3. 聖女様は隣国の王太子に気に入られたらしい


 リタの洞察力や発想には目を見張るものがあり、彼女の研究者としての実力は最初の一週間で多くが認めるところとなった。

 リーダーシップに関しては特段優れているわけではなかったが、この研究所に長く勤め、十分な経歴もあるアランがリタの補助に徹したことで、少なくとも表立って不満を口にする者はいなくなった。

 アランからチームをまとめる術を学び、リタはリーダーとしても日々成長を続けている。



 研究が良い滑り出しを見せ、チーム内の研究者たちが新しい机に慣れ始めた頃、隣国のエンケル王国から魔法技術協力の名目で秘密裏に使節団が派遣されてきた。

 団長はアレクサンダー・ノードストローム。

 聖女を保護したとされる、エンケル王国の王太子だ。



 スティエン公国は魔石の産出国という地理的な優位性により、国民の豊かな暮らしを維持している国だ。

 水晶花と呼ばれる植物から採取した魔石の多くは、交易のために国外へと運ばれる。

 それゆえに、技術力においてはエンケル王国などの周辺の大国に後れを取っており、国同士が友好関係であることから、技術提供という形で大使が遣わされてくることは過去にもあった。

 今回のも一見同じように見えるが、所長から聖女関連の裏の事情を説明されている研究者たちは様々な憶測を巡らせていた。

 中でも国家間の関係を悪化させないためのご機嫌取りだという意見が多く、渦中の王太子が使節団の団長を務めていることが、その説にさらに説得力を持たせていた。



 さきほどリタが出勤すると、所長が研究室に来ていた。

 なんでも、王太子が研究チームとの顔合わせに来ているらしい。

 続々とメンバーが出勤してきて、全員が揃うと、所長は所長室で待たせているという王太子を呼びにいった。

 リタは王太子とは話したことはないが、遠目から一度だけ見たことはあった。

 背の高い男だったと思う。

 その後、彼の名前や話などは嫌というほど耳にしていたが、こうして研究室で会うことをリタは聞かされていなかったから、顔には出さずとも内心ひどく動揺していた。



 落ち着かないのは他の研究者たちも一緒のようで、みなそわそわとしている。

 入口のドアが開かれ、ひそひそと小声で話していた者たちがいっせいに黙った。

 男が所長の後に入ってくる。

 背が高く、ややつり目の男だ。

 初対面の相手には冷ややで威圧的な印象を与える風貌である。



「こちらは、エンケル王国から技術協力の大使としてお越しくださった、アレクサンダー・ノードストローム様である」



 彼の名前が出た瞬間、小さくどよめきが起こった。

 彼こそが、聖女を保護したと噂されている渦中の人物である。

 アレクサンダーは研究員たちの反応にも表情を変えず、一歩踏み出した



「エンケル王国王太子のアレクサンダーだ。紹介にあった通り、魔法関連の技術提供のため、この国を訪れた次第である。滞在中、顔を合わせることも多いだろう。よろしく頼む」



 アレクサンダーは淡々とそれだけ言い、所長とお供を連れて去っていった。

 去り際に一瞬だけリタを見たような気がした。







「ちょっとちょっと! ねえリタ! アレクサンダー様すっごいかっこよくなかった!? 無責任聖女をかくまったなんて聞いてたから、もっとヘラヘラしたバカっぽい王子を想像してたんだけど! いい意味で裏切られちゃった。さっきの見た? あんな凛々しい方だったなんて!」



