6. 聖女様の魔力はやっぱりすごいらしい



「最近、膝の痛みが綺麗さっぱりなくなったんだ。身体も軽い」



「え、先輩もですか?」



「ん? もしかしてお前もか?」



「そうなんですよ。チームのみんなが働き詰めだから言い出せなかったんですけど、僕もここのところ身体の調子が抜群にいいんですよね」



 食堂にやってきたリタとケイトが、座る場所を探していると同じチームの研究員二人が話している内容が耳に入っていた。



「興味深い話ですね」



 突然のちん入者に、右前に座る男がギョッとする。

 それを意に介さず、リタは食器を載せたトレイをテーブルに置き、彼らの片方の隣に腰を下ろした。

 ケイトがため息を吐いて、リタの正面に座る。



「り、リーダー……。珍しいですね」



 リタの斜め前に座る、チームの中では比較的若い研究員のライアンが困惑気味に言う。



「何が珍しいのですか?」



 リタが首を傾げる。



「いつもはケイトと二人で食べているので」



「そういうことですか。いえ、お二人が気になる会話をしていたものですから。なんでも、ここ最近身体の調子がいいとか」



「あ、違うんですよ。べつに研究の手を抜いてるわけじゃなくてですね、なんか今月に入ってから疲れがものすごく取れるんですよね。ねえ先輩?」



 ライアンは言い訳をするように言葉を並べ立て、助けを求めるように正面に座る白髪混じりの男、アランに話をふる。



「ああ。俺の膝の古傷は先の戦争の土産でな、日常生活を送るには問題ないが、ふとした時に痛みが走る。もう二十年近く怪我と共に過ごしてきたが、それがこの前から負荷をかけてもなんともないんだ」



 アランは自分の左膝をポンと叩いた。



「実は私もそうなんだよね。肩こりも無くなったし。なんか不思議。こんなにみんな揃って調子が良くなるなんて。リタはどうなの?」



 ケイトがリタに尋ねた。



「先週あたりから力がみなぎるような感じが続いています」



「リーダーもですか。さすがにチーム内で同時にこれだけ同じことが起こると、何か理由がありそうですね」



 ライアンが仕事中の顔つきになった。

 研究との関連を示唆しているらしい。



「ああ。聖ぞ――あの魔力の近くにい続けたことが影響しているのだろうか」



 アランが周りに聞こえないよう声を潜めた。

 聖属性魔力に触れ続けることで身体の調子が良くなる。その推論はもっともらしく聞こえるが、リタはそれには懐疑的だった。

 聖属性の魔法は、浅い傷を治す分には魔力の消費は少なく済むが、古傷を治すとなると、実験室で使用している魔力サンプル程度では足りない。

 そもそも魔法を発動させずに魔力だけで回復効果があるなんて聞いたことがなかった。



「可能性はありますが、まだこの四人だけです。一度チームの全員から話を聞いてみた方がよいでしょう」











 調査の結果、チームの研究員の多くが体調の改善を実感していることがわかった。

 調査対象を研究所全体に広げると体調が良くなったと回答する割合は明らかに少なかった。



 やはり聖属性の魔力サンプルが原因かと思われたが、さらに場合分けしてみると、実験室にほとんど入らないメンバーからも同様の声が上がっていることが判明した。

 研究室と実験室は少し距離がある。少量の魔力サンプルの影響がそこまで及ぶとは考えにくかった。

 しかし、考えられる原因がそれ以外に思い当たらない。



 行き詰まったリタは、人に会うたびに体調を尋ねるようになった。すると、チームの研究員たちのように明確に自覚するほどではないが、言われてみればなんとなく調子が良いという人が多くいることがわかった。






