9. 聖女様の髪は美しい銀色らしい



「ん、うう……」



 リタが目を覚ますと、肩に上着が掛けられていることに気づいた。

 そうだ。論文を読みながら寝てしまったのだ。

 意識が覚醒し周りを見ると、隣にアレクサンダーが座っていて、心臓がドクンと跳ねた。



「ぐっすり眠っていたな」



 恥ずかしい姿を見られていたことに気づき、リタの顔が赤く染まる。



「あ、その――他の方はどこへ?」



 アレクサンダーの視線から逃れるように周りを見れば、部屋にはケイトたちの姿がなくなっていることに今さらながら気づく。



「もう随分前に帰ったよ」



「えっ、もうそんな時間? もう、ケイトったら、起こしてくれればいいのに」



「彼女は君を起こそうとしていたよ。そこへ居合わせた私が、起きるまで君の様子を見てることを提案したんだ」



 王太子に話しかけられて、逃げるように部屋を出ていったケイトをリタは想像した。

 明日はいろいろと質問されそうだ。



「ありがとうございます。ぐっすり眠ったおかげで、体がとても軽いです」



「それはよかった。余計なお世話だったかと心配していたんだ」



「そんなことはありません。一人だとどうしても研究を優先してしまうので」



 リタは首を振って、アレクサンダーの懸念を否定した。

 顎のあたりで切り揃えられた黒髪が左右に揺れる。



「そうか――そういえば、君の髪についてだが」



「私の髪――ですか?」



「君が眠っている姿を見ていて――あー、べつに寝ている姿を凝視していたとかそういうわけではないんだが、ちらっと見たときにふと思っただけであって――」



「ええと、アレクサンダー様?」



 要領を得ないアレクサンダーをリタは訝しむ。



「まあ、つまりだ。君は髪を黒に染めているだろう?」



「はい」



「随分綺麗に染まっている。どのような染料を使っているんだ?」



「なぜそのようなことが気になるのですか?」



「母がこの前、白髪が増えてきたと愚痴をこぼしていたのを思い出してな」



「なるほど。では、今度私がエンケル王国へ行くときにでも、お母さまへのお土産として持参いたしましょうか」



「それはありがたい。きっと母も喜ぶだろう――おっと、長いこと話してしまってすまない。そろそろ私はお暇するよ」



 アレクサンダー椅子から腰を上げた。

 もう少しくらい話していてもいいのに、とリタは思ったが、リタが時間に追われる身であることを慮っての発言だと気づき、心が温かくなるのを感じた。



「私はもう少しここに残ります――あ、この上着、ありがとうございました」



 リタは、肩に掛かったいたアレクサンダーの上着を彼に返した。



「それでは、また近いうちに」



「はい、近いうちに」



 アレクサンダーが去った後、リタは染料の製法について思いを巡らせた。

 たしかあれは、特殊な方法で植物から成分を抽出していたはずだ――







「――というわけで、髪の染料の製法を応用すれば、正の魔力を生成する成分を祈願花から抽出できる……はずです」



 リタは昨日ひらめいたアイデアをメンバーの前で疲労した。

 また調べものやら理論の構築やらで徹夜してしまったが、考えは冴えわたっていた。今ならもう一日くらい起きていられそうだ。



「なるほど、髪の染料かあ。それを水晶花に移植することで、正の魔力を持った魔石が生成されるようになるってことね」



 ケイトが得心がいったように、何度も頷く。

 他の研究員を見ても、反応は良さそうだった。



「それで本当に水晶花の魔力の極性が負から正に切り替わるのかは疑問だけど――リタのことだから勝算はあるんだよね?」



「ええ、一応はね。魔力が人体に影響を及ぼす理由について、ちょっと思い当たることがありまして――みなさん、先日の体調改善騒動については覚えていますね? あれはおそらくですが、正の魔力が作用した結果、みなさんの魔力の極性が僅かに正に傾いたからだと思います。反対に長時間魔石の近くにいると体調が悪くなるのは、私たちの体内の極性が負に傾くから――とまあ、これも仮説にすぎませんけどね」



 リタ以外の5人が顔を見合わせる。

 ライアンが口を開く。



「そう……か。それなら確かに辻褄は合いますね――リーダーといると新しい理論が次々と出てきて、楽しいです。十も年下の子に研究者として憧れるなんて思ってもみませんでしたよ。俺、今まで追い抜いていく側だったから」



 ライアンが悔しさを滲ませて言った。



「それを言ったら、みんなそうでしょ。ここには学生時代からトップだった人しかいないんだし」



 ケイトがライアンの肩をとんと叩く。

 彼女の言動からは友人に対するような気安さが感じられる。この中でも特に年齢の近い二人は、年長者がいなくなった後、だいぶ打ち解けた。

 リタは弛緩した空気を元に戻そうと、咳払いをする。



「話を戻しますよ。祈願花の成分が水晶花全体に行き渡れば、極性を内側から正の方向へと傾けることができると思うのです。そうして正の魔力を生成する酵素を獲得することができれば、半永久的に正の魔力を生成する水晶花の完成というわけです」



