第11話 父を奪うもの

「なぜ龍王が!?」


 牛頭骨がフワフワと草原を漂う。

 

ずわぁ!


 突然、牛頭骨を囲うように浮かんでいた黒い靄が真水に溶け込む黒い血液のように誘拐犯たちに向かって伸びた。


「逃げろぉ!」


 男たちは散り散りになって黒い霞から逃れようとするが、やがて追いつかれてしまった。

 黒い霞が彼らの体を包み込む。

 直後、彼らの頭、腕、足が次々に馬から転げ落ちた。


「―ぐあっ!!」



ぶしゃっ!

ぐしゃっ!


「もうやめてくれ!子供は返す!」


ずしゃっ!


「降参すっ―!」


ズンッ!


 最後に、アタシの後ろにまたがっていた男の声が聞こえた。

 男の体重がアタシの背にのしかかった。

 襟元の隙間から男の暖かい血が流れ込んでくる。

 血液はアタシの手を縛る縄を真っ赤に染め、震える爪先からポタポタと馬の背に落ちていった。

 おぞましい光景にアタシは気を失いかけた。


「ヒィーヒヒン。ブルルル」

 

 馬が嘶きで、ようやくアタシは正気に戻った。

 いつの間にか、アタシの乗る馬は牛頭骨に止められていた。


「朽ちよ…マグダリア…」


 その言葉と共に、牛頭骨とそれを覆っていた黒い靄は黒い砂のように地面に溶けていった。

 そして、アタシはその声の主に抱えられた。


「ヴァレンティーナ様、ご無事ですか!?私です。ダンシエルです!」

「…ダン?」


 見覚えのある顔がアタシを覗き込んだ。

 ピンと伸びた口ひげを生やした中年の痩せた男が、ニコニコしながらアタシに笑いかけている。


「そうです!ダンおじさんですよ!さぁ、城に戻りましょう」

「…ダン……ダン……うぁぁぁぁぁぁぁん!」


 見知った顔を見て、アタシはようやく自分が助かったことを理解した。

 そして、これまで我慢した分を取り戻すかのように泣いた。


「うっうっ…ダン…ダン…」


 泣き続けるアタシをダンは抱きかかえ、マントでくるんでくれた。

 そして、緊張が解け、安心したアタシはここで気を失ってしまった。

 これがアタシが見る、最後のダンになるとも知らずに…


 再び目を覚ました時、アタシは城のベッドの上だった。

 ベッドの側の椅子には父上が座っていた。


「ち、父上!」


 アタシは父上に抱き着いたが、父上はあまり嬉しそうではなかった。

 この時はアタシが城を抜け出したことを怒っているのだと勘違いしていたが、そうではなかった。

 アタシが気を失った直後、ダンと飛竜隊は国境を越えてきた将軍クヴェートの襲撃を受けてしまったらしい。

 ここまで全力で飛んできた飛竜には、再び飛び上がる体力は残っておらず、仕方なくダンたちは誘拐犯たちの馬に乗り換え、魔王城まで逃げようとした。

 しかし、馬もすでに体力の限界に達していて、追いつかれるのは時間の問題だった。

 ダンは部下にアタシを預け、少数の側近と共にド軍の足止めに向かった。

 死剣士ダンシエルとして、ド王国にもその名を馳せている彼は、ド軍の足止めをするどころか、一時はド軍を国境近くまで押し戻したらしい。

 しかし、それでも多勢に無勢。

 徐々にダンたちは追い詰められ、一人、また一人と打ち取られていった。

 そして、ようやく父上が率いる魔王軍の騎馬隊が到着したころには、すでにド軍は撤退しており、代わりに累々と積み上げられたド軍の屍とダンたちの死体があったらしい。


(アタシが直接ダンを殺したわけではない)

(でもアタシが城を抜け出していなかったら…)

(アタシが言いつけを守って部屋にいれば…)


 アタシは誘拐されず、ダンが死ぬこともなかった。

 

 ダンの死後、ドヴィーは王位を継いで龍王になった。

 そのせいで、ドヴィーは考古学の学校を退学し、同時に、ドヴィーの夢であった教師の道も絶たれてしまった。

 アタシはドヴィーから父親だけでなく、やりたいことまで奪ってしまったのだ。


 この事件の後、ド王国は今回の騒動を将軍クヴェートの単独行動として発表した。

 ド王は無断で軍を率いたクヴェートを処刑し、彼の家族や征魔派の中心人物たちを流刑、つまりは厳しい生活環境の離島に移住させた。

 そして、ド王国は賠償金の支払いと和解案を持ちかけてきた。

 魔王国内では徹底抗戦を唱える人たちも少なくはなかったそうだが、魔王国はとても戦争などできる状態ではなかった。

 龍王を失ったからではない。

 今回の騒動には”裏切り者”がいたからだ。

 そして、その裏切り者というのがまたやっかいなことに…


「お前、誰だ!」

「―きゃ!!」


 唐突に後ろから叫ばれた。


「お前、だれだ!」

「おみゃえ、だれぇだぁ!」


 驚いて振り返ってみれば、そこには二人の子供が胸を張りながら立っていた。

 男の子は多分7、8歳くらい、女の子はそれより2歳くらい若いだろうか。

 二人とも額に小さな角があり、子供にはあまり似合わない法衣のような服を着ている。

 

(ドヴィーの子供か…あっ!)