 リタは、遅い昼食をとりに食堂へとやってきた。

 さっきまで実験室にこもって作業をしていたせいでケイトは先にお昼を済ませていたから、リタは一人だった。



 食堂は空いていた。

 もう顔馴染みとなった若い女性従業員に注文をする。

 彼女は料理をお皿に載せながら、リタに話しかけてきた。



「いつもケイトちゃんと一緒にいる方ですよね?」



 ケイトは注文のとき、よく彼女とおしゃべりをしている。

 リタはその連れという認識で覚えられているらしい。



「そうね」



「研究チームのリーダーを任されてるって聞きました。まだ若そうなのにすごいです」



「ありがとう」



 リタの簡素な返事を受け、彼女は苦笑いを浮かべた。

 時間も遅く、他に注文をする研究員はいない。二人の間に気まずい沈黙が続く。

 そうだ、とリタは思い出し、口を開く。



「ひとつ聞いてもいいかしら」



「え、あ、はい。なんですか?」



「最近、身体の調子はどう?」



「ええと――調子はいいですけど」



 従業員は怪訝そうに答える。



「どれくらい? 以前と比べて明らかに違いがある?」



「そうですね、最近急によくなった感じです」



「それはいつ頃から?」



「うーん、半月ほど前かな? ――あの、これってなんの質問ですか?」



 半月前。

 ちょうどリタが身体の変化を感じ始めた頃だ。

 研究員たちもその時期からだと言っていた。

 食堂で働く彼女は毎日研究員たちと顔を合わせている。

 これは重大な手がかりのように思えた。



「ありがとう。参考になったわ」



 リタはトレイを持って、歩き始める。



「あの! これってなんの質問だったんですか!」



 従業員の声が後ろから飛んでくる。

 リタは彼女の方を振り向いた。



「国を救うための質問よ」







 リタが所長の部屋に進捗の報告に行くと、ちょうど所長室から出てくるアレクサンダーと入れ違いになった。

 報告を済ませ部屋を出ると、廊下の壁に背中を預けるアレクサンダーがいた。



「やあ」



 アレクサンダーが右手を挙げた。



「ごきげん麗しゅう、アレクサンダー様」



 リタは恭しくカーテシーを披露した。



「君は相変わらずだな。これからまた研究に戻るのか?」



「ええ、そのつもりです」



「真面目だな」



「民の命にかかわりますので。アレクサンダー様は真面目な人形はお嫌いですものね」



 なんとなくおもしろくなくて、リタは嫌味を込める。



「すまない。その意図はなかった。他人のために尽力できるのは君の良いところのひとつだ。私は君のそういうところに惹かれている」



 アレクサンダーの優しい眼差しに、リタは居心地が悪くなり、目を逸らした。

 彼の言葉は真っ直ぐすぎて、ドキドキする。

 恥ずかしいけど、おなかが温まるような不思議な感覚だ。

 真っ直ぐに褒めてくるところはあなたの良いところのひとつだけど、心臓には悪いわ。

 リタは心の中で文句を言い、廊下を歩き始めた。



「ひとつということは、他にもたくさん良いところがあるということですか?」



 リタは、自然と隣に並んだアレクサンダーに問いかけた。



「全部伝え切るにはこの廊下は短すぎるだろう」



「やはりあなたは軟派な方です――それでは、とっておきのものをひとつ、教えてください」



「とっておきもたくさんあるのだが――そうだな、君は研究が好きだろう?」



「ええ、その通りです」



 確かにリタは研究をするのが好きだ。

 仕事以上のものを感じている。

 楽しんでいることが顔に出てしまっているのだろうか。

 リタは頬に手を当てた。



「好きなことひとつに情熱を注げられるところ。多くの人は興味が分散する。君のように一途な人は少ない。そういう人に私は憧れる」



 アレクサンダーの声には切実な響きがあった。

 リタは隣のアレクサンダーをそっと見上げると、彼は真剣な表情で前を見ていた。

 廊下の終わりはもうすぐだった。



 心がぽかぽかと温かい。

 リタは彼に聞かなければならないことがある。



「アレクサンダー様、ひとつお伺いしたいことが」



「うん?」



 彼と目が合う。

 吸い込まれそうな青い瞳だ。



「前に私と会った日から、お身体に変化はございませんか?」


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