第10話 フシミオースの戦い

初めはムリに思えていた草刈りも、地道にやってみれば、思いのほか早く終わりそうだ。


ピーーー

ストン


ピーーー

ストン


 歩きながらチューブで牧草を吸っていくという単調な作業。

 そのせいか、ドヴィーの言葉が何度も頭に浮かんでくる。

 意識して別のことを考えても、気が付いたらそのことばかり考えている。

 さっきも言ったが、ドヴィーの父親はアタシが殺した。

 まだ7,8歳くらいの頃の話だ。

 当時のアタシはひとりぼっちだった。

 

(まぁ、今もそんなに変わらないけど、ミラがいるし、豆蔵もいるからね)


 その頃のアタシは毎日一人で遊んでいた。

 アタシに兄がいることは話したが、兄上とは遊んだことは一度もないし、顔すら見たことがない。

 兄上は地下の冥王城で彼の母親と一緒に暮らしていたからだ。

 ちなみに兄上の母親といってもアタシの母親ではない。

 兄上とは腹違いの兄妹だからだ。

 兄上だけでなく、アタシには友達もいなかった。

 城に同年代の子供がいなかったからだ。

 メイドに頼めば遊んでくれたが、あまり楽しくはなかった。

 なんとなく、メイドがアタシに気を使っているのが分かったからだろう。

 そんなあたしにとって、唯一の楽しみは、父上との外出だった。

 アタシと違って魔王としての仕事をちゃんとしていた父上は毎日忙しそうだった。

 しかし、それでも父上は時間を見つけては私を色んな場所に連れて行ってくれた。


「父上、あれはなに?」

「ルーシア様のお墓だよ。ヴァレのずっと昔のおじいちゃんでもあるんだよ」


「父上、沢山蝶々がいるよ!」

「はは。あれは蝶々じゃないよ。極楽コウモリといって、花の蜜を吸うコウモリなんだ。見た目は蝶々みたいだけどね」


「父上、すごく大きな滝ね!」

「あれはね、実は滝じゃないんだ。昔の戦争中の魔法が今でもずっと残っているんだよ」


 どこにいっても父上と一緒なら楽しかったが、その中でもアタシにとって忘れられない場所があった。


「父上、ここは何のお店?」

「本屋だよ。ヴァレは本が好きだろ?」

「えぇ!?これ全部、本なの?」


 その頃、既に本の虜になっていたアタシには衝撃的な体験だった。

 アタシは大好きな父上のことも忘れて、夢中で本を開いたが、父上は何も言わずに椅子に座って待ってくれていた。

 自分の部屋には母上が残した恋愛小説しかなかったのだが、本屋には推理小説、ミステリー、歴史もの、他にも今まで読んだことのない種類の本がたくさんあった。

 城に帰ってからも、興奮でなかなか寝付けなかったのを今でも覚えている。

 次の日から、アタシは人を見つけては、本屋にあった本の話をするようになった。


「あのね。そのドラゴンっていうのがね…」

「…ああ、そうなのか」


 その中には、当時、まだ城付きになって間もないアルもいて、しばしば夜遅くまで付き合わさせていた。

 本屋での体験は、まるで刻印でもされたかのようにアタシの頭から消えなかった。

 もう一度本屋に行きたいという感情は日に日に強くなっていった。

 そしてある日、アタシは城を抜け出してしまった。

 当時のアタシには、少女が一人で城下を歩くことがどれだけ危険なことなのか、まったく分かっていなかった。

 城を出たアタシの頭は本のタイトルで埋め尽くされていて、何の本を読むか、それしかなかった。


「お嬢ちゃん、お母さんとはぐれたのかい?」

「名前はなんて言うんだい?」

「お腹すいてないかい?」


 町ゆく人々が話しかけてくる。

 知らない人たちに囲まれて、怖くなったアタシは逃げ出した。

 そして、いつの間にか人通りの少ない路地に入ってしまう。

 嗅いだことのない、鼻を刺すような異臭。

 裸同然の人や目がうつろで笑い続けている人。

