第24話 頑張って



「なんで来たんだよ」

「なんでって、荷物持ちが欲しかったからだけど」



 三笠からの無言の圧力から逃げ、杏と共に病院を出た拓斗。

 17時を過ぎた頃に乗るバスには、まだ空席が目立つ。




「荷物持ち?」

「そっ、荷物持ち。前に拓斗くん家に行ったとき食材が無くなりそうだったから、そろそろ買い物に行かないとなって思ったの」

「あれ、そうだったか?」

「そうだったの。まったく、私がちゃんと見ていたからいいものの、もし気付かなかったら拓斗くん、食べる物がないーって泣いちゃうところだったよ?」




 隣に座る杏はブツブツと文句を言い始め、拓斗は「すまない」と謝ることしかできなかった。




「……で、検査はどうだったの?」

「検査? まあ、問題ないってよ。今日は少しだけど走ることもできた」

「ほんと? 良かったね!」

「ああ」




 返事をして、窓の外に顔を向ける拓斗。

 窓に映る杏の笑顔とは対照的に、彼女に隠す自分の顔は暗い。




「どうかしたの?」

「いいや、別に。それで、買い物はいつものスーパーでいいのか?」

「うん、あそこで。今日は鶏肉が安かったんだよ。ほら見て見て!」




 スマホで撮ったスーパーのチラシを見てはしゃぐ杏。

 制服を着ているが、その姿はまるで主婦そのものだった。


 それから二人は近所のスーパーで買い物をする。

 何の食材が安いとか、何の料理を作る為にどの食材が必要だとか、あと茶々の機嫌を取る為に杏がちゅーるを拓斗には内緒でカゴに入れたりとか。

 拓斗はただカゴを持って彼女の一歩後ろを歩くことしかしない。それが二人の最も適したバランスだ。


 そして帰り道。

 二人は公園の側を歩いていた。

  


「あっ」



 サッカー場でサッカーをする子供たちを見て、杏が声を漏らす。



「まだサッカーしてる。もう真っ暗なのに、私にはボールが何処にあるのかうっすらとしか見えないよ」

「たぶんあいつらもギリギリ見える程度だろうな」

「ふーん、そうなんだ。拓斗くんも子供の頃とか、あの時間まで公園で遊んでたの?」

「小学生の頃はな」



 たぶんこれが、久しぶりに杏とするサッカーの話題だと思う。

 段ボールの中を聞いたあの時から、彼女はサッカーという話題に触れてこなかった。

 サッカーの思い出も、いつ復帰するのかも、彼女は何も聞かない。

 おそらく気を使ってくれているのだろう。だから不意を突かれる形になって、内心では慌てた。

 平然を装って返事ができたのは、明るさがなくお互いに顔を見合わせていないからだろう。



「中学生のときはあれか、学校の照明とかでもっと遅くまで練習してたもんね」

「いや、俺の通っていた中学校に照明はなかったよ。そこまで部活に気合入れた学校じゃなかったからな」

「そうなんだ。したっけ暗くなったら部活は終わり?」

「俺も部活に入ったときはそう思ったけど、顧問と副顧問はやる気に満ち溢れていてな……グラウンドに車持って来て、そのライトで照らして練習を続けさせられたな」

「えっ、ライトで? それ眩しくないの?」

「めちゃくちゃ眩しい。場所的には……ほら、あそことそこに二か所ずつ車を置いて」



 グラウンドの4時方向と8時方向を指差して伝える拓斗。



「で、両サイドからグラウンドを照らすんだよ。車のライトとボールが重なったら最悪だったな」

「へえ、大変だね。私だったらムカついて車にシュートしちゃうかも!」

「部員の中にもそういう考えの奴はいたけど、車に当てたらめちゃくちゃ筋トレさせられてたな」

「ありゃりゃ、罰ゲームだね」

「そうそう」



 拓斗は笑いながら語る。

 怪我をしてからというものの、サッカーについて思い出すと苦しかったのに、杏とこうして懐かしむようにする会話はどれもこれも楽しかった。


 不思議だ。

 ただ話せば話すほど、思い出せば思い出すほど、苦しみは薄れて明るさが戻ってくる。

 彼女は、本当に不思議な存在だ。



「なあ、杏……」

「ん?」



 だからふと、思ったことを聞いた。



「俺がまたサッカーやるって言ったら、嬉しいか?」

「え……?」



 隣を歩いていた彼女が足を止める。

 そして振り返った拓斗も足を止め、再び歩き出した彼女は遠くの空を見つめた。



「嬉しい、かな……? だけど苦しんで続けるのは、嬉しくない」

「苦しんで?」

「そっ。さっきみたいに楽しそうにサッカーの話をする拓斗くんならいいけど、まあ……なんだろ、上手く言えないけど、嬉しいけど嬉しくないかも?みたいな」

「……なんだそれ」



 よくわからないが、要するに拓斗が楽しんでいれば嬉しいけど、楽しんでいなかったら嬉しくないということだろう。

 結局のところ、決めるのは拓斗本人ということか。



「明日、さ……」

「うん」

「サッカー部、久しぶりに見に行こうと思うんだ」

「……そっか」

「プレイはまだできないけど、一歩前に……気持ちの部分で一歩前に、みたいなさ」

「……うん」



 杏は短い返事しかしなかったが、隣を歩いて、話を聞いてくれた。

 お互いに下を向きながらする会話。顔を見合わせてはできない、少し変わった会話。



「頑張って。だけど、無理しないで」

「ああ、わかってる」


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