隕石さん

私にはわかりやすい反抗期というものがなかったが、反抗期というのは両親だけでなく姉にも反抗するものなのだろうか。


半端に歳の近い姉妹ならよくあることだと思うが、お姉さんぶりたいという心理もあって、後から思い出して恥ずかしくなるようなことを言ってしまったりしたこともある。そうは言っても自分も子供だったわけで、妹にきつく当たられるような筋合はないと思ってしまう。


この時期の妹は、私がテレビのリモコンをテレビ台の前に戻していなかったとか、それくらいのことで声を荒げて「いっつも自分中心」だとか「人間の心がない」とか、声を荒げて泣きそうなくらい怒っていた。


その気持ちは私の想像を絶していて、喧嘩も成立せず、ただ刺激しないようにやり過ごしていた。


それが隕石災害以降、妹は人が変わったように大人しくなり、私に甘えるようになった。


避難している間はたしかに私も怖かったし、家族と再会できたときは、一緒に暮らす人がいるっていうことは、ただそれだけで悪くないなと思ったりもした。


そういう意味では妹の変化もわからないではないと思われるかもしれないが、言うことなすこといちいち噛みついてきたあの妹が、急におとなしくなったのは不気味だった。人間の気質ってそんなに突然変わるようなものなのだろうか。


家事も笑顔で手伝ってくれるし、気に入った音楽やお笑い芸人の話も教えてくれる。


この日、テレビでは空から降ってきた女の子が男の子となかよくなってさまざまな冒険を繰り広げる映画をやっていた。


見たことあるやつだ、と妹は言っていた。私は学校の課題をやりながら、つまり課題に対しても映画に対してもその程度の集中力で、妹と一緒にテレビの画面の前に並んでいた。


映画の主人公二人が真っ暗な穴の中に入っていく場面で、私は隕石が降った夜を思い出していた。


災害の日は、もちろん停電もしていたし、電離層の異常と通信トラフィックの増加もあったので、バッテリーがあっても携帯電話は通じなかった。


街灯のない夜は本当に暗いんだという当たり前のことを、わざわざ実感した。しかも空が曇っているといくら暗くても星はたいして見えない。


妹は「あ、ここ覚える」と言っている。いつもより高い声だったから、きっといいシーンなのだろう。


なにかを思い出すときにみんなが言う「なつかしい」という感覚が私には理解できない。


思い出は、どこになにがあるかわからなくて怖いし、いつも突然現れる。


テレビでは男の子が女の子を抱きかかえてくるくる回っている。


妹が「あれやってみようよ」と言う。やるの? どっちがどっち?


「ゆうのほうがでかいから持てるんじゃない?」と、妹は私を立たせた。ゆうは私の名前だ。


向かい合うと、意外なことに、私は本当に妹を持ち上げることができた。妹が私にぶら下がるように力を入れていたからだと思う。


試しに少し回ってみると、自分も空を飛んでいるような感じがした。頭がくらくらして、ここにある地面が動かない世界でよかった、そして人から抱きしめられるという感触はいいものだなとも思った。


それで、私は独自に製作したマグネシウムやアルミニウムの混合した細かい砂が入ったぬいぐるみをを抱きしめて布団に入った。


布団の中で、私は隕石から逃れるためのせまいシェルターにいる自分を想像してみる。


隕石災害は対策が難しいが、極めてまれな出来事で、今後人類がまだ存続しているうちに同じように起きるとは考えにくい。だから、教訓を未来に活かすとか、記憶を風化させないとか、そういうものでもないだろう。


だからといって、一度落ちたからしばらくは落ちないというようなものでもないのだが、クッションにならないものはとりあえず忘れたいんだ。


また、隕石に混じった鉱物に潜んでいたシリコン生物が妹の精神を乗っ取る様を想像してみる。しかし、すぐに失敗する。そういうのはたいていそっくりだけどちょっとした雰囲気がかわるんじゃないのか。仕草とか歩き方に変わったところはない。


テレビで愛を歌ってる。オーケー。

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ひらがな因果物語 阿部2 @abetwo

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