんだろう。



理帆の家は私とアトとは逆方向。改札を通ってから別れた。


理帆:「じゃ、また明日」

私:「バイ! 理帆」

アト:「バイ! 真崎さん。今度詳しく教えてよ。篠塚のこと」

理帆:「うん。バイ!」


理帆がコックリうなずいて微笑んだ。


私たちは下り電車のホームの階段を昇った。ホームに出ると反対側の上り電車のホームに理帆が立っていた。黒ブチ眼鏡をかけて大きなマスクをしている。


アト:「真崎さん、変装してるつもりなのかしら?」

私:「さあ。案外容姿にコンプレックス持ってるのかもね」

アト:「まさかー。真崎さんがコンプレックス持ってたら私らどうなるのよ?」

私:「妹の美帆ちゃんが超絶美人なのかもよ?」

アト:「小学生が? 信じらんないわー」


上り電車が近づいてきた。理帆がむこうから胸のあたりで小さく手を振った。ホームに電車が入ってきて理帆はそれに乗って帰っていった。






つづく。

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