第6話 顔真っ赤


「……えっと、どちら様でしょうか?」

『あっ、お願いしまーす!』



 女性の声。

 何と聞いても『お願いします』としか返してこない。


 怪しい来客だが、今鳴っているのは玄関前のインターホンだ。ということはマンションのオートロックを解除して入ってきたのだから、おそらくはこのマンションの関係者、もしくはここの住人だろう。

 拓斗は玄関に向かい扉を開けた。



「やっほー拓斗くん、おはよ!」

「……」



 玄関を開けた瞬間、私服姿の杏がそこに立っていた。

 彼女は扉が開くなり部屋へ押し入り、靴を脱ぎ始める。



「……なんでお前、というより勝手に人ん家に入んな」

「まあまあ、そう固いこと言わないで。あっ、茶々、元気だった?」



 杏は真っすぐリビングへと向かい茶々の下へ。

 持っていた荷物をテーブルに置き、茶々の体に顔を埋める。



「あー、気持ちいい。ずっと会えなくて寂しかったよ、茶々」

『にゃあ……?』

「なんでここに……というより、さっきのなんだよ」

「さっきのって?」

「お願いしますとかいう、あれだよ」

「ああ、あれか。パパがね、なかなか玄関の扉を開けてくれない人には効果的だよって教えてくれたの。営業の仕事してたときに身に付けた技なんだってさ」

「……」

「どうせ拓斗くん、私が入れてって普通に言っても開けてくれなかったでしょ?」



 それについては否定できないから、拓斗は何も答えなかった。

 すると茶々の体に顔を埋めた彼女は、顔をこちらに向け笑みを浮かべる。



「だからパパに教えてもらった裏技を使ったの。ふふん!」

「……マンションのオートロックはどうしたんだよ」

「ちょうど出てくる人がいたから、おはようございます、って挨拶して入れ違いで入ったの」

「お前それ……はあ」



 拓斗は呆れて何も言えなかった。

 そんな拓斗の呆れたため息が聞こえないのか、杏は上機嫌のままカーテンを開ける。

 眩しい日の光が部屋に差し込む。

 そして振り返った杏は笑顔から一変、ムスッと頬を膨らませる。



「そ・れ・よ・り! 拓斗くん、前に私に言ったこと覚えてる!?」

「前……?」



 上に羽織っていたコートを脱ぎ、ベッドに座る杏。

 太腿まで丈のあるクリーム色のセーターに黒タイツ姿の彼女は足を伸ばし、ジッと拓斗を見つめる。

 最後に二人がちゃんと話したのは、彼女が初めて拓斗の家に来た時なので数日前のあの日のことだ。



「わからない? じゃあ、昨日の朝ご飯は何を食べましたか?」

「朝はパンだけど」

「お昼休みは何を食べましたか?」

「……パン、だな」

「じゃあ、夜ご飯は何を食べましたか!?」

「…………コンビニの弁当」

「こら!」



 立ち上がった杏はドスドスと足音を響かせながらキッチンへ。

 そして奥に押し込まれたモノを見て大きな声を出す。



「こんなにお弁当の空箱と菓子パンの袋でゴミ箱いっぱいにして!」



 まるで母親に怒られているみたいだった。


 ──あれから拓斗は、色々と料理について調べたり食材を買ったりして料理をしてみたが、上手く作ることはできなかった。

 というよりも、初日はそれなりに作れたけど長続きしなかった。

 料理の技術が乏しいということは勿論だが、主な理由としては移動するのに松葉杖を必要とすることだろう。

 包丁を使うにも鍋を振るうにも、松葉杖を使っての作業は難しい。慣れればできるかもしれないが、料理をしたことない拓斗にとっては至難の業だ。


 だから長続きはせず、次第に楽なパンであったりお弁当に偏ってしまった。



「やっぱり、料理するの大変だったんでしょ……?」



 少しだけしっとりとした声色で問いかけられ、拓斗は正直に答える。



「まあ、な」

「──と、いうわけで!」



 その言葉を待ってましたと言わんばかりに、杏はバタバタと小走りに、持ってきていた肌色のエコバックを手に取る。



「今日は拓斗くんの為にご飯を作りに来ました!」



 エコバックに入っていた食材を一つずつ取り出し、テーブルの上に並べる。

 鳥の胸肉に玉ねぎ、ジャガイモやにんじん、カレーのルーなど。



「拓斗くん、カレーは食べれるよね?」

「食べれるけど……」

「この中で嫌いな食材とかある?」



 拓斗は首を左右に振ると、杏は「良かった」と安堵してキッチンに食材を持っていく。



「カーテン閉めたままだったから、まだ朝ご飯食べてないよね?」

「もしかして、ここで作る気か?」

「そうだけど」

「そうだけどって」

「一つ言っておくけど、今日は何と言われても止めないからね。拓斗くん、このままだったら朝昼パンの夜はお弁当生活になっちゃうもん。そんなの栄養的にも良くないし、家計的にもマズいでしょ? ご両親からの仕送りだって無限じゃないんだからさ」



