第3話 ネコと風呂場で




 ──放課後。


 帰りのホームルーム。

 担任の先生には二つのタイプがいる。

 話しが長い先生と短い先生。どうやら真島は話しが長いタイプらしい、というよりも生徒たちとの和気あいあいとした会話が長引かせているようだった。


 廊下側のガラス窓から先程の台風女──杏が拓斗に向かって両手をぶんぶんと手を振ったり、ぴょんぴょん跳ねている姿が見えた。

 そしてホームルームが終わると、



「拓斗くん拓斗くん! したっけ、案内して?」



 勢いよく教室に入ってきた杏に逃げ場を封じられた。



「……約束なんてしてない」

「残念、私の中ではもう確定事項なの」



 ここではっきりと、今度はもう少し強く断りたかった。

 だが周囲からの視線が嫌で、それ以上なにも言葉を返せなかった。

 松葉杖を突いて教室を出ると、逃がさないとばかりに杏は隣を歩く。



「付いて来ても家には入れないからな」

「ふふん、カギを開けてくれたら勝手に入るから大丈夫だよ」

「おい!」



 にこにこと笑いながら歩く杏。



「明日、写真でも撮って見せるからそれで我慢してくれ」

「だーめ。もうあの子の顔を見ないと安心できないの、私」

「勝手な……」

「どうせ逃げられないんだから諦めて、ねっ」



 こっちは松葉杖を突いて歩いているのだ、走って逃げることはできない。

 何より彼女は何があっても付いてくるつもりなのだと、その大きくて眩しい瞳から伝わってくる。

 二人は学校を出て住宅街を歩き、住んでいるマンション近くまで到着した。



「へえ、拓斗くんってこの辺に住んでるんだ。私ん家と近いね」

「知らないけど……ってか」

「ん、なに?」



 首を傾げる彼女と目が合って、拓斗は「なんでもない」と首を振った。


 彼女とは昨日、あの場所で会ったのが初めてのはずだ。

 話したのもそうだ。なのにもう拓斗のことを名前で呼ぶようになって、勝手に距離を縮めてくる。


 そして何より、



「そういえば拓斗くん授業には付いてこれてる? 一般クラスへの急な転入だと慣れるの大変でしょ」



 彼女との会話──というよりも一方的な話し──が止まることがない。

 適当な相槌を打っても会話は続くし、間が空くと新たな話題が降ってくる。


 一種の才能だ、拓斗には無い才能。

 そして止まることのない会話が続いたことによって帰れとは言えなくなった拓斗は、目的地に到着して足を止めた。



「もしかしてここ?」

「……ああ」

「へえ、いいところ住んでんだねえ! しかも一人暮らし! 羨ましいなあ」

「東京に比べたら、家賃も半分ぐらいだって母さんが言ってたな」

「へえ、さすが東京、恐るべしだねえ。あっ、もしかして拓斗くん東京生まれ?」

「そうだけど、お前は……」



 ここが北海道であり、言葉からも北海道生まれ、北海道育ちなのは方言なんかでわかった。

 すると、杏は不満そうに雪のように白い頬を膨らませる。



「お前、じゃなくて名前。常磐杏だけど?」

「……常磐?」

「杏でいいよ」

「……」

「もしかして、名前で呼ぶの恥ずかしいとか……?」



 口下に手を置きながら、ぷすぷすと笑う杏。

 そんな彼女の憎たらしい笑顔を見て、拓斗は無視してマンションの中へ入っていく。



「あっ、ちょっとちょっと!」



 マンション入口のドアロックを解除しても、エレベーターに乗っても、彼女は後ろを付いて来る。

 家のカギを持って、拓斗はため息をつきながら振り返る。



「……はあ。見せたらすぐ帰れよ」

「はいはい、わかってますよー」



 本当にわかっているのか?

 という疑問を抱きながら家の中へ。


 1Kの一室。

 サッカー部の寮よりも広く、一人で暮らすなら十分過ぎるほどの部屋だ。



「うわ、なんも無いね」



 部屋の中へ入るなり杏が呟く。



「サッカー部の寮から引っ越してきて、まだあんま経ってないからな」



 洋室には足の短いテーブルとベッド、それに衣服がかけられたハンガーラックのみ。

 部屋の隅には、ガムテープで封をされたままの段ボールが置かれていた。



「あっ、そっか……」



 何かを察したのか、申し訳なさそうに視線を下げる杏。

 先程まで無駄に明るかった太陽に、急に雲がかかったような反応。

 だがすぐに、



「あっ、ネコちゃん!」



 再びパアッと表情が明るくなる。

 壁際に置かれた段ボール、その上に敷かれた座布団で横になるネコを見て杏は走り出す。



「なにこれ、なまら可愛めんこいんですけど!」



 起こさないように声量は小さめだが、どたどた走ったからネコは起きてしまった。


 血統書がないのでおそらくだが、生まれてからそこまで経っていないだろう。おそらくは一年以内といったところだ。

 大きさは人の顔ほどあり、お腹周りには指で摘まめる柔らかい皮がある。

 性別はオスで、一晩しか一緒にいないがマイペースな性格をしていると拓斗は思う。



「捨てられてたから簡単には人に懐かないかなって心配してたんだけど、意外とリラックスしてるね」



 大きく伸びをして毛繕いを始めるネコを、杏は床に座って観察する。



「前の飼い主からヒドい扱いはされなかったんだろ」

「そっかそっか、良かったねえ。で、特等席は座布団の上かあ……あっ、トイレとかは? 用具とかってあるの?」

「ん」



 拓斗はネコ用のトイレを指差す。



「もしかして、昨日あれから買いに行ったの?」

「まあな。昨日まで母さんがこっちに来てたから、一緒に買いに行ったんだ」

「そっか、良かったね……ん?」



 杏は鼻先をネコに近付けると、くんくん嗅ぎだした。



「んん? なんか、臭い……?」

「なに? まさか……」



 近づくと確かに匂いがした。あの匂いが。



「まだトイレに慣れてないからここでしたんだろ。後で洗っておくから、お前は──」



 ちゃんと生活している姿を見せたから帰れ。

 そう言おうとしたときには既に、杏はネコを持ち上げていた。



「ふっふーん、仕方ないからお姉ちゃんが洗ってあげよう。いくよ、ネコちゃん!」

『にゃー!?』

「おい!」

「拓斗くん、お風呂場借りるねえ!」



 にゃあにゃあと鳴きだすネコを連れ去って風呂場へ駆け出す杏。

 拓斗は匂いのするブツを見ながら、今日何度目かのため息をついた。

 







 ♦







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