 酒瓶を取り合って殴り合いをしている人もいる。

 恐怖がアタシを支配する。

 すでに本屋への期待は消え失せ、一刻も早く城に帰りたくなった。

 来た道を戻ろうとするが、どの道も見たことがあるようで、見たことがない道ばかり。

 もう城には帰れないかもしれない、そう思えてくる。

 とうとうアタシは座り込み、誰もいない路地裏でシクシクと泣きだしてしまった。


「見たことのない子だな」

「身なりがいいな。親元に連れて行ったら褒美をもらえるんじゃねーか?」

「悪い奴らに捕まる前に、俺たちが捕まえてやるか?ヒヒヒ」


 いつの間にか数人の男たちに囲まれていた。

 アタシはすぐに逃げ出したが、一人の男が追いかけてきた。


「待ちなよ!怖がらなくていいんだよ!?」

「お母さんのところに連れて行ってあげるよ?」

「お母さんとはお友達なんだよ?」


 母はアタシが生まれたときには死んでいた。

 「嘘を言わないで!」そう言ってやりたかったが怖くて振り向けない。


「ぎゃああぁぁぁー!」


 後ろから叫び声が聞こえてきた。

 恐る恐る振り向けば、アタシを追っていた男の右腕が地面に落ちている。

 その腕の隣には革鎧に身を包んだ男が立っていて、抜き身のショートソードからは血が滴っていた。


「お、お前…なん…」


ズンッ


 革男は何も言わずにショートソードで男の喉を刺した。

 そのまま壁に押し込まれた男はビクンと数回ほど痙攣して動かなくなってしまった。

 人が殺されるところを初めて見た。

 しかし、アタシはどちらかと言えば、安心した。

 追いかけてきていた男からアタシを助けてくれたのかもしれないし、


 (城の誰かがアタシを助けに来てくれたのかな?)


 そんな期待があったからだ。

 しかし、そう思っていた矢先、皮鎧の男はアタシの髪の毛を掴み…


ドンッ


 いきなりアタシの腹を殴った。


ドンッ


「ぶっ」


 それから何度か続けて殴られ、アタシは嘔吐した。


「やめろ、死ぬぞ。それより早く血を拭け」


 後ろから別の男の声がした。

 

「っち」


 舌打ちをしてから、男はアタシの髪の毛を放した。

 目の前を自分の髪の毛がパラパラと落ちる。


「始めろ」


 座り込むアタシの脇を次々と何人もの男達が通り抜けていく。


『赫灼火よ!』


 ファイアーボールが路地に立ち並ぶ家々に次々と放たれる。

 家から飛び出てきた住人たちが抵抗しようとするが、男たちは何も言わずに彼らを斬り捨てていく。

 火だるまになって、家から転がり出てくる人もいた。

 アタシはまだ痛みがある腹をさすりながら、その光景をぼーっと眺めていた。

 

ばさっ!


 急に目の前が真っ暗になった。

 何が起こったのか分からなかったが、目が慣れると繊維の隙間から薄っすらと外の視界が見えて来た。

 多分、麻袋のようなものを被せられたのだろう。


「きゃっ」


 急に宙に浮く感覚に襲われる。

 誰かがアタシを担いだようだ。

 だんだんと住人たちの悲鳴が小さくなっていく。

 どこかに運ばれているんだろうか。


(アタシ、殺されるの?)


 喉を刺されて殺された男や火だるまになった人たちのことを思い出す。


 「うっうっうっうっ」


 アタシは怖くて泣き出してしまった。


 「うっうぇっうぇっうぇぇっ」

 

 鼻水と麻袋のせいで、呼吸が苦しくなったアタシは痙攣しているように泣いた。


ドスッ


「うっ」


 また殴られた。


「うるさい!静かにしないと殺すぞ!」


 運んでいる男の怒声が飛んできた。


ドスッ


「―っ!」


 また殴られた。

 城には、”殺す”なんて言葉はもちろん、怒鳴る人もいなかった。

 男の言葉が怖くて、また涙が溢れてくる。

 アタシは声が出ないように手で口を塞いだ。

  

