第8話 狭い部屋で二人



 洗い物を終えた杏は、カーペットで横になりゴロゴロとくつろいでいた。

 窓から差し込む日の光は温かく、お昼ご飯を食べた後ということもあって二人とも眠たそうにしていた。



「そういえば拓斗くん家ってさ、テレビとかないの?」



 杏は顔だけをこちらに向ける。



「無いな」

「寮から持ってこなかったの?」

「寮生活の時から持ってなかったからな」

「えっ、寮ってテレビ完備じゃないんだ」

「実家から持ってきた奴とか新しく買った奴とかはいたけど、俺はあんま興味なかったから。もし見たくなったら、テレビ持ってる奴の部屋に行って見たりはしたかな」

「へえ、したっけ引っ越してからは家で何してんの?」

「何を、か……茶々と遊んだり、スマホ見たりとか」



 怪我してからは、一日一日が大きく変わった。

 今まではサッカーの練習ばかりで時間が足りなかったのに、今はボーっとしながら茶々と遊んだり、ベッドで横になったままスマホを見るぐらいしかやることがない。

 松葉杖の生活だから、外を出歩くということもあまりなくなった。



「……それ、暇じゃない?」

「まあ、暇だけど」

「テレビとか欲しくならないの?」

「親にはいらないって言ったし、別に……それにスマホがあれば、動画とかなんでも見れるしな」

「まあそうだけど。拓斗くんって、いつもどんなの見てるの?」

「どんなのか」



 スマホで視聴履歴を確認していると、杏がベッドに座る。



「どれどれ……」



 横に座った彼女は拓斗のスマホを覗き見る。

 距離が近い、というのは拓斗しか感じていないことなのだろうか。杏はスマホの画面をジッと見ていた。



「あっ、ネコちゃん!」



 視聴履歴にあったネコの動画を見て、杏は嬉しそうにしながら指を差す。



「そういえば拓斗くんって、実家でもネコちゃん飼ってたんだっけ」

「二匹な。北海道に引っ越してからは会えなくなったから、たまにこうして動画とか見たりしてたんだよ」

「落ち着くもんね。あっ、この動画、私も前に見た。すっごい人懐っこい野良猫の動画だよね」

「そうそう。この人の動画、他のも好きなんだ」

「どれどれ……? あっ、このネコちゃんのサムネ可愛めんこい!」



 拓斗は元は無口なタイプではない。

 好きなことになったら饒舌になるし、そういった話をするのも好きだ。

 ただ最近は、あまり誰かと話す機会がなかった。周りが距離を取っているからということもあるが、拓斗自身、そこまで他者と関わろうとしていなかったのが理由だろう。

 ただ杏とは違う。

 彼女とは会話が弾む。それはきっと、彼女が話しやすいタイプだからだろう。

 ネコの動画から始まって、次は杏のよく見る料理の動画の話しになって。何も無い狭い部屋でも、二人はいろんな動画を見て楽しい時間を過ごした。


 それから二時間ぐらい、まったりな時間を過ごした。



「それでこの動画が……って、あらら、充電なくなっちゃった。拓斗くん、充電器貸して」

「充電器ならここにあるけど。でもそれ、iPhoneだよな。俺アンドロイドなんだけど」

「え、あっほんとだ。これじゃ充電できないじゃん」



 大きくため息をつく杏。

「どうしよっかな」と考える彼女だったが、時計を見て何かを思い出す。



「って、もうこんな時間。拓斗くんごめん、家の手伝いあるから帰るね!」

「ああ、わかった」



 杏は急ぎながら帰る準備を始める。



「カレー温めて食べて。食べ終わったら冷蔵庫にちゃんと入れてね」

「わかった」

「それと冷蔵庫の中にお惣菜とか作って入れておいたから、それも食べてね」

「いつの間に……」



 コートを着た杏は「ふっふっふーん、作っていたのはカレーだけじゃないんだよ」と、ドヤ顔を浮かべながら茶々のもとへ。



「茶々、お姉ちゃん帰るからねえ……寂しくても泣くんじゃないよ、いい?」

『……にゃあ』



 お腹目掛けて顔を埋める杏。

 茶々は睡眠を邪魔されてムッとしてるのか、少しだけ目付きが悪い。



「あらら、怒っちゃった……? ごめんごめん。次に来るとき、またちゅーるあげるから許して」

『にゃあ……♡』



 茶々は杏の言葉を聞いて、彼女の手に頬擦りする。



「人間の言葉がわかってるみたいに、露骨に反応したな」

「さすが茶々、前世はナンバー1ホストだ! じゃあね、茶々」



 にゃあにゃあ、と甲高い鳴き声を出して見送る茶々。

 そして玄関で靴を履いていた杏は、充電切れ目前のスマホを取り出す。



「そういえば拓斗くん、LINEやってる?」

「ん、やってるけど」

「じゃあ連絡先交換しよ」

「ん」

「ちゃんとカレーが無くなって餓死する前に連絡してね?」

「カレーが無くなっても餓死しねえよ」



 まあ、断る理由もないので拓斗は素直に連絡先を交換する。



「何か困ったことがあったらすぐに連絡してね、いい?」

「はいはい」



 まるで母親のような彼女に適当な相槌で返すと、杏は「もう」と頬を膨らませる。



「それじゃあ、ばいばい」

「ああ、気を付けて帰れよ。それと、今日はありがとうな」



 少し恥ずかしそうに伝えた感謝の言葉を、受け手の杏はその何倍も照れながら微笑んで頷く。

 扉が閉まると、いつもの静かな一人と一匹の部屋に戻る。



「台風みたいだな……って、忘れてる」



 彼女の付けていたエプロンが、畳まれたままカーペットの上に置かれていた。

 まだ遠くまで行っていないだろう。そう思い拓斗は、さっき教えてもらった連絡先にメッセージを送ると、

『また今度、料理するときに使うから置いておいて!』

 と、返事がきた。

 今度ということは、また料理しに来るということだろう。

 申し訳ない気持ちがありながらも、杏が作ったカレーの味を思い出して何度か頷く。

 そして冷蔵庫を開けた。

 カレーだけでなくタッパーに入ったおかずがいくつか置かれていた。

 それを見て、拓斗は小さく「ありがとうございます」と呟いた。












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