「なるほどなあ。推論や願望が多分に含まれてるけど、この状況じゃあ検証してる時間も惜しいし、その線でやってみようか。植物の成分の抽出だったら、私、結構専門に近いから任せて!」



 ケイトが賛成の意を示した。

 彼女は化学的な反応によって成分を抽出する手法にかなり詳しいと聞く。

 前にハーブティーが趣味だと言っていた。

 『お湯による抽出は長きにわたって人類とともにある偉大な抽出方法なんだから!』と胸を張っていた。

 彼女のような、自然科学への愛が趣味にまで波及してしまっている人間をリタはおもしろいと思うし、彼女らの蘊蓄なら積極的に聞きたいと思える。

 ここにはそういう人間がたくさんいて、居心地が良かった。

 プロジェクトが終了してここを去ることを思うと、心にチクリとトゲが刺さったような痛みが走る。――なんて、気が早いかしら。

 終わった後のことを考える前に、プロジェクトを成功させなくちゃ。

 リタは寂しさを飲み込んで、気を引き締めた。

 他のメンバーも異論は無いようで、リタたちはさっそく実験の準備に取り掛かった。





「――で、あとはこのえんから塩基を遊離させるだけね」



 ケイトが慣れた手つきで液体を混ぜ合わせる。

 専門ではないが、リタも説明されれば理論は理解できる。しかし、その理論を実用できるかどうかは、やはり経験によるところが大きいのだと、ケイトを見ていて思う。



 抽出の実験はケイトに任せ、すぐ次の実験に移れるよう、隣の実験室で準備を始めた。

 数輪の水晶花を環境を整えた容器にそれぞれ入れておく。

 これが聖属性の魔石を生むようになれば……。

 組み上げた理論に重大な欠陥が無いか、脳内で確認していく。急造の理論だから粗さは如何ともしがたいが、しっかりと筋は通っているように思う。

 きっとうまくいく。

 花を眺めながらしばらく考え事に耽っていると、ドアが開いてケイトたちが入ってきた。



「どの抽出方法が今回の目的物に向いているかはわからないから、いろいろ試してたら遅くなっちゃった」



 両手に持った液体の入った容器を振る。

 後から入ってきたライアンたちもいくつか容器を持っていた。



「きっとそうだろうと思い、水晶花は複数用意しておきました」



「さすがリタね! じゃあひとつずつ試していきますか!」



 水晶花が入ったそれぞれの容器に液体を注いでいく。

 根から成分を吸収し、全体に行き渡るまでには時間がかかる。

 十分時間を置いて、理論上魔力の極性が変わったであろう頃合いを見計らい、その段階ですでに生成されている魔石を除去しておく。

 あとは新しい魔石が生成されるのを待つだけだ。







 翌朝、リタが研究室に入ると、すでに全員がそろっていた。

 一様に緊張した面持ちだ。

 リタは鞄を机に置く。



「さて、結果を見にいきましょうか」



 リタに視線が集まり、みなが静かに頷いた。

 ぞろぞろと実験室に向かう。誰も言葉を発しない。

 時間に猶予はなく、これが失敗であったらもう八方塞がりだと、若き研究者たちはみな理解していた。



 リタが実験室の扉を開ける。

 水晶花が小さな魔石を実らせているのが視認できた。

 この魔石が正と負、どちらの魔力を内包しているのかが問題である。

 教会に提供された聖属性の魔力を検出する装置で、これから調べていく。

 それぞれの水晶花から魔石を採取し、抽出方法別に分けていく。



「それじゃあ最初は塩基を作用させたものから」



 リタは、手に取った魔石を装置と繋がった特殊な金属製の皿の上にカランと転がす。

 しかし、何の反応もない。聖属性魔力なら装置が光るはずだ。

 研究員たちからため息が溢れた。



「次はお湯で抽出したもの」



 カラン。

 反応はない。

 その後も順に魔石を載せていくが、どれも反応はなかった。

 そして残る魔石は最後のひとつとなる。



「これが最後の魔石です。主に酸塩基抽出によるものですね」



 魔石を摘んでいる指が震える。

 リタは慎重に皿の上に魔石を置いた。



 ……反応はなかった。



「実験は失敗だったようです」



 リタはなんでもないように振る舞おうとしたが、声が震えて落胆の色が滲み出ていた。



「リタ……」



 ケイトが小さく声を漏らす。

 リタは装置から目を離し、ケイトに向き合った。



「はい。わかってます。しかしきっとまだ他にやれることが――」



「違う! 見て、リタ! 光ってる! 装置が! 光ってる!」



 ケイトが指差し、まくし立てる。



「やったのか? 俺たちはやったのか!?」



「あ、ああ。成功だ……。成功したんだ!」



「感謝します、神に」



 ライアンや他のメンバーたちがいっせいに騒ぎはじめる。

 リタは振り返って装置を見た。

 決して強い光ではなかった。

 淡い光だ。

 しかし、装置はたしかに発光し、リタたちを希望で照らしていた。

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