2. 聖女様の魔力を研究するらしい



「聖女様が国を出ていった。このままでは、教会の魔力タンクに蓄えられている聖属性の魔力は、後三ヶ月で底をつく。そうなれば、我がスティエン公国の聖都を守る結界は消失し、魔物たちの侵略を許すことになるだろう。本日、諸君らのような優秀な魔法学者に集まってもらったのは、三ヶ月以内に聖女様なしで結界を展開できるよう、聖属性魔力の謎を解き明かしてほしいからである」



 国立魔法研究所のとある一室にて、髭を生やした壮年の男が十人余りの人だかりに向かって語りかけている。

 人々は困惑したように互いに顔を見合わせた。



「所長、それって聖女様を連れ戻すことはできないんですか?」



 一番前にいた二十代半ばほどの女が聞いた。

 女の質問に所長と呼ばれた髭の男が苦い顔をする。



「聖女様は、エンケル王国の王太子に保護されたという情報が入っている。当然、研究と同時に国家としてそちらとの交渉も進めていくことにはなっている。しかし、彼女が戻らなかったときのためにも保険が必要だろうと、スティエン公爵家の判断である」



 聴衆の中から中年の男が手を上げた。

 所長が顎をしゃくって彼に発言を促した。



「聖属性魔力の謎の解明と言ったって、いったいどうするつもりなんです? 十分な量と濃度を併せ持つ人なんて、今世代ではヘンリエッタ聖女くらいですよ。たった一人にすべてを吸われた凶作の世代と巷で揶揄されているのは、所長もご存じですよね? その聖女に逃げられたのですから、研究のしようがないじゃないですか」



 男はお手上げだとでもいうように肩をすくめた。



「うむ、マグワイア君の言うことももっともである。しかし、そのことに関しては問題ない。なぜなら、教会が聖属性魔力を提供してくれることになっているからだ」



「あの教会が!?」



 ざわめきが広がる。

 みな驚きを隠せない様子だ。



「その通りである。さすがの教会も国家の危機を無視するわけにはいくまい――さて、聞きたいことは山ほどあるだろうが、先にこの研究チームのリーダーを紹介したい。リタ・ハミルトン、前へ」



 はい、と小さく返事をし、一人の若い女性が人の間を抜け出てくる。

 彼女は所長の隣に並ぶと、反転し、俯きがちに人々に向き合った。

 黒髪のミディアムヘアで、前髪は比較的長く、眼鏡の奥の目が見え隠れしている。

 内気そうな少女だった。



「彼女はこの中で最も若いが、能力は申し分ない。この急造チームのリーダーとして遺憾なく実力を発揮してくれることだろう。ハミルトン君、簡潔に挨拶を頼む」



「リタ・ハミルトンと申します。私についてくれば、この未曾有みぞうの危機も乗り越えられるでしょう。よろしくお願いします」



 リタの喋り方はぼそぼそとしたものだったが、内容は堂々たるものであった。

 それが大言壮語なのか実力に裏打ちされたものなのかは、今の段階ではわからないことだったが、見た目から最初に抱いた彼女に対する印象が覆されたのは確かであった。



「君たちの不満は理解している。一週間やって上手くいかなかったら、そのときは彼女をリーダーから降ろす。それまでは文句を言わず彼女に従ってくれ。最後に、スティエン公は国民の不安をいたずらに煽ることを望まれていない。ゆえに、今話した聖女に関する一切の情報は他言無用である」












 所長からの諸々の説明が終わり、今日のところは解散となった。

 研究室をすぐに出ていった者もいれば、残って話をしている者もいる。

 リタは研究所に勤める人向けの寮に引っ越してきたばかりだったから、帰って荷物の整理をしようと思っていたのだが、部屋を出ていく前に後ろから「リーダー」と呼び止められる。