(泣いたら、また殴られるかも)


 怖くなったアタシは爪が頬に食い込むほど強く塞いだ。


「―くっ!」


 アタシは麻袋に入れられたまま、馬が引く荷台の上に転がされた。

 荷台には別の麻袋がいくつも乗っていて、アタシの体の上にも別の麻袋が乗せられた。

 その麻袋に何が入っているのかは分からなかったが、重くて苦しかった。

 荷台は激しく振動し、背中も痛かったが、必死で耐えた。


 この時のアタシは知る由もなかったが、アタシを攫ったのは、”征魔派”に雇われたプロの傭兵たちだった。

 征魔派というのは、ド王国のヒト族至上主義の人たちのことだ。

 まぁ、簡単に言えば、「魔族を全員殺して、ヒト族だけの世界を作りましょう!」という、危ない思想を持った奴らのことである。

 といっても、この征魔派はド王国内ではそれなりの勢力があり、政治や軍の要職にもかなりの数の征魔派が入り込んでいたりする。

 しかし、なぜ征魔派がアタシを誘拐したのか。

 その理由はアタシの母上にある。

 アタシの死んだ母上がヒト族であったことは既に話したが、実は母上はド王国王の娘だったのだ。

 つまり、魔族の王とヒト族の王の娘が結婚したということになる。

 こう言うと、ロマンチックな話に聞こえるかもしれないが、残念ながらそうではなかった。

 いわゆる、政略結婚というやつだ。

 両国が仲良くなるために、好きでもない二人が結婚するアレだ。

 そして、その二人の間に生まれたのがアタシである。

 子供としては、なんとも切ない話だが、平和を望む人たちにとってはアタシは希望の象徴だったらしい。

 しかし、それを望まない人たちもいる。

 ”征魔派”だ。

 このまま放置してしまえば、いずれはド王の孫が魔王になってしまう。

 そうなれば、元々魔王国に対して友好的なド王は、ますます戦争に反対するだろう。

 だから、”征魔派”はアタシが魔王になるのを阻止しなければならなかった。

 しかし、だからといってド王の孫を殺してしまえば、自分たちの立場も危うくなってしまう。

 じゃあ、どうするか。

 誘拐すればいい。

 アタシがいなくなれば、自然にド王国の王家の血が入っていない兄上が魔王になるからだ。

 それだけではない。

 誘拐したアタシを利用することもできる。

 アタシを使ってド王を脅すこともできるし、アタシの誘拐をド王の仕業に見せかけて、戦争の火種にすることもできる。

 そんな征魔派の計画が進んでいたことも知らずに、アタシは自ら城を抜け出してしまったのだ。

 

