第18話 面接ではない
恭史郎から明らかな敵意を感じた拓斗。
年齢は奥さんの菜琴よりもおそらく十は上だろう。髭を生やし、渋いというよりは、いかつい雰囲気がある。
店のオリジナルである黒Tシャツにジーパン。
黒のTシャツのサイズが間違っているのか、それとも筋肉を自慢したいからあえてサイズの小さいのを着ているのか、それはわからない。ただ胸板がぴちっとしている。
「……あなた」
「──ッ!?」
シーンとした空気の中。
先程よりもどこか冷気のようなものを感じる菜琴の声が聞こえたと同時に、恭史郎の体がビクッと大きく反応した。
「せっかく面接に来てくださった白石くんに……失礼ですよ?」
「だがお前、俺は──」
「──あの子との約束、忘れたのですか?」
菜琴の細目が微かに開き、恭史郎を射抜く。
巨漢の額からは汗が流れ出し、それから少しして、テーブルに手を突き拓斗に頭を下げた。
「す、ま……な、い……」
「えっと……」
「あなた……?」
言葉では謝っているが目元は謝っていなかった。まるで渋々といった感じの謝罪に、菜琴が再び声を発する。
するともう一度、拓斗は謝られた。
何が起きているのかわからず、拓斗は困り顔を浮かべた。
「それじゃあ気を取り直して、履歴書を見せてもらってもいいかしら?」
「えっと……はい」
もしも可能なら履歴書を渡したくなかった。
なにせ初対面で店主にキレられ、夫婦は謎の会話を先程からしているのだ。こんなところで働けるとは思わない。
だから今すぐにでも帰りたかった。だが菜琴はそうさせまいと笑顔のまま、両手を前に出していた。
怖い。
わからないけど直観でそう感じた。
そしてもう引き返すことはできないだろう。
拓斗は履歴書を菜琴に手渡した。
「はい、あなた」
「……ああ」
夫婦間の上下関係はなんとなく理解した拓斗は黙ったまま、二人が履歴書に目を通すのをジッと待っていた。
「東京から一人暮らしなんて凄いわねえ。一人暮らし、大変じゃない?」
「大変ですけど、今のところなんとか」
「そう、偉いわね。ねっ、あなた?」
「……」
恭史郎は無言のまま、真剣な眼差しで履歴書の一点を見つめていた。
おそらくそこは、これまでのサッカーをしてきたことが書かれた項目だ。
「……怪我、いつになったら治るんだ?」
「えっと、歩くだけならもう。走るとなると──」
「──違う。サッカーができるのは、いつになるんだ?」
「それは……」
怪我が治り前のようにサッカーができるようになるのは一年後だ。ただ一年後にまた、サッカーができるかどうかはわからない。あくまで心の問題だ。
「医者には、完治するまで一年かかるって言われました」
「一年、か……。じゃあ進路は?」
「進路、ですか……?」
「そうだ。この経歴を見るかぎり……あれだろ、プロになれる実力はあったんだろ?」
「え……?」
拓斗はすぐに返事ができなかった。
なにせ履歴書に書いた経歴を見ただけでは、プロになれる実力かどうかはわからない。
どういうことだろう、そう疑問に思っていると、菜琴が「こほん」と咳払いをする。
「実は私たち、白石くんが活躍していた試合を見たことあるのよ。ねっ、あなた?」
「なに?」
「ねえ、あなた?
「あ、ああ……そうだな」
「それでその場にいたファンの子たちが、そんな噂しているのを耳にしてね。だから夫はそう聞いたんだと思うの」
「そうだったんですか」
恭史郎の反応は少し気になったが、菜琴の話を聞いて拓斗は納得した。
「それで、進路は何か考えているの……?」
「進路は、その……。まだ、迷っていて」
「迷う? 何に迷うことがあるっていうんだ? そんな才能があんなら──」
「──あなた」
ピシッと恭史郎を止める菜琴。
「白石くんの抱える悩みは、私たちが聞いてもわかってあげられないものかもしれない。だからここでは聞きません」
「……」
「ただ何もしないよりも、ここでバイトした方が選択肢は増えると思うわ」
「選択肢、ですか……?」
「ええ。ラーメン屋でのバイトだけど、厨房内を歩くし、重い荷物も持つ。部屋でジッとしているよりも体を動かすことができるから、白石くんが抱える悩みが晴れたときに選択する支えになるかなって、そう思うのよ」
サッカーを続けるにしろ、辞めるにしろ、ここで働くことにも意味がある。
もしもサッカーを続けるという選択肢を選んだなら、家でジッとしているよりも体を動かした方がいいし、辞める選択肢を選んだならここで働いた経験は社会経験として生きる。
それを、菜琴は言いたいのだろう。
「ただ、これだけは覚えていてほしいんだけど」
菜琴は履歴書を置き、拓斗をジッと見つめる。
「あなたの復帰を待っているファンも、いるんじゃないかな?」
「ファンですか?」
「そう。白石くんイケメンだから、今までファンの子たちに言い寄られたりしたんじゃない?」
「なにッ!?」
ずっと黙っていた恭史郎が反応したが、それを菜琴が無言の圧で制止する。
「えっと、確かに試合とか見に来てくれる女子もいましたけど……サッカーしか興味なくって」
「あらあら」
「けっ!」
菜琴は何処か楽し気に、恭史郎は苛立ちながら。
自慢のように聞こえるかもしれないが、拓斗の言葉は本心からの言葉だった。
恋人はサッカー、なんて言う気はないが、それでもサッカー一筋で生きて来たのは事実だ。
「……じゃあ、今もそうなのかな?」
菜琴は首を傾げ、拓斗に問いかける。
今か。ふと考え、パッと出て来たのが杏の笑顔だった。
だからそのまま、思ったことを口に出した。
「今は……わからないですけど、ただ一緒にいて楽しい女子は──」
「──うんうん」
にんまりとした菜琴と目が合い、拓斗は言葉を止めた。
自分は初対面の相手に何を言っているんだ。
そう考えると、急に恥ずかしくなった。
「やっぱ、なんでもないです」
「ええ、最後まで教えて? 一緒にいて楽しい子がいるのね。その子はどんな感じの子なのかな?」
「いや、なんでもないです。聞かなかったことにしてください」
「ううん、もうダメ。聞いちゃったもの。だから教えて? その子はどんな子で、どういうところが──」
──ドンッ!
急に恭史郎がテーブルを叩き、立ち上がる。
その目元からは、なぜか涙が流れていた。
「お前は、クビだああああああああッ!」
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