第2話

 隣の席から、コンコン、と小さく咳き込む声が聞こえてきた。ホームルームが終わって、授業が始まるまでの時間。


「風邪か?」


 机に頬杖をついたまま腕を伸ばして、ポケットティッシュを差し出した。俺も鼻風邪を引いていたのだ。


「ありがと。でも、大丈夫。咳だけなんだ」


 真中まなかは笑って、手のひらをひらひら振った。目尻が垂れて、ひどく甘ったるい顔つきになる。

 それを見るたび、俺の心からはいろんなものが飛び出しそうになる。守りたいナイト魂とか、ごく健全な高校生男子の性欲だとか。


「本田ちゃんのお葬式、雨だったじゃん。そのせいかも」


 真中の伏せられた睫毛が小刻みに震えたかと思うと、湿り気を帯びた。

 俺は何も見なかったふりで、黒板に目線を向ける。


 授業が終わると、真中が声をかけてきた。


沢渡さわたり。今日、放課後って予定ある?」

「いや別に」


 振り向いた俺の鼻の穴には、両方ともティッシュが突っ込まれていた。真中は噴き出して、お腹を抱えて笑い出した。


「バカじゃないのー。残念なやつー。顔がいいの自覚してない!」

「褒めてるんだかけなしてるんだか、わかんねーな」


 眉間にシワを寄せながらティッシュを引き抜けば、先端から飴細工のようなアーチが伸びて、真中をまた笑わせた。


「放課後、どこか行くのか?」

「うん。ちょっと買い物。沢渡に付き合って欲しくて。どうせ暇でしょ?」


 目元をぬぐう真中は、まだ肩を震わせている。


「一言余計なんだわ」


 素っ気なく言うけど、実はかなりほっとしていた。同じ身体を震わせるなら、面白くてのほうがずっといい。


「弟がね、誕生日なんだ。何買ったらいいかわかんなくて」


 昇降口で、革靴の爪先を地面にトントンとぶつけながら、真中は言った。

 俺はガラス戸に寄りかかった姿勢で眉をひそめる。


「そんなの俺じゃなくて……俺なんか誘ったら、アレじゃねー?」


 わざと核心をつかない言い方をしても、頭がいい真中はすぐに察しがついて、へらっと笑った。


「……先輩は忙しいんだって。最近ずっとそうなんだ」

「受験勉強とか?」

 俺は適当なことを言う。

「かな。よくわかんないけど。たぶん」


 歯切れ悪く答えた真中は、咳をしながら俺を追い越していった。俺のほうがコンパスが長い。あとから追いかけても、あっという間に追いついてしまうのだった。


「お前さ、もちっとワガママになったら?」

「そんなことできるわけないじゃん。嫌われちゃうよ」


 喉元まで出かかった言葉を、無理やり飲み込む。

 例えば、俺と真中が付き合っているとして。死んでしまえ、とかレベルの無理難題じゃなければ、大抵のワガママなら笑って許してやるのに。

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