第20話 忙しい
杏はドヤ顔で言った。
「……はあ」
「ちょっと、露骨にため息つかないでよ!」
「だってお前……」
何か隠しているだろうなとは思っていたが、まさかここが実家だとは想像していなかった。
ただそうなってくると、いくつか頷ける理由があった。
杏が紹介してくれたお店であり、なぜか名字ではなく名前で自己紹介する夫婦。そして店長の謎の敵対心。
要するにこれは、杏の──娘のコネ入社のようなものなのか。
「なんで隠してたんだよ」
「だって拓斗くん、言ったら絶対にうち受けてくれなかったでしょ?」
「それは……まあ、そうだな」
「だから内緒にしたの」
「バイトの件、無理に頼んだとかじゃないよな?」
「ううん、朝が忙しいのは事実だもん。だからパパもママもいいよって」
杏が後ろを振り向くと、物陰に隠れていた奥さん──いや、杏の母親の菜琴はにこにこと笑顔を浮かべていた。
「内緒にしていてごめんね。杏ちゃんからどうしても秘密にしてって頼まれていたの」
「ふっふっふーん。拓斗くん全く気付いてなかったね。さすがママ、演技派女優だよ!」
「ふふっ、それほどでもないわ」
親子の楽し気なやり取り。
それを眺めていると、ふと、視界に旦那さん──杏の父親がこちらに視線を送っているのがわかった。
「……パパは下手くそ!」
「そ、そんなことないぞ? パパだって、杏の為に頑張ったんだ」
「えー、本当に……?」
ジト目で見られ、巨漢があたふたし始めた。
どうやら見た目とは違い、父親は妻と娘には弱いのだろう。そして娘を溺愛しているのだろう。
恭史郎は拓斗に視線を送る。
「な、なあ、白石くん?」
「え、はあ……」
助けてくれ、という視線だろう。
拓斗が頷くと、杏は「ふーん、まあいいけど」と話を流した。
「それより、そろそろ5時になるから。はい、これ着けて」
杏に赤色の生地の前掛けを渡された。
黒のTシャツ、ジーパン、そして店名の書かれた前掛け。これが琴杏ラーメンの制服だ。
「拓斗くんはここ。今日は料理を運ぶのと、下げるのだけお願いね」
「ああ、わかった」
恭史郎が一人で厨房に立ち、無言でこちらを見ている。
菜琴は微笑みながら、同じく拓斗と杏を無言で見つめている。
杏は隣に立っていろいろと教えてくれているが、二人からの無言の圧が凄くて、自然と額から汗が流れる。
そして5時前。
既にお店の前には三人ほどお客さんが待っていた。
「……杏、もう開店していいぞ」
「はーい。じゃあ開けるねえ。──おはようございます! どうぞ!」
明るい挨拶と共に、拓斗の初めてのバイトが始まった。
♦
「──疲れ、た」
5時に開店して7時に一旦閉店する。
次にお店が開くのは11時になってからで、それまでお店は休憩時間だ。
「おつかれさま。お客さん、いっぱい来てくれたでしょ」
「ああ、朝の営業だからって舐めてた……」
最初のお客さんである三人が入ってから、また一人、また一人と来て、気付いたら開店から五分でカウンター席もテーブル席も満席となった。
杏と菜琴が慌ただしく注文を聞き、恭史郎が料理を完成させる。拓斗も邪魔にならないよう注文を聞いたり配膳したりとやれることはやった。
ただ三人の邪魔にならないようにするのが精一杯で、気付けば皿洗い担当となり、あっという間に二時間が経った。
拓斗は最後のお客さんが帰るなりカウンター席に座って水を飲む。
皿洗いでしわしわになった手の平を見つめ、ガチガチになった腰を反らして伸ばす。疲れから顔はげっそりしていたが、隣に座る杏はいつも通り明るい。
「朝は毎日こんな感じだから覚悟していてね」
「マジか」
「暇なのに、新しくバイト雇うわけないでしょ?」
「確かに……。ってか、杏はなんていうか、慣れてたな」
「まあね。手伝い始めたのは中学生のときからだったかな。朝は毎日で、放課後とか土日も忙しいときはお手伝いしてるの」
「なるほど、これが前に言っていた”家の手伝い”か」
杏の手料理をご馳走してもらったときに、よく彼女は家の手伝いをしていたら料理は得意だと言っていた。
家が料理屋で、中学生の頃から手伝っていたのなら、あの腕前にも納得だ。
「ふふん、偉いでしょ」
腰に手を当てドヤ顔する杏。
この顔はいつもよくする褒めての顔だ。
「ああ、偉いな」
普段なら無視するが、素直に思った言葉を口にする。
そんな大変なのに自分の家に来て料理を作ったりしてくれていたのかと、少し申し訳なく感じたが、口には出さなかった。
それを言っても、彼女はきっと「好きでやってることだから平気」と言うだろう。
「もっと褒めて」
「一回で十分だろ」
「そんなぁ、もっと褒めてよ! 拓斗くんが褒めてくれることなんて月一程度なんだから!」
「お前……俺をどんな奴だと思ってんだよ」
「えっと、女心をわかってないダメ男?」
「おい」
「──はいはい、二人とも、ご飯できたわよ」
菜琴に言われ、杏は「はーい」と厨房へ小走りする。そして戻ってくると、お皿を持っていた。
どういうことかわからずにいると、厨房から顔を出した恭史郎が拓斗を見て、
「おい、朝飯作ったから食ってけや」
♦
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!!!
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