10. 聖女様の代わりが見つかったらしい
めでたく、正の魔力の生成に成功した研究チームだったが、すぐに次の問題に直面していた。
その問題とは、計算上、魔石の生産が結界の展開に必要な魔力の供給に追いつかないことだった。
祈願花の量が少なすぎるため、正の魔力を生成するのに必要な成分――リタたちはその成分をプライエリネと名付けた――を十分に精製できないのである。
現状では、できる限り無駄なく、精製の純度を高めることで解決しようとしているが、仮に一本の祈願花から取ることのできるプライエリネを100%抽出することができたとして、それでもまだ必要量には届かない。
「仮説ですが、よろしいでしょうか」
いつもの朝会議でリタが発言する。
「どうぞどうぞ」
「リーダーが『仮説ですが』と言うときはだいたい期待できるってわかってきましたよ、俺」
研究員たちに続きを促される。
まだ危機を脱してはいないが、先日の成功で研究室の空気は随分と明るくなった。
「これまで私たちは祈願花でしか
「他の植物ですか? ――確かに祈願花ばかりに気を取られていて他の可能性を排除していたかもしれません」
ライアンが顎に手を当てて、考え込む。
「ふと思ったのです。人は魔力を生命活動の糧としています。そして、人の中にも普通の魔力を持つ者もいれば、聖女のように正の魔力を持つ者もいる。それは植物にも言えるのではないでしょうか。水晶花は負の魔力、祈願花は正の魔力。では他の植物は? 魔石を生成したり発光したりといった目に見える働きはなくとも、植物の内部でごく微量の魔力を生命エネルギーとして活用していてもおかしくありませんよね」
「たしかに。その仮説が正しいとしたら、植物ごとに極性の異なる魔力を使ってる可能性があるから、私たちは正の魔力を活用している植物を探し出せばいいってわけね?」
ケイトが確認する。
「その通りです。試してみる価値はあると思います。祈願花以外からプライエリネが取れるなら、量の問題は解決しますから」
結局のところ、問題はあっさりと解決した。
リタの仮説通り、プライエリネを抽出することのできる他の植物が見つかったのだ。目に見える形で正の魔力を使っていなくても、正の魔力を生成する酵素であるプライエリネを有している植物は、決して珍しくないようだった。
そうして、いよいよ量産体制の準備は整った。
そんな折、研究室に結界消失の報せが届いた。
それを所長から告げられたとき、誰もが顔を青くした。国の命運という巨大な重圧がいよいよリタたちに牙をむき始めたのだ。
当初の計算通りならば、あと二週間猶予があるはずだった。
リタが注意していれば、これは予想できたことだった。
祈願花は正の感情を受け取ると発光する。つまり、正の感情は、正の魔力が強めるのである。
では負の感情の影響を受けるとどうなるか。
外からは判別がつかないが、おそらく植物の内部では魔力は弱まっているはずである。
そして、結界にもそれと同じことが言えるのだ。
聖女がいなくなり、結界がもうすぐ消えるかもしれないという噂が街に広まってから、国民たちの負の感情は募っていった。それが結界の消費魔力を増大させる結果に繋がったのである。
研究に夢中でそのことに思い至らなかった。
リタは拳を固く握りしめた。爪が手にひらに食い込む。
しかし、自分を責めている時間などない。
現に結界は消え失せ、じきに街に魔物たちが入り込んでくるのだから。
「こうなってしまったのなら、この私が直接教会へ行くしかありません」
所長室にて、リタは所長に言い放った。
彼は渋い顔をする。
「――それも仕方がない……か。計画通りにはいかないものだな。今あるだけの正の魔石を持っていきなさい。それと、アレクサンダー様も連れていくといい」
「アレクサンダー様ですか?」
「そうだ。教会が我々の言うことを聞くかはわからない。だが、彼らは暗殺未遂の件でアレクサンダー様に大きすぎる貸しがある。彼が一緒にいれば教会もこちらの要望を受け入れざるを得ないだろう」
あるだけの魔石をかき集めて袋に入れ、リタは研究所の外へと出た。
すぐにアレクサンダーが馬を引いてやってくる。馬は一頭だけだった。
まさか、二人乗りなの?