 振り向けば、さきほど最初に所長に質問をしていた若い女性が片手を振っていた。



「はい。なんでしょう」



 リタが返事をする。



「リタだったよね? わたしケイト。これからよろしくね」



 ケイトと名乗った彼女は、リタに右手を差し出した。

 それに応え、握手をする。



「よろしくお願いします、ケイトさん」



「その若さでリーダー任されるなんてすごいじゃない。スティエン学院出身でしょ?」



「いえ、グランスです」



「えっ」



 ケイトが驚いた顔をする。

 結界の中には学院がふたつあるが、西のグランス学院は中央のスティエン学院に、格式でも学力でも遠く及ばない。

 国の命運がかかった研究チームのリーダーをリタほどの若さで任されたとなれば、スティエン学院出身だとケイトが考えるのも無理はなかった。



「あ、ごめん! 悪い意味じゃないの! ちょっと意外だったから……」



 ケイトは両手をあたふたと身体の前で動かした。



「気にしてませんよ。ケイトさんは……」



「私はそと出身。卒業してから初めて結界の中に入ったの。子供の頃から憧れだったんだ」



「憧れですか。私は逆にずっと中なので、外の生活には興味があります。といっても、やはり外は怖いのですが」



 結界の外は魔物がうろついているが、人類のほとんどはそこでふつうに暮らしている。

 このスティエン公国も、聖都こそ結界で覆われているが、領土の大部分は結界の外だ。

 リタは魔物は恐ろしいモノだと幼い頃から言い聞かせられてきたから、それを初めて知ったとき、結界なしに人々はいったいどうして暮らしていけるのかと、たいそう驚いたものだった。

 魔物への極度の恐怖心は、結界の中で暮らす人間特有のものだという。

 それはスティエン公国が魔石の産出地であることに起因する感情だ。

 なぜなら、魔物は魔石によって凶暴化するからだ。

 魔石の採れるこの地は、本来であれば凶暴な魔物が跋扈ばっこし、決して人類の居住に適した土地ではなかった。

 スティエン公国は、国のおこりからして特殊である。

 過去のどこかで魔物を退けられる魔力を持つ者が出現し、その力でこの地から魔物を追い払ったのが始まりだと言われている。



「一度外に出てみたら案外なんともないよ、きっと」



「そういうものですか」



「そうそう。出ていった聖女様も今ごろ外の世界を満喫してるって。隣の国の王太子と一緒にさ。きっと愛を囁き合いながら腕なんか組んで、周りに幸せを見せつけているのね」



 ケイトが冗談めかして、おおげさに夢見る乙女のような仕草をして見せた。

 リタは安堵した。

 一番歳の近い同性の同僚は楽しい性格をしているみたいだ。



「リタのハミルトン家って西側の?」



「……よくご存知で。辺境のあまり知られていない家ですが」



「やっぱり! 昔は私の家とハミルトン家は少しだけ交流があったから、何度かご夫妻とお話ししたことがあるの。世間は狭いわ! でも、お二人の間に子どもがいたなんて知らなかったわ」



「私は遅くに養子として迎えられたので、ケイトさんが知らないのも無理はありません」



「そうだったのね……。でも一人娘がこんな大きなプロジェクトのチームリーダーに選ばれて、きっと喜ばれているに違いないわ――あ、そうだ。リタに聞きたいことがあったんだった」



 ケイトが真面目な顔をする。

 話題も表情もよく変わる人だと、リタは感心した。



「なんでしょう?」



「このチームのメンバーがどう選ばれたのか知ってる? ほら、なんていうか、編成がちょっと特殊じゃない? 私が選ばれてたり、その、リタがリーダーだったり。あ、悪い意味じゃないのよ? でも国の一大事に実績の少ない研究者を選ぶのってやっぱり不思議でしょう? リーダーのあなたなら何か事情を知ってるんじゃないかなって」



 ケイトがリタの顔色を窺いながら尋ねる。

 そういった疑問がわいてくるのは仕方のないことだった。



「私が所長から聞いた話では、信心深い研究者は可能な限り避けているらしいです。聖属性魔法に関する研究ですから、いくら研究者といえど、人によっては忌避感を覚えても不思議ではありませんので」



 ケイトが研究室を見回し、まだ部屋に残っている顔ぶれを確認する。

 それから、納得したように頷いた。



「なるほどなあ。若い人が意外と多いと思ったんだよね。あ、でもアランさんはたしか、信心深かったはず」



「アランさん?」



「そう。ほら、あそこの角の席に座ってる、ガタイのいいおじさんいるでしょ? 前まで同じチームで研究してたんだ。所長とは仲がいいらしいから特別に選ばれたのかも。頼りになる人だから、リタもリーダーとして困ったときは、いろいろ話を聞いてみるといいよ」



 リタたちが話していることが聞こえたのか、アランが顔を上げ、目が合う。

 鋭い目つきに、リタはたじろぐ。

 ケイトが安心させるようにリタの肩に手を置いた。



「見た目は怖いかもしれないけど、いい人だから」



 目が合ったのは少しの間で、アランの注意はすぐに机の上の書類へと向かった。

 所長が信頼しているのなら、頼ってみてもいいのかも。

 リタは帰り支度を始めたアランをじっと見つめた。

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