孤高の花(全7回)

黒っぽい猫

第1話 ヒナゲシ(プロローグ)

高校の教室。クラスは自習だった。1人ずつ呼ばれて担任から面接を受けていた。私の机の上には「進路選択のしおり」という薄い冊子が置かれているが、私はまったく読む気がしなくて、1ページも開かずにぼんやりしていた。進路について書き込む用紙もあるのだが、何も書き込まないままになっていた。


出席番号順に呼ばれているらしく、私の前の子が面接を終わって私を呼びに来た。先生は机を二つ合わせた向かい側に座っていて、私は一礼して生徒側の席に座った。担任は黒ブチ眼鏡をかけた30代の男性教師。背は高くない。教室が騒がしいとたまに怒鳴る。でも私は先生のことがちょっと好き。だから先生の担当の英語は気合を入れている。


先生は黙って私の成績表を見ている。

先生:「ふむ。第一志望は××大学の教育学部理科専攻だったな?」

私:「はい。いちおう、それでお願いします」

先生:「いちおう、か。 国語と英語はいいが、数学の点がちょっと足りないな」

私:「はい。頑張ります」


先生:「ところで、みゆきはクラスで人気があるんだな」

私:「え? そうなんですか?」

先生は別の書類を見ながら言った。


それは「クラス投票」という謎なアンケートの結果表だった。


匿名で「親しい人」「苦手な人」「尊敬する人」の名前を書くという内容の用紙。何のためのアンケートなのか説明はなかったが、イジメの調査なんだろうと思った。書きたくなければ書かなくていいもので、特に何かの評価に関わるわけではない。


先生は「尊敬する人」の欄に私の名前を書いた人が多いと言うのだ。私は、成績はいいほうだがトップというわけでもなく、学級委員でもない。特に尊敬される理由がわからない。


私:「心当たりがありません」

先生:「だろうな」先生がちょっと困ったような顔をした。


同級生の名前を書く欄の下に「その理由」を書く欄がある。


私:「理由はなんですか?」

先生:「知りたいか?」

私:「はい。いちおう」

先生:「じゃ、言っておこう。いちおう、な。ただし他の生徒には言うなよ」

私:「はい。わかりました」


先生はコホンと咳払いをしてから、何枚かアンケート用紙を読み上げた。


先生:「心が大きい。度量が大きい。胸が大きい。ボリュームがある。デカイ」

私:「ほんとにそう書いてあるんですか?」

先生:「ああ。筆跡で誰かわかるといけないから見せられないけどな」


私はため息をついた。ソレ、尊敬されてるんじゃなくて、からかわれてるだけだ。そんなことを書いたのは男子にちがいない。ほんっと男子ってエッチでバカ。だいたい高校生がそんなアンケートにまじめに答えるはずがない。


私:「ソレ、全部ウソですよ」

先生:「もしかして、イジメられてるのか?」先生はちょっと心配そうだ。

私:「そんなことはありませんけど、男子にからかわれることはあります」

先生:「ならいいが。セクハラ受けてるなら報告するようにな」

私:「はい。わかりました」


先生はちょっと安心した顔でうなずいた。


先生:「みゆき。ちょっと来い」


先生は書類を持って立ち上がり、教室を出て行く。私もあとについて行った。校舎を出て裏庭につづく非常階段を降りたところに鉄製のドアがあった。先生はズボンのポケットから鍵を出してドアを開け、蛍光灯をつけた。部屋は階段を降りて半地下になっておりコンクリートと古い紙のにおいがした。


こんなところに部屋があったことに今までまったく気づかなかった。なんだろう?先生は黙って階段を降りていく。私もあとについて足元に気をつけながら降りた。


スチール棚が何列も並んでいて、古い資料がビッシリ保管されていた。天井近くに明かりとりのはめ殺しの窓があり、そこから少しだけ外光が入っていた。こんなところに半地下の資料室があるなんて聞いたことがなかった。生徒は立ち入り禁止なのだろう。


北側だから日光は入らないはずなのだが、隅の方に一箇所だけ陽が差し込んでいた。床のコンクリートにひび割れがあり、そこから伸びた1本の茎の先に赤いヒナゲシが咲いていた。


先生:「どうかしたか?」

私:「あんなところにヒナゲシが」

先生:「ほんとだ。気づかなかったな」


奥の方に閲覧用の机が置いてあり、先生は棚から分厚い資料を持ってきて開いた。


先生:「見てみるか?」

私:「なんでしょうか?」


数十年前の古い資料で、背表紙に『生徒関係図』と手書きされていた。


先生:「教師志望なら知っておいたほうがいいだろう。他の生徒には言うなよ」


私がのぞきこむと、そこには〇がたくさん描かれてあり、〇の間に矢印が描かれていた。〇の中には小さく名前が書き込んである。ネットでみかけた人間関係図のようなものらしい。