「さあ急ごう。あなたは私の前に」
アレクサンダーがリタの手を取る。
そんな場合ではないのに、心臓が跳ねる。
リタは余計な考えを振り払い、彼の手を強く握った。
アレクサンダーに手伝ってもらい、騎乗する。リタの後に、トンと、重さを感じさせずに彼が飛び乗ってきて、後ろからリタを優しく抱きしめるように手綱を握った。
研究所と中央の教会はそれほど遠くないため、すぐに到着した。
教会の中へ駆け込むと、聖堂には人々が集まってざわついていた。その中心には、ウィリアム王子とレネーが一人の男――グリフィス枢機卿に詰め寄って何やらまくし立てている。
「あなた方も来ていたのですね」
リタが声をかけると、三組の目玉がいっせいにこちらを向く。
「リタじゃない! どうしてここに?」
レネーが問いかける。
「聖属性の魔石が完成したのよ。まだ量は十分じゃないけど、緊急事態だから急いで届けに来たの――レネーたちはどうして?」
「あたしたちは、事態を把握しに来たのよ。今は結界が三ヶ月持たなかった理由を枢機卿に問い詰めてたところ」
「それは教会の責任じゃないわ。説明は省くけど、三ヶ月という数字は正しかった――グリフィス枢機卿、今すぐに結界室への入室を許可願えませんか?」
王子や王子妃に詰め寄られてもまるで表情を変えない初老の男に、リタは向き合った。
「それはできません」
「なぜです? 私たちは聖属性の魔力を補充しに来たのですよ?」
「あなたは入室する権利を持たないからです。魔石なら私が受け取りましょう。あなたが中へ入る必要はありませんよね?」
こんなときまでそのような慣習に縛られるのかと、リタは苛立つ。
本来ならグリフィスに魔石を渡して結界を起動してもらえばよいのだが、魔石の数が少なすぎて、結界の起動には足りない。
だから、リタ自身が入室し、中で作業をする必要があった。
「グリフィス殿、ハリス主教の件は大変世話になった。再び教会の世話になるのは誠に心苦しいが、どうか彼女の入室を許可していただけないだろうか」
アレクサンダーがグリフィスを鋭い視線で射抜く。
これまで一貫して毅然とした態度を崩さなかったグリフィスが、初めて狼狽える。
アレクサンダーがハリス主教から襲撃を受けたことは、彼にも知らされているようだった。さすがに大国の王太子への対応を間違えて大問題に発展するのは避けたいはずだ。
「――いいでしょう」
リタがグリフィスと共に聖堂から出ていってから、しばし。
アレクサンダーたちは教会の外にいた。
空を見上げると、いつも淡く光っていた結界が、今はなくなっている。
アレクサンダーは教会の真ん中から天に高く伸びる塔を見た。あの下に結界の起動装置があり、リタは今そこにいる。
「あれは……」
アレクサンダーの口から思わず声が漏れた。
塔の先端から光が飛び出し、空にカーテンを張りながら円状に広がっていく。
アレクサンダーの声で、近くにいたウィリアムとレネーも空を見上げ、結界が起動されたことに気づいたようだった。
三人について聖堂から外に出てきた信徒たちも空を見上げ、口々に女神への感謝を述べている。
少ししてリタが教会から出てきた。
「これでひとまず安心ね」
リタが安堵のため息をこぼす。
「さすがリタね」
「ふふ、ありがとう。レネー」
レネーが誇らしげにうんうんと頷き、リタが笑顔で言葉を返す。
アレクサンダーはウィリアムと顔を見合わせた。彼女たちはいつの間に仲良くなったのだろうと、同じことを考えているに違いない。
「おい、あれ見ろよ」
信徒の一人から声が上がる。
みながその男が指し示す東の空に目を向ける。
「なあ。あそこだけ結界が欠けてるように見えるのは、俺の気のせいか?」
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