 ドヴィーと喧嘩別れしてしまったせいで、ドヴィーの家族を紹介してもらうのを忘れていた。

 

(やばい。このままじゃ、ただの不審者に…)


「ア、アタシはヴァレンティーナよ。ドヴィー、じゃなくて、アナタたちのお父さんのお友達なの!」

「嘘つけ!お父さんに友達なんていないぞ!」

「確かに!そりゃそーよ…あっ」


 ついつい、納得してしまった。


「やっぱり、嘘ついてたな!悪い奴!」

「わりゅい、やちゅ!」


 兄の疑いの目はさらに強さを増し、妹は兄の真似をしてさらに胸を張る。


「えーと、そうね…あっ!アタシは魔王なのよ!お父さんから聞いてない!?魔王のこと!」

「…魔王?…ちょっと待てろ!」


 二人はアタシに背を向け、内緒話を始める。

 内緒と言っても、アタシには思いっきり聞こえてるが。


「お父さんの言ってたやつだな」

「いってちゃやつ」


 (おっ、ドヴィーのやつ、ちゃんとアタシのこと、子供に話してたのね)


 これですぐに疑いも晴れそうだ。


「国で一番偉くて一番強い…」

「えりゃくてつおい」


(うんうん。ドヴィーのやつ、いつもアタシをバカにする割には、家族の前ではちゃんと立ててくれてるのね)


「一番ダラしなくて、チビで、ワガママなやつ」

「ダラしなくて、チビで、ワガママなやつ」


(…前言撤回!ってか、妹!なんでアタシの悪口だけはちゃんと言えてんのよ!)

 

 もういい。

 時間がもったいない。


「ねぇ!もうアタシが魔王だってことはわかったんでしょ?」

「…」

「もし信じられないなら、お母さん呼んできていいわよ!」

「…いないもん」

「え?」

「いないよ…お母さんはお買い物に行ったから」

「…そうなの」


(こんな小さい子供たちを置いて?いくら自宅と言っても…ドヴィーたちは何考えてんのかしら)


「じゃあ、お母さんが帰ってきたら話すわ。それでいい?」

「うん」

「それじゃ、お姉さんは仕事が忙しいから、またあとでね!」


 子供たちに背を向けてアタシはチューブで草を吸い始める。


ピーーー

ストン


 アタシの仕事が面白いのか、子供たちは後ろをついてきている。


(まぁ、危なくはないし、いいか)


 チューブで草を吸い込む。


ピーーー


 警告音が鳴る。

 

ストン


 飼料が落ちてくる。


チューブで草を吸い込む。


ピーーー


警告音が鳴る。


ストン


飼料が落ちてくる。

それを妹が兄に渡す。

 

ベシッ!


兄がアタシに飼料をぶつける。


チューブで草を吸い込む。


ピーーー


警告音が鳴る。


ストン


 飼料が落ちてくる。

 それを妹が兄に渡す。


ベシッ!


兄がアタシに飼料をぶつける。


「くぉらぁぁぁぁ!さっきから、何やっとんじゃー!!!」

「っひ!」


 つい反射的にツッコんでしまった。


「ごめんなさい」

「ご…なしゃい」


(…別に痛くもないし、ツッコミのつもりだったんだけど)


 兄妹は今にも泣きそうな顔をしながら謝っている。

 子供だということをすっかり忘れていた。


(うわぁ、どうしよぉ)


「だって、ヒック、だって…遊びたかったから…うぁぁぁぁん!」

「うぁぁぁぁん!」


 とうとう、二人は大声で泣き出してしまう。


「ごめん!ごめん!怒ってないから!ね?ね?」


(よく考えたら、子供をあやすなんて初めての体験ね。どうやったらいいのかしら)


 子供に慣れてなさ過ぎて、アタフタしてしまう。


(とりあえず、頭でも撫でてみよう。…でも他人の頭なんて撫でたことないのよね)


「…よしよし。おねぇさんが悪かったわ。ちょっと遊びたかっただけだよね」

「…うん…遊びたかった」

「お父さんかお母さんが帰ってきたら遊んでもらおうね?」

「…ムリだよ…お父さんはいつも仕事で帰ってこないし…お母さんも…家の仕事で忙しいって…」

「…そっか」


(…アタシのせいか)


 奥さんもドヴィーがいないから、家事や育児を全部ひとりでやっているんだろう。

 こんな町から離れた場所では、子供を預けられる人もなかなかいないだろうし。

 それで子供たちだけで遊んでいたのだ。

 

(…そんなことにも気づかずに、アタシは…)


「…お父さんが龍王じゃなかったらよかったのに。…そしたら、もっと家にいてくれたかも」


 子供の頃、アタシも父上が魔王じゃなければと思っていた。

 普通のお父さんならもっと会えたのに…と。


「…おねぇちゃん、ごめんね」

「…」


 この子たちに幼い頃の自分と同じ思いをさせてしまっている。

 それもアタシのせいで、だ。


(よしっ!)


