世話焼き彼女が家に来るたび私物を置いていくようになった
柊咲
第1話 出会い
「……雨か」
教室の窓の外を眺めながら言葉を漏らす。
ポツポツと振り出した雨が、窓に水滴を作る。
「──先生、息子のこと、どうかよろしくお願いします」
「はい、お任せください」
三者面談中の母親と、これから新しく担任になる先生が互いに頭を下げた。
「これから息子さん──拓斗くんは今までと環境が大きく変わって、少しだけ大変に感じるかもしれません。ですが教員一同、全力でサポートしますので安心してください」
「ありがとうございます。この子も、地元の学校に転校すれば良かったんですが……」
母親は隣に座る息子──
拓斗は二人に視線を向けられたが何も言葉を返さず、会話を拒否するように再び窓の外に顔を向けた。
「個人の自由なので、はい……それでは、今日はこの辺で」
「ありがとうございました、先生」
先生が立ち上がり、母親も立ち上がる。
母親は再び頭を下げた。
その姿を見て申し訳なく思った拓斗だが、母親と一緒に頭を下げることなく、近くに置いてあった松葉杖を突いて教室を出ようと歩き出す。
まるで他人事のような彼の態度を見て、先生が何か言おうと口を開ける。
だけど開いた口を閉じ、また開き、母親に「玄関まで送ります」という言葉に変えた。
まるで腫れ物に触れないようなその反応。
先程の「全力でサポートする」という言葉が嘘ではないのか、そんな風に拓斗は思った。
「待って、拓斗。お母さんタクシー呼ぶから!」
「……いや、歩いて帰るからいい」
「歩いてって……」
玄関で靴を履き替え、拓斗は母親の言葉を背中で受け流し外へ出る。
ポツポツと振り出していた雨は少しずつ強くなっていた。
空を見上げながらため息をつき、拓斗は松葉杖に体重を乗せ歩き出す。
紺色のブレザーは雨に濡れて色が濃くなり、黒色の髪もぺったりと濡れる。
拓斗は学校を離れ、少し前から一人暮らしを始めたマンションへと向かった。
車が横を通り過ぎ、傘を持って歩くサラリーマンが視線だけをこちらに向け、お店の中から視線を受ける。
だけど誰も声をかけてはこない。
傘を忘れた馬鹿野郎。失恋して涙を隠す男。
今の拓斗の姿を見ている人たちは、いったいなんて思っているのだろうか。
「……何やってんだ」
そんな言葉が、拓斗の口から漏れ出た。
それは自分自身に向けた言葉でもあったが、何より目の前の彼女に向けての言葉だった。
お店が建ち並ぶ商店街を抜けた住宅街。
拓斗の住むマンションまでもう少し、といったところで、傘もささず雨にずぶ濡れになりながら、歩道の端でしゃがんでいる少女を見つけた。
おそらく、かなりの時間そこにいたのだろう。
胸元まで伸ばした茶色の髪は糸のように細い。
制服である紺色のブレザーもYシャツもスカートも濡れ、手に持っていたカバンも色濃く変わっていた。
彼女はジッと一点を見つめていた。
電柱の横に置かれた段ボール。その中で「にゃーにゃー」と小さく鳴くネコ。
段ボールは濡れてぺらぺらだが、ネコはそこまで濡れていない。
彼女の前に突き出した頭が雨避けになっているのだろう。ただネコの弱々しい声は、どこか「寒いよ」と泣いているように拓斗には聞こえた。
「……何してんだ」
拓斗は声をかけた。
だが、彼女は振り返らなかった。
「……雨避けになってるの」
「雨避け?」
「傘、無いから。だから雨避け」
「頭でか?」
「そう」
彼女は振り返えらない。
こちらを振り返れば、ネコに雨が当たるからだろうか。
「ずっとそうしてるつもりか?」
「雨が止むまで」
「誰かに傘でも借りればいいだろ」
「風、強いから。傘を置いても飛ばされる」
「……いつからここにいるんだ?」
「わからない。たぶん30分前ぐらいじゃない?」
「30分って……」
呆れた声が漏れる。
ずぶ濡れになりながら、松葉杖を突いて家に帰ろうとしていた拓斗も大概だが、彼女も相当な変わり者だ。