私:「コレ、なんですか? 人間関係図とかですか?」

先生:「まあな。これはウチの付属中学のだがな」

私:「へー。初めて見ました。中学校の先生はこんな資料作ってたんですか」

私は感心して眺めた。『〇⇒〇』『〇⇔〇』の他に矢印の上に×してるのもある。


先生:「矢印は好意を持っているという意味。×印は嫌っているという意味だ」

私:「なるほど。高校でもこんな資料作ってるんですか?」

先生:「いや。義務教育の間だけだ。今後はイジメ防止に高校でも作るらしい」

私:「それで、あんなアンケートを」私は先生のほうを振り返った。

先生:「まあな。でも高校生が本音を書くはずないよな」先生は笑った。

私:「そうですよ。変なこと書くだけです」私も笑った。

先生:「実際には副担任と一緒に生徒を観察して書き込むことになるだろう」


眺めていると、端っこにポツンとまったく矢印のない孤立した〇があった。


私:「この子は?」

先生:「ああ、孤立してる子だ。クラスの中で誰ともつながっていない」


私はその〇の中に書かれてる名前を見て驚いた。父と同姓同名だったからだ。


私:「先生、この子って、もしかして私の?」

先生:「ああ、そうだ。お父さんだよ。みゆきの」


私はしばらく言葉につまった。父は中学の時、孤立してたんだ。


私:「これを見せたくて先生は私をここに?」先生はしばらく黙っていた。


先生:「クラスにはな。必ず1人か2人。こういう子がいる」

先生はポツンと部屋の隅で咲いているヒナゲシに目をやった。

先生:「そういう子を見落としてはいけない。お父さんはクラスで孤立してたが、不登校にはなっていない。不登校どころか、中学2年までは1日も休んでいない。成績はきわめて優秀だった。それにお父さんを嫌ってる子はひとりもいなかった」


先生:「矢印がないのは、好きか嫌いかだけを調べたからだ。もし、『尊敬する』という項目でアンケートとっていたなら、矢印が集中していたかもな」


私:「なぜそんなことまでわかるんですか?」

先生:「ウチの親父が担任だったんだよ。みゆきのお父さんの」

私:「先生のお父さんは、昔、中学校の先生をしてたって・・・」

先生:「今でもよく覚えてるそうだ。人には話すなよ。守秘義務違反だ」


意外だった。気さくなお父さんが中学の時、クラスで孤立してたなんて。


先生:「もうひとつ見せてやろう。これも他の生徒には内緒だ」


先生は別のファイルを持ってきて、ページをめくって見せてくれた。

中学入学時の成績表と、小学6年時のIQテストの結果表だった。


先生:「ここ、見てみろ。」


先生が指先で押さえた箇所を見ると、そこにも父の名前があった。科目は国語と算数だけだが、両方とも満点だった。IQは165とあった。


私:「165って高いほうなんですか?」

先生:「とび抜けて高い。まあ、IQテストの信頼度は低いがな。それでも高い」

私:「父はこのことを知ってるんでしょうか?」

先生:「IQテストの結果は本人にも保護者にも通知しない」

私:「どうしてですか?」

先生:「良くても悪くても、本人にも保護者にもいい影響を与えないからだ」

私:「というと?」


先生は資料ファイルを棚に戻しながら言った。


先生:「IQが高い子には、親は期待し過ぎてプレッシャーをかけてしまう。本人は、本当はオレはみんなより頭がいいんだと過信して勉強しなくなる。逆に低いと親はガッカリして教育意欲を失う。本人も勉強意欲をなくする。どっちにしろ、いいことはない。だから通知しない。単なる教師の参考だ」


なるほど。そういうことか。


先生:「だから昔の教師は、お前は頭がいい。やればデキルと、生徒全員にわざわざ『こっそりと』励ましたわけだが、これも実はよくない」

私:「ナゼですか?」

先生:「やればデキると言い聞かせるとな。本人は潜在意識でやってもデキない場合いを恐れて本気で勉強しなくなるんだ。今は成績がイマイチだが本気出せばデキるんだという可能性を残しておきたいためにな。本当に頭がいい子は言わなくても勉強するし成績もいい。勉強しなければできないことを知ってるからだ」

私:「ふーん。そういうものですか」

先生:「だから苦手科目は今以上に勉強するように指導する。そういうことだ」

私:「なるほど」

先生:「やってもデキない子もいるが、やらなければデキるようにならないからな」


チャリリーン、チリチリ。硬貨が数枚落ちて転がる音がした。


先生:「おっといけない」先生が机の下を見回した。

私:「100円が1つ、10円が3つ。5円が1つ」私はなぜか音だけでわかった。

先生:「ナゼわかった?」硬貨を拾い集めた先生が不思議そうな顔でたずねた。

私:「わかりません。なんとなく」

先生:「みゆきは聖徳太子になれるな」

私:「まさか。私が新憲法を作るとでも?」私は笑った。

先生:「そうかもな。わからんぞ。将来国会議員になるかもな」先生も笑った。






つづく。

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