 アレクサンダーが去ってすぐ、同僚のケイトが興奮を抑えきれないといった様子でにじり寄ってきた。

 二十代半ばでチームの中ではリタと一番歳の近い同性ということもあって、すでに打ち解けていた。

 彼女は、さっきの挨拶だけですでにアレクサンダーのとりこになってしまったらしい。



「ケイト、そんな失礼なことを言ってはいけないわ。アレクサンダー様は研究に協力してくださるのよ?」



「リタったら、ほんとかたいんだから。石になっちゃうわよ? あなただってステキだと思ったでしょう?」



「私は……お互いの立場を考えると正常な判断が下せないわ」



「あのねぇ、王子様相手に立場のことなんか気にしなくていいのよ。本気で恋仲になろうってわけじゃないんだから。夢を見るのは乙女の特権でしょう?」



「ケイトは難しいことを言うのね」



「難しいことを考えてるのは、どちらかと言えばリタの方だと思うけど」



「そうかしら? でも、今は気を抜けない状況じゃない? 夢を見る暇があれば研究を進めたいわ」



「ああもう! 思い出しちゃったじゃない! 研究のこと考えるとプレッシャーに押しつぶされそう」



 ケイトが俯いた。

 国民の命を背負う重圧は、チームの誰もが感じている。

 リタの心には罪悪感があった。

 アレクサンダーに熱を上げるのはケイトなりの気晴らしなのかもしれない。

 ケイトが顔を上げ、真面目な顔でリタを見る。



「ねえ、リタ。思ったんだけど、聖女様を保護してる国の王太子が技術提供に来るのってなんか変じゃない?」



「どういうことかしら」



「え、だって、結界の研究のための技術提供なんでしょう? そんなことする前に、さっさと聖女様を渡してくれれば済む話じゃない」



「そうね――考えられるのは、聖女様自身に戻る気がないとか」



「やっぱそうなのかあ。はぁ、ほんといい迷惑。お隣の国まで巻き込んでさ。このままだと国同士の関係が修復不可能になっちゃうから、向こうもなんとか取り繕おうと王太子を送り込んできたんでしょ? 聖女様、ご自分の影響力わかってらっしゃらないんじゃないの? まあ、わかってやってるとしたらそっちの方が問題だけどさ」



 ケイトが呆れたようにため息を吐いた。

 彼女の聖女に対する評価は下降する一方だ。

 すでに底を突き破り、地面を掘り進めている段階かもしれないとリタは思った。






 食堂での夕食を終え、魔道具の明かりが照らす廊下をリタとケイトが歩いていると、研究室の方から来たアレクサンダーと鉢合わせした。

 リタは立ち止まり、目線を下げる。



「ご機嫌麗しゅうございます、王太子殿下」



「ご、ご機嫌麗しゅうございます」



 リタが挨拶をし、ケイトが落ち着かない様子でそれに続いた。

 アレクサンダーが立ち止まる。

 そのまま通り過ぎると思っていたから、リタは不思議に思った。

 ケイトがそわそわとし始めたところで、アレクサンダーが口を開いた。



「――少しそちらの女性と話がしたい。眼鏡をかけているあなたのことだ」



 リタは顔を上げた。

 目が合うと、彼の色素の薄い目に吸い込まれるような錯覚を覚える。



「私ですか?」



「そうだ。セオは先に行ってくれ」



 アレクサンダーが従者と思われる男に言う。



「すみません。ケイトも先に研究室へ向かっていてください」



 リタが言うと、ケイトはぴょんと跳ねあがり、ぎこちない動きで歩き始めた。

 セオと呼ばれた男とケイトがいなくなり、アレクサンダーと二人きりになる。



「あなたの状況のことはわかっている。先ほどミラー所長からも詳細な説明を受けたところだ」



「さようでございますか。では改めまして。研究チームのリーダーを務めます、リタ・ハミルトンと申します」



 アレクサンダーが眉を寄せる。



「堅苦しいな。私のことを警戒しているのか? 二人きりなのだ。あなたも気を抜いてみてはどうだろう」



「王太子殿下は我が国の聖女様をお慕いしていると我がチームでは噂になっております。聖女様もさぞ幸せなことでしょう。そのような噂のある方と私ごときが親しげに話せば、殿下の醜聞につながりかねません。それとも、まさかとは思いますが、殿下は軟派な方なのでしょうか?」



「……ふむ、あなたはそういう女性なのだな。ならば私もそれに合わせよう」



 アレクサンダーが意外そうに顎に手を当てた。

 リタは、たったこれだけの会話で推し量れるほど薄っぺらな性格を自身がしているとは思わない。

 少しだけムッとする。



「ではお聞きしますが、聖女様はどのような方なのですか?」



 聖女と張り合うことにまるで意味などないが、聞かずにはいられなかった。



「そうだな――会うまでは外見が麗しいだけの人形のような女かと思っていたが、意外と違う一面もあるらしい。亡命を手助けするに値する女性だと思い始めたところだ」



「ずいぶんと控えめな表現ですね。研究員たちの間では、殿下が聖女様に一目惚れをしたのだとまことしやかに囁かれておりますよ」



「そうか。では否定しないでおこう。その方が都合がよさそうだ」



「では私も、その方向で話を広げておきましょう」



 お互いに嘘らしい笑みを浮かべ、しばし見つめ合う。

 背の高いアレクサンダーに見下ろされるのは威圧感があったが、リタは負けじと目を逸らさなかった。

 ……いったいなんの勝負をしているのかしら。

 自分の子どもっぽい行動にバカらしくなってきた頃、アレクサンダーが先に目を逸らした。



「うむ、今日は話せてよかった。これからよろしく頼む。リーダー」



「ええ、こちらこそ。殿下」



 リタとアレクサンダーは同時に反対の方向へと足を踏み出した。

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