第19話 初日
「疲れた」
面接を終わって真っ直ぐ自宅に帰ると、拓斗は制服のままベッドに倒れる。
あの後、バイトには正式に採用された。
それが良かったのか悪かったのかはわからない。ただ普通のバイト先とはどこか違う、そんな気がした。
「初対面、だよな……?」
琴杏ラーメンを営む恭史郎、菜琴夫妻とは初対面のはずだ。
サッカーの試合で向こうは見たことがあると言っていたから、向こうからしたら自分は知っている人物なのだろう。
ただ対応が……特に旦那さんの恭史郎の対応が、謎の敵意を向けられていた。その理由は結局のところわからなかったが、奥さんの菜琴さんは優しい印象を受けた。
「笑顔が怖いけど」
たまに見せる本性というか裏の顔というか、それは怖かった。ただ少しだけ仕事のことを教えてもらったときの菜琴の対応は優しく、わかりやすかった。
恭史郎は苦手な感じだが、菜琴がいるならまだ働きやすいだろう。
「っと、メッセージ返すか」
拓斗は部屋の電気を付ける。
そして目に付いたのは、じーっとこちらを見つめる茶々の姿だった。
「その前にエサやるからな」
『にゃあ!』
拓斗が疲れていたから気を使ってくれたのか。いや、それはないか。ただ今まで寝ていて、電気が付いて目を覚ましたのだろう。
カリカリと呼ばれる固形のエサを皿に入れると、茶々は寄ってきて、拓斗をジッと見つめる。
まるでまだ何かを求めているようだった。
「もしかして、ちゅーる欲しいのか?」
『にゃあん♡』
「今日はもう無し。昼あげただろ?」
『……にゃあん♡』
「可愛い声で鳴いても、杏と違って俺は騙されないぞ」
『……ぷい』
茶々は諦めたのか、カリカリを食べ始めた。
「まったく、杏が甘やかして毎日あげるから」
大きくため息をつき、拓斗は彼女にメッセージを送った。
『受かった。明日の朝から来てくれだって』
メッセージを送って少し経つと杏から電話が来た。
「もしもし」
『もしもし、おめでとう!』
「ああ、ありがとう。ただ少し……やっていけるか不安だけどな」
『え、何かあったの?』
「ちょっとな。なんか店長さんに嫌われてるっぽくてさ」
『嫌われてる? 面接のとき何か変なことしたの?』
「いいや、特になにも。ただいきなりキレられた」
『……ふうん、そうなんだ』
「杏? どうかしたのか?」
杏の声のトーンが急に低くなった気がして聞くが、すぐに『ううん、なんでもないよ』と元の杏に戻った。
『それにしてもまさか、今日面接受けて明日からもう働くなんて思わなかった。拓斗くんから言い出したの?』
「ああ、なんとなく日にち空けたくなかったからな」
『なんで?』
「バイトなんてしたことないから、間が空けば空くほど行く気が無くなるっていうか……まあ、そんな感じかな」
正直なとこ、時間が空けばあの店長と会いたくないという気持ちが強くなってしまいそうだからでもあるが。
『そっか。でも朝早いよ、拓斗くん起きれる?』
拓斗が受けたのは普通のラーメン屋のバイトとは少し違う。
学校終わりからとか、土日限定とかではなく、早朝からのバイトだ。しかも短時間という、なんとも不思議なバイト時間。
朝の五時から七時までの二時間だけで、終わったらそのまま学校に行く。
どうしてそんな時間帯のバイトを杏は紹介したのかはわからないが、拓斗としても、学校帰りから夜遅くまでや土日にバイトとかよりはこっちの方がいい。
「怪我する前はその時間から練習してたり走ったりしてたから問題ないだろ。問題があるとすれば……匂い、とかか?」
『ラーメン屋だからってこと? そこは安心していいよ。朝提供するのは醤油と塩のあっさり系のラーメンだけで、服とかに匂い付かないから。それにシュッシュッて消臭剤かければ大丈夫!』
「そうなのか……って、なんでそんなこと知ってるんだよ」
『え、ああ……っと、まあ常連だからね! お店の人が言ってたの』
と、杏は少し動揺しながら『明日の朝は早いからもう寝てね、おやすみ!』と一方的に電話を切られてしまった。
「なんだ、あいつ」
まあ、彼女の言うように明日はバイト初日だ。遅れないように早く寝ることにした。
♦
平日、朝の五時から十五分ほど前。
拓斗はお店の前で大きく深呼吸してから扉を開けた。
ガラガラと音が鳴り、店内では既に店長の恭史郎とその奥さんの菜琴が制服姿で準備していた。
「おはようございます!」
「おはよう、白石くん。無事に起きれたみたいで安心したわあ」
「なんとか。えっと……」
店長の恭史郎に視線を向けると、強面の店主は作った笑顔を浮かべ、
「白石くん、おはよう! 今日からよろしくね!」
爽やか風な挨拶をされた。
拓斗は意表を突かれ「は、はい、よろしくお願いします」と返すと、菜琴に店の奥へ案内された。
ここはお店と自宅が一緒になっている店舗で、連れてこられたのはおそらく自宅のリビングだ。
「えっと、店長どうかしたんですか……?」
「ふふふっ、昨日ね、とーっても怒られたみたいなの」
「怒られた?」
誰に?
という疑問符を頭上に浮かべていると、菜琴から制服であるTシャツを渡された。
「とりあえず更衣室としてここを使って。エプロンとか仕事に必要なものは後で渡すから、着替え終わったら呼んでね」
「わかりました」
リビングの扉が閉められる。
制服をハンガーにかけTシャツを着て、持ってきていたジーパンを履く。
準備はできた。拓斗は扉を開け、菜琴を呼ぼうと顔だけ出した。
「すいま……」
すると、なぜか扉の横に見慣れた彼女が立っていた。
「……は?」
「おっ、拓斗くん似合ってるね!」
「え、はあ? なんでお前、ここに……」
同じく黒のTシャツにジーパン姿の杏が、なぜかそこにいた。
そして彼女は正面に立ち、にっこりとした笑顔を浮かべた。
「実はここ、私の家でした!」
♦
今年、最後の更新です。
また来年、明日からよろしくお願いします。
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