第9話 メッセージ


 ──あの日から数日。

 拓斗の生活は少しだけ変化していた。


 大勢の生徒でごった返す靴置き場。

 拓斗は松葉杖を置いて座り込み、靴を履き替える。



「白石くん、また明日」

「じゃあな、拓斗!」

「ああ、また」



 ずっと抜け殻のような学校生活を送っていた拓斗だったが、クラスメイトたちが少しずつ話しかけてくるようになった。

 おそらくは、拓斗自身の持つ空気の問題だろう。

 いつも席に座ってボーっとしてる拓斗だが、たびたび休み時間に杏が遊びにくるようになった。

 最初の頃に比べて仲良さそうに話している二人を見て、周囲の者たちが、拓斗への対応を変えたのだろう。


 友達と呼ぶにはほど遠いものの、それでも幾分かは気が楽な生活になった。



「……」



 けれど学校生活で、いつになっても慣れないことがある。

 それは玄関を出て右手の道を進んだ先にあるサッカー部の練習場への道を見ることだった。


 大怪我を負った日から、練習場だけでなくサッカー部にすら顔を出したことがない。

 サッカー部の者からは顔を出せと催促されていたが、顔を出すのを躊躇ってしまっている。

 それはたぶん、未練があるからだろう。

 青春を過ごしていたあの場所に行けば、走れない左足が疼き、悔しくて苦しくて仕方ない。


 拓斗はサッカー場を背に歩き出す。

 向かった先は、拓斗が前まで入院していた病院だった。


 今日は検査の日だ。

 この松葉杖の生活がいつ終わるのか。いつになったら歩けて、いつになったら走れるのか。

 そしていつになったら、またサッカーができるのか、それを知る検査だ。



「……よし、だいぶ良くなってきたかな」



 先生が拓斗の脚を見て何度か頷く。



「痛みも、もう大丈夫そうだね?」

「はい、痛みはないです」

「経過も良好。ゆっくりとだが、もう歩くのも問題ないだろう。良かったね」



 リハビリもしていたから、拓斗自身、そろそろ松葉杖とはさよならできると感じていた。

 


「走れるようになるにはまだ時間がかかるけど、このままリハビリを続けていれば直に良くなるだろう。そうすれば、また前みたいにサッカーができるはずだよ」



 先生の言葉を聞いて、拓斗は苦い表情を浮かべる。

 その表情で何かを察したのか、先生はジッと拓斗を見つめる。



「サッカーを続けるの、怖いかい?」

「怖い、というのもありますが……それよりも、こんなに長くサッカーから離れたら、もう」



 拓斗が怪我したのは今回が初めてだ。

 高校生で、しかも集大成とも呼べる三年の時期に大怪我を負ってしまった。

 怪我を負ったときの痛みなんかの記憶は、今も悪夢として拓斗を苦しめ続けている。

 だがそれ以上に、プロへの道、そのレールから外れたことが辛かった。



「僕もここで、多くのスポーツ選手として活躍している患者さんと接してきたよ」



 先生は眼鏡を外すと、窓の外を見つめる。



「その多くが、医者である僕には経験したことのない、様々な悩みを抱えていた……。君みたいに、最も自分の価値を示さなくちゃいけない時に怪我を負ってしまった方もね」

「……」

「だけどね、高校在学中に活躍して、卒業したらすぐプロにならないとその道が断たれた……なんて思わないでほしい。卒業して一年後にプロになった選手も、大学に進学してからプロになった選手もいる。その道に進むのに早いも遅いもないと……僕は思うよ」



 医者としての経験で話してくれているのだろう。

 拓斗の年齢で夢を諦めるには早すぎる。それは本人も理解している。来年でも、怪我が治ったらまた。

 だがこれが、拓斗にとって初めての大怪我であり、挫折だ。最初の挫折にしては大きすぎた。



「……考えて、おきます」



 もしも怪我が治ったとして、これまでと変わらないパフォーマンスを発揮できるだろうか?

 もしも怪我が治ったとして、これから先の人生でここまでの怪我をしないだろうか?

 もしも怪我が治ったとして、ずっと見続けているあの”悪夢”が、拓斗の邪魔をしないだろうか?


 様々な考えが生まれる。

 怪我をする前の、ただボールを追いかけていた純粋なサッカー少年には戻れない。先のことを必要以上に難しく考えて、憂鬱になる。



「もしも悩んでいることがあったら、気軽に話してほしい。もちろん僕にじゃなくても、身近にいる誰かでもいい。人に話せば気持ちが楽になることもあるから」

「はい、わかりました」



 診察が終わり、拓斗は部屋を出る。

 もう松葉杖を使わなくてもいい。これからは自分の両足で、前のように立って歩くことができる。

 少しだけ前進したのに、気持ちは暗いままだ。



「ん?」



 病院を出ると、スマホにメッセージが届いているのに気付いた。

 相手は杏だった。



『検査の結果どうだったの?』



 連絡先を交換した日から、頻繁に杏からメッセージが送られるようになった。

 その内容は彼女の暇潰しから始まり、茶々のことや食事の心配、それに学校の授業のことなど。

 そして今日、病院に行くことも話していた。

 だから心配して、メッセージを送ってくれたのだろう。


 拓斗はバスを待ちながら、彼女へ返事を送る。



『もう松葉杖なしで歩いても問題ないって』

『おお、良かったね! 走れるようになるにはまだずっと先?』

『だな。元々、完治まで一年近くかかるって話しだから』

『そっか。だけど順調に回復してて良かった。早く良くなるといいね!』



 杏とのやり取りは、会話でもメッセージでも常に明るい。だから次第に、拓斗自身も明るい気持ちになる。

 茶々と同じ感じがする。

 そんなことを考えてしまった。



『もしかしてもう、松葉杖無しで帰ってるの?』

『いや、まだ使ってる。ただ今週中には、松葉杖を使わないで歩いてみるかな』

『今週中か』



 杏からのメッセージが止まった。

 と、そこでバスが来た。

 車内は空いていて無事に座ることができた。

 ほっと一息つくと、杏からまたメッセージが届いた。



『今週の日曜日さ、お出掛けに付き合ってほしいんだけど。どうかな?』










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