 アタシを攫った誘拐犯たちは北門からド王国を目指した。

 全部で五人くらいいたと思う。


「もうすぐ、北門だぞ」

「ああ、計画通りにやれば問題ない」


 アタシを乗せた荷馬車が止まった。


「合図を送れ」


「ぐあっ!」

「ぎゃぁぁぁぁ!」


 遠くから悲鳴が聞こえてくる。

 積み上げられた麻袋に埋もれながら、アタシは何が起きているのか分からずに震えた。


「はっはは!これはいい」


 すぐに周囲は静かになり、アタシを攫ったやつらの恐ろしい笑い声だけが聞こえていた。

 この時の悲鳴は、彼らの別動隊が北門の衛兵たちを殺戮した時のものだった。

 北門は三門の中では最も堅牢な城門だが、基本的に城門は外からの攻撃に対して作られているため、内からの攻撃にはめっぽう弱い。

 そして、北門は内側からの奇襲攻撃によって、すぐに陥落してしまった。

 もっとも、”裏切り者”が衛兵の数を予め減らしていたのが一番の原因だったのだが。


ザッザッザッ


 集団の足音がアタシの荷馬車に近づいてくる。


「それか」

「…ああ」

「よし。予定通り、このまま国境を目指す」

「”積み荷”を降ろせ」


 体格の大きな男が麻袋に入ったままのアタシを掴む。

 そして、


「きゃっ!」


 アタシは麻袋から勢いよく外に転がされた。

 体格の大きな男がアタシに近づいてくる。

 声を出してしまったので、また殴られるかもしれないと恐怖に身体を強張らせたが、男はアタシを抱えると、そのままアタシを馬に乗せた。

 別の男がアタシの後ろにまたがった。

 男は後ろから抱きしめるように手綱を握った。

 父上と馬に乗った時も同じようにしてくれていたので、父上を思い出してアタシは少しほっとした。

 体の震えも少しおさまったように感じた。

 男がアタシの右耳に顔を近づける。


「…よく聞け…暴れたら殺す…言葉を発しても殺す…わかったら、うなずけ…」


 男のつぶやきでアタシは再び恐怖のどん底に叩き落とされた。

 アタシは振り向かずに何度もうなずいた。


「国境までクヴェート将軍が”積み荷”を受け取りに来ることになっている。休みなしで一気に国境まで走るぞ」


 リーダーらしき人物の掛け声とともに、北門をくぐったアタシたちは山を下り始めた。

 別動隊と合流したせいで、総数は三十人を超えていた。


 アタシの失踪はすぐに発覚し、北門の襲撃もすぐに父上に知らされた。

 父上の中で二つの事件が結びつくのにも時間はかからなかった。

 しかし、その頃にはすでにアタシたちは山を下っていて、フシミオース平原に入ってしまっていた。

 この時点で、すぐに騎馬隊で追ったとしても、国境までに追いつくことは不可能だった。

 だが、幸運にもドヴィーの父上、ダンと彼の飛竜隊が近くの山で飛行訓練中だった。

 父上はすぐに伝書烏(カラス)を送り、それを受け取ったダンもすぐに飛竜隊を率いてアタシを追った。


「ギャァァァァ!」

「おい!上を見ろ!飛竜だぞ!」

「なんで、飛竜が…聞いてないぞ!」


(…飛竜?…助けに来てくれたの!?) 


「急げ!国境はもうすぐだ!」

「急げだと!?馬の息はとっくに上がっている!」

「くそっ!このままじゃ追いつかれるぞ!」


 会話から、彼らが相当焦っていることが分かった。


(はやく…)

(はやく…)

(お願い…)

(もう二度と部屋からは出ないから…)


「問題ない!飛竜は十頭くらいだ!俺の隊だけで止める!お前たちは先に行け!すぐに後を追う!」


 北門を襲撃した男たちが足止めを買って出た。

 アタシの中で希望が消えた気がした。

 あの屈強そうな北門の兵士たちでも、この男たちには簡単に殺されてしまったのだ。

 

(…もう、アタシは助からないんだろうな)


「回り込まれているぞ!」

「ぐぁぁぁ!」

「早すぎる!ファイアーボールでは…ぐあぁ!」

「散れ!散れ!」

「ぎぃぁぁぁ!」


 後ろが見えないので、何がどうなっているのか分からないが、アタシを攫ったやつらの悲鳴が次々と聞こえてくる。

 少しずつ、アタシの期待が大きくなっていく。


「まずいな…」


 後ろにまたがっている男が小さくつぶやいた。


「おい!やばいんじゃないか!?」

「無駄口をたたくな!そんな暇があるなら少しでも前に進め!アイツらの稼いだ時間を無駄にするな!」


 リーダーらしき男が焦る仲間たちに怒鳴っているが、彼の表情にも焦りが見える。


「…なんだ…あれは」


 “それ”はアタシにも見えた。

 アタシたちの進行方向、夏の青々としたフシミオース平原の上を黒い靄(もや)がユラユラと動いている。

 ジワジワとアタシたちに近づく“それ”の中心には、牛の頭蓋骨が見えた。


「…黒い靄…牛頭骨」

「―龍王だ!龍王、死剣士ダンシエル・ジャンコルだ!」

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