第16話 バイト



 ──五月ももう終わる頃。



「拓斗くん、バイトしてみない?」

「バイト?」



 拓斗の家にて。

 今日も遊びに来ていた杏。


 登別クマ牧場、そして旅館での温泉を経て、前以上に拓斗の家に来るようになった杏。

 今までは土日のどちらかに来る程度だったのに、今では土日だけでなく平日まで家に来るようになった。


 そして気付くとこの家、彼女の私物が異様に多くなっていた。

 エプロン、スマホの充電器、座布団に茶々との遊び道具などなど。

 最初は持って帰れと言っていた拓斗だったが、何度も彼女に流されていつの間にか言わなくなっていた。

 むしろ杏が家に置いていく私物を、拓斗は何も考えずに使うほどにまで浸食されてしまった。


 そして現在。

 杏の定位置となったベッドは今日も占領され、その隣には茶々が当たり前のような顔で寝ている。

 家主である拓斗はというと、これもまた杏が持ってきて置いて行った私物である、人をダメにするクッションを気に入り、彼女が遊びに来るときはここが拓斗の定位置となっていた。



「バイト。拓斗くん、ご両親からの仕送り困ってるんでしょ?」

「……なんでそれを」

「だってゴミ箱に入ってたお弁当、明らかに前よりも値段落ちてるもん」

「おい、ゴミ箱の中を勝手に物色するな」

「だったらゴミの分別してよ。誰がゴミの分別して、忘れないように縛って、ゴミ投げまで行ってあげてると思ってんの?」

「……」



 杏の言うように、仕送りに関して困っているのは事実だ。


 理由としては三つ。

 一つはお弁当代にお金を使い過ぎたこと。

 これに関しては杏が来るようになって出費が減ったから問題ないが、五月の前半でお弁当やパンに頼ったのが響いたのだろう。

 もう一つが、杏と行ったプチ旅行代だ。

 拓斗は杏に問題ないと言ったが、これも大きく家計に響いた。もちろん彼女に言ってはいない。言ったら気を使わせてしまうだろうからだ。

 ただこれに関しては杏も口には出さないだけで、気にはしているのだろう。拓斗に気付かれないよう彼女が自分のお金で食材を買ってきて料理していることを拓斗も知っている。


 そして最大の理由が、元からそんなに仕送りを貰っていないことだ。

 両親への申し訳なさから最低限の出費の金額しか貰っていないので、こうなることは当たり前だった。

 六月になったらまた仕送りを振り込んでもらえるが、かなり厳しい生活になるのは目に見えている。


 なので杏の提案を適当に流すことはしなかった。



「バイトか……やったことないし、この足だとな」



 歩けるようになったが走るのはまだ難しい。そんな状態で働かせてもらえるバイトなんて無いだろう。

 すると杏は「そんな拓斗くんにお知らせがあります!」と勢いよくベットから起き上がり、バックから何かを取り出した。



「実はね、ラーメン屋さんが求人出してたの」

「ラーメン屋……?」

「そうそう。ここ昼夜はバイト募集してないんだけど、朝ラーメンっていうのを二時間だけやっていて、それの募集はしていたの。それぐらいの時間ならいいんじゃないかな?」



 テーブルに置かれたのは、白の紙にマッキーで書かれた求人募集の案内と、コンビニなんかで売っている履歴書だった。

 おそらく最初からこういう話題に持って行く予定が杏の中にはあったのだろう。随分と用意周到だ。



「……何か、企んでないか?」

「え? ううん、何も」

「……本当か?」

「ほんとほんと! ほら、試しに面接だけでも受けてみよっ、これも社会勉強と思って!」



 強引な手法で杏が何か隠しているのは、この一ヵ月の付き合いでよく理解していた。

 ただ確かに、このまま何もせず高校三年生という一年間を過ごすべきか、拓斗自身悩んでいた部分もあった。

 サッカーを復帰するという選択ができないのなら、別のことにも挑戦しないといけないと。



「拓斗くん!」



 急に大きな声を出すと、杏は横になっていた茶々を抱きかかえる。



「このままだと茶々のエサも買えなくなって、この子が露頭に迷うことになるよ! それでもいいの!?」

「いや、それは問題ないと思うが……」

「茶々が露頭に迷っても問題ない!? 聞いた、茶々!? 明日からちゅーる食べさせてもらえないって!」

『にゃあ!?』

「そうじゃなくて、露頭に迷うことはないってことだ」



 杏と茶々に見つめられ、拓斗は大きくため息をつく。



「わかった……。ただ面接のとき、この足で働いて迷惑になるって言われたら辞めるからな?」

「ほんと!? 良かった、そこは大丈夫だから安心して!」

「ん、なんで言い切れるんだ?」

「え、ああ、なんとなく、勘で! ねえ、茶々! 今日も明日もちゅーる貰えるって!」

『にゃあん……っ♡』

「毎日ちゅーるは無理だ……あれ、高いんだから」

『しゃあッ!』



 気乗りはしないが、杏に強制されているという感覚はない。なにせ彼女に引っ張られて後悔したことがないからだ。

 何も知らない景色を彼女は連れて行ってくれる。

 不安はあるが、それでも少しだけ楽しみではあった。



「じゃあ拓斗くん、さっそく履歴書を書いていこう」

「ああ。って言っても、どう書けばいいんだ?」

「それは私が教えるから大丈夫。あっ、履歴書に貼る証明写真も撮らないと。後でスーパー行くとき、ついでに撮ってこよっか」

「あそこにあるのか」

「一階の自販機の隣にあったはず。ほらほら忙しくなるから、ちゃちゃっと書いちゃおう! 茶々も応援してるって!」



 杏に教えてもらいながら、拓斗は初めて履歴書を書いていくのだった。

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