 アタシは決意した。


「決めた!約束するわ!二人がお父さんと遊べるように、アタシがお父さんに頼んであげる!」

「本当!?」

「ほんちょう!?」 


 二人の顔が一瞬で笑顔に変わる。


「本当よ!アタシは魔王なんだから!」

「そっか!魔王はワガママだもんね!」

「ちがう!魔王は一番偉いから大丈夫なの!」

『アハハハハ!』


 二人はお腹を抱えて笑ってくれた。


(アタシも父上に遊びに行く約束をしてもらった時はあんな感じだったな)


 二人の喜ぶ顔が幼い頃の自分に重なる。

 ドヴィーが忙しいのはわかっているが、アタシが仕事を手伝えば、半日くらいなら休みを作れるだろう。


(…できたら会議には出たくないけど)


「ありがとう!僕、ティオ!」

「あちゃしはラナ!」

「ティオにラナね!アタシのことはヴァレでいいわよ!」

「わかった!ヴァレおねぇちゃん、仕事の邪魔してごめんね!」

「ごめぇんえ!」

「気にしないでいいのよ!楽しみにしててね!」

「うん!」

「じゃあ、お姉ちゃんは仕事しないといけないから!」

『バイバーイ!』


 そういって、二人は家の中に戻っていった。

 走るうしろ姿からも喜びが伝わってきた。

 晴れやかな気持ちになったアタシは、再びリュックサックを背負い、意気揚々とチューブで草を吸い始めた。


◇ ◇ ◇ ◇



ピーーー

ストン


ピーーー

ストン


 牧草を吸って飼料を作る単調な作業。

 終わらないんじゃないかとも思ったけど、このままのペースなら日没までには終わりそうだ。

 後ろを振り返れば、自分の労働の成果ともいえる飼料が牧場を埋め尽くしている。


(ふぅ…たまには城から出て体を動かすのも悪くないわね)


 それにしても、仲のいい兄妹だった。

 アタシも兄上と一緒に育っていたら、あんな感じだったのだろうか。

 

(アタシの兄上ってどんな顔なんだろ?父上に似てるのかな?)


 アタシの兄上であるダリスが、地下の冥王城にいるという話は前にもしたが、実はこれには理由がある。

 ダリスの母、冥王リリアスは誰もが認める絶世の美女だった、らしい。

 アタシは会ったことがないので、”らしい”としか言えないが、彼女を見たことがある人たちが言うには、大陸中から交際の申し込みが絶えなかったようだ。

 そんな彼女に父上も心を奪われた。

 すぐに熱烈なアプローチを開始したのだが、初めはまったく相手にされなかったらしい。

 しかし、ついにはリリアスが折れて二人は結婚した。

 二人は誰もが認める仲睦まじい夫婦となり、すぐに二人の間には長男ダリスが生まれた。

 二人の将来は順風満帆に見えた。

 しかし、その関係は長くは続かなかった。

 父上がド王の娘と政略結婚してしまったからだ。

 魔族に重婚や側室という制度は存在しない。

 だから、父上はリリアスと別れなければならなかった。

 当時、龍王だったダンをはじめ、多くの側近たちは離婚に反対したらしい。

 アタシもこの話を聞いたとき、自分の耳を疑った。

 なぜあの優しい父上がそんなヒドイことをしたのだろうと。

 政治とはいえ、リリアスがあまりにも可哀そうだと思った。

 周囲の反対にもかかわらず、父上はリリアスとの離婚を選んだ。

 噂ではリリアス自身が政略結婚を後押ししたという話もあったらしいが、本当のところは分からない。

 父上に聞く勇気はアタシにはなかった。

 そして、父上と離婚したリリアスは息子を連れて冥王城に籠り、今に至るまで地上に現れたことがない。

 これが私と兄上が今まで会ったことがない理由である。


「…れぇー---!」

「ん?」


 なんか聞こえたような。

 リュックの吸引を止めてみる。


「ヴァレーーーーーー!」


 声の方を振り向くと、ドヴィーの息子のティオがいた。

 顔が涙でぐちゃぐちゃだ。


「ヴァレ!大変なんだ!ラナが、ラナがー---!」

「どうしたの!?ラナに何かあったの!?」

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