「それまで誰も来なかったのか?」
彼女の姿を見たら、少なくとも2人に1人ぐらいは声をかけるだろう。一般的な常識、感覚を持っていれば誰でも心配する姿だからだ。
「何人かに声かけられたよ」
「じゃあ助けてもらったら良かっただろ。そのネコ、捨てられてんだろ……? 飼い主になってもらうとか」
「うん、そう言ってくれる人もいたよ」
「じゃあ」
「だけどその人、続けてこう言ったの。「僕はネコを飼うの初めてだから、どうしたらいいか君が教えてくれないかな。ついでに制服が濡れちゃったから着替え貸そうか? 家近いから」って」
「……」
「それからその人、この子のことよりも私の心配ばっかするから無視した」
ずぶ濡れになっている女子高校生がいたら心配する、というよりも、下心を見せる者も少なからずいるか。
「で、ずっとここいんのか?」
「そう、雨が止むまで」
「段ボールをずらして木の下に移動させればいいだろ」
「この段ボール濡れてるから、少しでも動かしたら破けちゃう。この子のお家、なくなっちゃう」
「……はぁ。じゃあ、お前が家で飼ってやればいいだろ」
「うち、ペット禁止だから、飼えない。だからこうして雨避けになってるの」
「せめてもの優しさか……」
「見て見ぬふりする人よりも、下心丸出しの人よりも、マシだと思うけど。偽善者だとしても、見て見ぬふりできない。だって、かわいそうだもん」
そう言って、彼女はジッとネコを見つめた。
頭を動かさず、微かに寒さから体を震わせながら。
ネコを拾って帰れないから、せめて雨が止むまでここで雨避けになる覚悟を持って。
なんというか、変わり者だ。
拓斗はそう思いながら、彼女──ネコへと足を進める。
「じゃあ、俺が飼ってやるよ」
「え……?」
拓斗はそう言うと、段ボールからネコを救い出す。
両手に感じた小さな温もり。微かな震え。にゃーにゃーとか細い声で鳴く、オレンジの地の色に濃いオレンジのしま模様が入る茶トラのネコ。
ネコは拓斗をジッと見つめる。
拓斗もまた、ネコをジッと見つめ伝えた。
「実家で飼ってたから、まあ大丈夫だろ。ここで捨てられるよりはマシな生活ができるはずだ」
拓斗の言葉を受け、ずぶ濡れの彼女は立ち上がる。
ずっと同じ姿勢でいたから足が痺れたのか、少しふらついていたが、すぐに体勢を整える。
そして初めて二人は目が合った。
「……」
拓斗の顔を見て彼女は驚き、何か言いたげな様子で口を開く。
「なんだよ」
「別に……」
だがすぐに、その視線はネコに向いた。
──長いまつ毛に大きな瞳。そして強気な雰囲気の少女。
それが拓斗の抱いた彼女の第一印象だった。
「捨てないでよ」
「行儀よくしていたらな」
「何それ。飼い主になるなら責任持って」
「わかってるって」
「……食べたり、しないでよ」
「食べるかよ……。じゃ、そういうことだから。お前も早く帰れよ」
松葉杖を片手で持ち、歩き出す。
歩きにくいが、彼女に責任を持って飼うと約束してしまった手前、家に持って帰るしかない。
「捨てるな!」
「はいはい、わかってるって」
背中越しにかけられた声に、適当な返事をして家に帰る。
その道中、拓斗はふと思った。
久しぶりに誰かと、普通に会話をした気がする。
「そういえばあの制服……まあ、別に関係ないか」
拓斗の通っている高校と同じ制服だった。
先輩か、後輩か。はたまた同級生か。なんてこと、今の拓斗にとってはどうでもいい。
「……俺の退屈な人生に付き合わせることになるが、許してくれよ?」
『にゃあ!』
頭を人差し指で撫でるとネコは小さく鳴いた。
そんな可愛らしい姿を見ても、あの日から抜け殻となった拓斗は笑えなかった。
♦
カクヨムコン参加中です。
ブックマークと、下にある評価から♡と☆をもらえると助かります。
よろしくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます