第10話 いざ、クマ牧場へ!



『──の・ぼ・り・べ・つ! といえば、クマ牧場!』

「クマ牧場!」

『愉快な仲間が、楽しい仲間が、Yeah! みんな待てるぜぇ! ここは登別?』

「クマ牧場!」



 日曜日の朝。

 まだ7時過ぎだというのに、部屋の中は騒々しかった。



「ねえねえ拓斗くん、準備まだ?」

「……もうできてる。杏が動画に夢中になってたんだろ」



 茶々の体に顔を埋めながら、杏はスマホでとある動画を見ていた。

 どうやら茶々は鬱陶しさからくる反抗よりも諦めを選んだらしく、眠たそうな目でスマホの画面を睨んでいる。



「というより、さっきの音楽なんだよ」

「音楽というよりも北海道で流れているCMなの、これ。聞いたことない?」



 首を左右に振ると、杏にそのCMを見せられる。

 熊が手招きしたり転がったりと、歌だけでなく映像もかなりインパクトがあった。



「そして、今日これから行く場所がここなのです!」



 数日前、病院から帰る途中に杏から誘われた。


 ──今週の日曜日さ、お出掛けに付き合ってほしいんだけど。どうかな?


 近所への買い物に付き合うとかその変だろう、そのぐらいの感覚で聞き、頷いた。

 彼女にカレーを作ってもらった日から何度か料理を作ってもらったという多くの借りがあるし、そもそも拓斗に予定なんて一切ない。


 リハビリも兼ねて……と。

 が、杏から目的地を聞かされて絶句した。



「まさか、登別まで付き合わされるとは思わなかった……」



 登別は二人が住んでいる札幌から南へ、およそ1、2時間ほど列車でいったところにある。

 近所へ買い物に行くといったレベルではなく、これはプチ旅行だ。



「まあまあ、リハビリだと思って」



 いつの間にか家に置かれていた杏の充電器からスマホを外すと、二人は茶々に「いってきます」をして部屋を出る。


 病院で言われた通り、数日前から松葉杖を使わずに歩けるようになった。

 痛みもなく歩くことには問題はない。とはいえずっと歩いていなかったから体が鈍っているのだろう、前までのような速さとはいかず、歩く速度はゆっくりになってしまう。

 そんな拓斗の隣を、杏も合わせてゆっくりと歩いてくれていた。



「で、その登別にあるクマ牧場ってそんなに人気なのか?」

「実は私も行ったことないんだよね」

「そうなのか?」

「CMではよく見たり、話しではよく聞くけど、実際に行ったことはない場所……なのが北海道あるあるだよ。というより北海道ってでっかいから、北海道人でも行ったことない場所ばっかなのさ」



 拓斗が北海道に引っ越してからまだ二年ほどだ。

 サッカー部の遠征で札幌近郊へは行ったことがあるが、それらはバスで小一時間ほどで行ける距離であって、北海道の中でもほんの一部だ。

 北海道生まれの者でも、北海道中を観光して回るなんてことはないか。



「行ってみたい! って思ってもなかなか行けない場所ばっか。クマ牧場もその一つかな」

「なるほど。だが久しぶりだな、遠くに旅行へ行くのなんて」

「そうなの?」

「ずっとサッカー部の練習で忙しかったから、旅行なんてする暇なかったからな」

「へえ、じゃあ今日は久しぶりの旅行になるんだ。晴れて良かったね」

「だな」



 五月の北海道の朝は少しだけ肌寒い。

 ただ天気は良く、お昼ごろになればもう少し温かくなるだろう。


 バスで移動した二人は札幌駅へ到着した。



「そういえば、登別までってどうやって行くんだ?」

「えっと、八時三十分にJRが来るから……あっ、あれ乗って行くんだよ」



 杏は電光掲示板を指差す。



「時間まで後、三十分か……。そういえば杏、朝ご飯って食べたか?」

「ううん、朝早くて食べてこれなかった」

「じゃあ何か買っていくか。俺もまだだし」

「そうしよっか。いろいろ支度してて、茶々のご飯は用意したけど自分たちが食べるの忘れてたね」

「茶々は朝飯あげないとすぐ怒って、ベッドに侵入して暴れてくるからな。忘れることがない」



 列車はもうホームに到着しているだろうから、軽く何か買って行くとしよう。

 二人はコンビニへ行き、おにぎりやサンドイッチ、それに飲み物を買ってホームに向かう。



「階段は、少し疲れるな……」

「大丈夫?」



 一歩、また一歩とゆっくり階段を上る。

 歩くのは歩幅や速度を考えてなんとかなるが、階段は息が上がる。



「やっぱり、まだ出掛けるの早かった……?」



 階段を上りきると、杏は不安そうな視線を拓斗に向ける。

 無理に連れて来たと思って申し訳なく感じているのだろう。

 彼女らしくない。そう思い、拓斗は前を歩く。



「ただの運動不足だから気にするなって」

「でも……」

「それに、こうして杏に誘われなかったら出掛けることもなかったんだ。いいリハビリになって感謝してるぐらいだ」



 そう伝えると、杏ははっきりと見てわかるほど安心した笑顔を浮かべた。



「意外と空いてるな」



 列車に乗ると、二人の他には数人ほどしかおらず空席が目立つ。



「まあ、まだ朝の八時だからね。はいどうぞ」

「ん、ありがとう」



 拓斗はサンドイッチを、杏はおにぎりを食べる。



「拓斗くん、パンフレット見る?」

「持ってるのか」

「うん、家にあったから持ってきたの」



 軽く食事をしながらパンフレットに目を向ける。



「なんか、凄い個性的なパンフレットだな……」

「これぞクマ牧場!って感じで凄いよね。動画とかでも見たけど、迫力あるんだけどどの子も可愛めんこかったよ」



 クマ牧場なんだから当たり前だが、パンフレットのどこを見てもクマクマクマだ。

 すると、隣に座った杏がこちらに寄りかかり顔を覗かせる。



「だけど実は、ここにいる動物はクマだけじゃないんです」

「そうなのか?」

「なんと、アヒルもいるのです! しかもアヒルレースが開催されるの!」

「アヒル、レース……?」

「そうそう、ほらこれ」



 杏に指差され見ると、確かにアヒルレースという名前が載っていた。



「ねっ、面白そうでしょ?」

「確かに……ってか、クマ牧場に行くのにロープウェイで行くのか」

「みたいだね。あれ、もしかして高いのダメ?」

「そういうわけじゃないが、乗ったことないからな……」

「ワクワクするでしょ?」



 拓斗を見つめる杏の笑顔。

 一番ここへ行くのが楽しみなのは、きっと彼女の方だろう。もちろん拓斗もそうだが。

 そして二人は、登別に到着するまでパンフレットを食い入るように読み続けた。










 ♦







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