第2話 台風女


 ──五月上旬。



「昨日の三者面談でも話したが、今日から担任になる真島だ」



 職員室から教室へと向かう廊下。

 拓斗はこれから担任になる真島の隣を歩く。


 今年二十六才となる真島は、クラスを受け持つ担任の中では最も若く、学校に一人はいる”生徒たちとの距離が近い”先生だ。

 友達のように親しみやすく、怒る頻度が少ないこともあって、男女共に人気がある。



「これから大変だと思うが……まあ、新しいクラスで友達を作って学校生活を楽しんでいこうな」

「はい」



 作ったような笑顔、薄っぺらい言葉。

 そんな新しく担任となる真島に適当な返事をすると、彼は何か察したのか、それ以上のことを話さなくなった。


 そして教室の前。

 ホームルーム前の教室は、廊下まで話し声が聞こえるほど騒々しかった。



「はいはい、静かに静かに!」



 真島が教室に入ると一気に静まる。

 それは担任が来たからではない。扉の外で待つ、拓斗の存在に気づいたからだった。



「もう知っている者もいるが、今日からスポーツ特待クラスから転入する生徒がいる。──白石しらいし、入ってきてくれ」



 静まった3ーBの教室に足を踏み入れる。


 拓斗へ視線が集まる。

 無表情で、何を考えているのか読み取れないクラスメイトたちの表情。

 ただわかるのは新しく加わるクラスメイトを喜ぶといった感じではないこと。


 そんなクラスメイトの前に立ち、拓斗は頭を下げる。



白石拓斗しらいしたくとです。よろしくお願いします」



 小さな声での挨拶。

 二秒ぐらい間を空けて、まばらな拍手に出迎えられた。



「白石、あの空いてる席に座ってくれ」

「はい」



 真島は拓斗についての詳しい説明をせず、早々に席へつかせた。

 おそらく全生徒が、拓斗がここにいる理由を知っているからということだろう。



「……ねえねえ」



 席と席の間を松葉杖を突いて歩く中、女子の小さな声が耳に入ってきた。



「たしかあの人って、サッカー部の”元”エースだった人だよね?」

「そうそう……一ヵ月前の練習試合中に大怪我しちゃって、在学中には復帰できないんだって」

「それでこの時期なのに、一般のクラスに転入……プロ入り確定とかって噂もあったのに」



 ──かわいそう。


 そう言った彼女たちの声が拓斗の耳に入ってくる。

 その言葉が本心なのかどうかはわからない。ただその言葉を聞いて、いい気はしなかった。



「はいはい、静かに! じゃあ出席とるから」



 たいして大きくもないのに彼女たちの会話を先生が止める。

 隣の席の女子は拓斗の姿が見えないのか、目も合わせようとしない。だから視線を外へ。

 拓斗もクラスメイトと仲良くする気がないと伝えるように、顔を窓の外へ向けた。



 それから授業が始まった。

 スポーツ特待生としての学生生活とは違って、ずっと席に座って授業を受けるのは疲れる。

 外でランニングしていた方がマシだ。

 拓斗はそう思いつつ、走ることのできない足を睨む。


 そして授業は進み、昼休み。

 ここまで拓斗に話しかけてくれたクラスメイトは数人ほどいた。そのどれもが距離を感じるような、どこか余所余所しい感じだった。

 それ以外には、遠くから拓斗の名前はよく出るのに話しかけてくる者はいない。



「まあ、そうだよな……」



 今日何度目かの窓の外へ向かって拓斗はぼやく。


 元サッカー部のエース。

 高校二年生の時点で、複数のプロクラブのスカウトから関心を寄せられていた。

 高校を卒業したらプロ入りして、順風満帆なサッカー選手のキャリアが始まる。


 ──そんな少年が、選手生命を断たれるほどの大怪我をした。


 高校三年生の春。

 完全に完治するまで、およそ一年の時間を要す大怪我。

 高校生活中に行われる主要大会には間に合わず、スポーツ特待という資格は剥奪され、スカウトからの関心は消えてプロへの道は断たれた。


 そんな彼が様々な眼差しや注目を集めるのは当然だ。

 普通の高校生なら居辛くて転校を考えても仕方ない。だが彼は転校するわけでもなく同じ高校の一般クラスに転入した。


 輝かしい人生からの転落人生を迎えることとなった拓斗に話しかける者も、友達になろうという者もいるわけがない。

 一般クラスに在籍するサッカー部の者たちも、哀れみからか、なんて声をかけていいのかわからず話しかけてこない。


 だから拓斗はずっと窓の外を見続けていた。

 抜け殻のように、今までは貴重だったはずの時間を無駄に浪費していた。



「──ねえ!」



 だが、そんな腫れ物の拓斗に話しかけるような物好きもいた。

 目の前の男子の席に座った彼女は、ジッと拓斗を見つめる。



「お前は、たしか……」

「ネコちゃん、元気なの?」



 今日は雨に濡れていない彼女。


 鼻が高く、輪郭の整った小さな顔。

 胸元まで伸ばした明るめの茶色の巻き髪。

 昨日も印象的だった大きな瞳に長いまつ毛。

 左手首に水色のシュシュを付け、持っているスマホも無駄に派手。

 背丈は160ぐらいだろう。腕も腰も脚も細く、まるでモデルのような体型だ。



「ああ、元気だ」



 素っ気なく返事をすると、彼女は表情を変えず「ほんと? したっけ写真は? 見せて」と右手を前に出す。

「したっけ」は北海道弁で、「じゃあ」とか「だったら」といった意味だ。



「は? 写真なんてないけど」

「なんで撮らないのさ。普通、待ち受けとかにするしょや」



 なぜか怒られた。

 拓斗はため息をつき、再び窓の外に視線を向ける。



「別にいいだろ。まあ……元気だから安心しろ」

「安心できない。見せて」

「見せてって……」

「今日、ネコちゃんに会わせて」

「は?」



 めんどくさい女に捕まった、そう思い眉間に皺を寄せる。



「なんでそうなるんだよ」

「見ないと安心できないから」

「いや、だから……」

「もしかして捨てたとか? 信じらんない!」

「捨ててないって!」

「じゃあ見せて」

「だから──」



 強引な彼女に少しだけ苛立ちを覚え、再び断ろうと思ったとき、昼休みが終わるチャイムが鳴った。



「あっ、もうこんな時間。放課後また来るから、逃げないでよ!」



 彼女は立ち上がり、座っていた席の男子に「勝手に使っちゃってごめんね、ありがと」と伝えて走り去っていった。


 台風のような女だと、拓斗は彼女の背中を横目で見送りながら思う。

 すると、去っていった台風の後ろ姿を見つめる女子二人の会話が聞こえてきた。



「あれ、3ーAの常磐杏ときわあんちゃんだよね」

「うん。二人って知り合いだったんだ……」



 再び窓の外を眺めても、噂好きっぽそうな二人の会話はまだ聞こえてくる。



「常磐さんってあれだよね、”オタクにも優しいギャル代表”の」

「あーそうそう。派手な見た目だけど誰にでも優しくて面倒見いいって噂の」

「彼女にしたら男をダメにするタイプだね」

「だねだね」



 男女関係なく人気があり、見た目は派手だが優しい性格というのはわかった。昨日のネコへの態度を見ても、彼女が悪い子ではないのはわかる。


 だが、関わりたいとは思わない。

 光と闇。今の拓斗にとっては最も接したくないタイプだった。ただただこれ以上はからんでこないことを願った。










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