 杏はぶつぶつ言いながら自前のエプロンを身に付ける。

 一切の遠慮もなく冷蔵庫を開け、「おっ、色々と食材ある……これならカレー以外にも何か作れるかな」と、頭の中でメニューを考えているようだった。


 拓斗は松葉杖を突き、キッチンへ向かう。



「……なあ、一つ聞いていいか?」

「ん、なに? ちなみに料理には自信あるから安心してね」

「そうじゃなくって、なんでそこまでしてくれるんだ?」



 二人は茶々を拾ったときに初めて話した関係だ。それだけなのに、杏はこうして拓斗を心配して料理まで作りに来てくれた。

 ここまでくると、お人好しにしては度が過ぎる。

 何より今の拓斗は、自分でもわかるほどひねくれていて誰でも関わるのを避けるほどだ。今のクラスメイトたちのように、遠巻きで視線を送るだけで話しかけてこないのが普通だ。


 だから聞いた。

 どうしてここまで自分に良くしてくれるのかと。


 そしてその返答を、杏は少し間を空けて笑いながら答えた。



「……もし拓斗くんが倒れたら、茶々が露頭に迷っちゃうじゃん」



 本心からの言葉なのか、それは拓斗にはわからない。



「だからさ、拓斗くんには元気でいてもらわないと困るの。それに、さ……もし私が拓斗くんの立場だったら、誰かに手を貸してほしいなって思うだろうから」

「手を?」



 杏はジャガイモの皮剥きをしながら答える。



「今まで寮生活して、急に一人暮らししなくちゃいけなくなったんだよ。それに松葉杖無しだったら歩くのも難しい体で。それって凄く大変じゃん」

「そうだけど……それは、自分で決めたことだから」

「それでもだよ。私なら辛くて誰かに助けてって叫んじゃうもん。だから、かな……?」



 首を傾げて、杏は言葉を付け足す。



「なので、拓斗くんが一人になりたいって言っても私はお節介を焼き続けます! だから諦めてね?」



 ふふん、と杏は笑顔を浮かべた。

 どうして彼女がそこまで拓斗を気にかけるのか、それについてはわかりそうでわからないといった感じで、無理矢理に納得させようとしてるようだった。


 不思議な感覚だ。

 怪しいと思いながら、申し訳ないと感じ、彼女の優しさが嬉しくも思う。

 ただ、そこまでしてくれる彼女を無下に帰すことはできない。そしてここで拓斗が返す言葉は、一つしかない。



「……ありがとう、杏」



 照れくさくて頭を掻きながら伝える。

 今までサッカー一筋で女性経験の無かった拓斗にとって、女性を下の名前で呼ぶことすら恥ずかしさがある。


 ただそれを悟られたら、きっと彼女は馬鹿にするだろう。馬鹿にしなくても、満面の笑みで詰め寄ってくるに違いない。

 だから平然を装って、拓斗は顔を前に向ける。

 そんな拓斗の目に映ったのは、顔を真っ赤にさせながら半分だけ剥かれたジャガイモを見つめる杏の姿だった。



「……もしかして、名前で呼ばれて照れてんのか?」

「は、はあ!?」



 顔を真っ赤にしながら、ピーラーとジャガイモをまな板の上に叩き置く杏。

 彼女はドスドスと足音を立てながら拓斗へ詰め寄り反論する。



「別に、名前で呼ばれるのなんて慣れてますけど! 拓斗くんこそ、なまら顔真っ赤じゃん! そっちこそ照れてるんじゃないんですかあ!?」

「ちがっ、別に俺は……」

「ほら照れてる! 拓斗くんが照れるから私も、ほら……ちょっとだけ、その、熱くなっちゃったの!」

「だから俺は──」

「いいからほら、拓斗くんは座って茶々と遊んでて! 料理の邪魔だから!」



 と、キッチンを追い出されてしまった拓斗。



「なんで俺、怒られたんだ……? よくわからん。なあ、茶々」

『……にゃ』



 段ボールの上の定位置で寝ていた茶々に問いかけるが、茶々は横目で拓斗を見ながら、呆れたようにため息をついたように感じた。













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