声劇_化け猫おくる【最小編成 1:2:1】【推奨編成 2:2:1】【最大編成 3:3:2】【70分】

【画面右上の「ぁあ(ビューワー設定)」から、組み方向を縦組みにすると読みやすいかと思います】

利用規約はこちらです。ご了承頂いた上でのご利用をお願いいたします。

https://kakuyomu.jp/works/16817139555946031744/episodes/16817139555946036386



【あらすじ】

「事が終わるまで、嘘の内容はきみにも明かせない」

 結婚して数年、行商帰りの夫が「化け猫さんを買いたい」と言う迷子の子供を連れてきた。しかし妻にしてその化け猫、ユエは子供を見るなり「この子、幽霊だ」と言い放つ。

 子供の霊を送り出すため、夫妻、幽霊、猫の目、耳長馬での道行きが始まったが、妻はひとつ、嘘をつく決心をしていた。

 「いままで」を失う宿命を持った化け猫と、「これから」を望めない幽霊と、それを見守る二人の話。



【概要】

カギカッコ無し:語り

カギカッコ付き:セリフ


ユエ、リールー、クォン以外の役に語りはありません


叫び演技あり

 ユエ、戯子猿ゼンビェンヴァン


泣き演技あり

 ホァ、父親


愛の囁き演技あり

 クォン、ユエ


編成例【1:2:1】4名

ユエ 女性

リールー 不問

クォン/父親/大将 男性

ホァ/女将/戯子猿ゼンビェンヴァン 女性


編成例【2:2:1】5名

ユエ 女性

リールー 不問

クォン 男性

父親/大将/戯子猿ゼンビェンヴァン 男性

ホァ/女将 女性


<約15000文字 70分目安>


【登場人物】

★ユエ:女性

シリーズ主人公。名前の意味は「月」。右目に猫の魂を、子宮に魔女の魂を抱える。魔女の魂によって実質的に不死身だが、死の淵から還るたびに思い出を喰われて過去を無くしていく。西の故郷では魔法使いであり、流れ着いた東の国で現地のまじないを身に着けた。好物は米粉の平麺、出汁は鶏出汁、付け合わせには香菜が一番。結婚してもうすぐ三年がたつ。

本作中の年齢は24歳。クォンを「きみ」と呼ぶ。

語りとして、状況、心情描写の一部も受け持ちます。


★リールー:性別不問

ユエの右目にして相棒である、王族猫の眼球。もともとはユエの使い魔であった。見聞きしたものを覚えておくこと、ユエに猫の力を与えること、ユエの話し相手になることが主な仕事。クォンに対しても好意的。語りとして、状況、心情描写の一部も受け持ちます。


★クォン:男性

ユエと結婚した行商人の男。名前の意味は「強い」。ユエのような特別な力は何ひとつ持ち合わせていないが、家と耳長馬を持っている。好物は苦瓜。本作中の年齢は23歳。結婚してもうすぐ三年、平麺も上手に作れるようになった。

語りとして、状況、心情描写の一部も受け持ちます。

(父親、大将と兼ね役可)


★ホァ:女性

少女の幽霊。名前の意味は「花」。父親と二人暮らしをしていたが、父が猿に憑かれたようになり、化け猫さんに治してもらおうとガイドンいちを目指してお使いにでた。享年八歳。

(名前の発音は「ホア」で問題ありません)

(女将、戯子猿ゼンビェンヴァンと兼ね役可能)


★父親:男性

ホァの父親。25から30歳ぐらい。出番は少ない。

猿に憑りつかれたかのような奇行をとった時期があり、ホァがユエを尋ねる原因となった。現在は元通りの態度で、帰らぬ子供を心配している。

(クォン、大将、戯子猿ゼンビェンヴァンと兼ね役可)


戯子猿ゼンビェンヴァン:性別不問

ゼンビェンヴァン。猿のモノの怪。終盤に少しだけ登場。

(ホァ、または父親と兼ね役可能)


★大将:男性

序盤に少しだけ登場。ガイドンいちにある青果店の店主。奥さんと一緒にお店をやっている。クォンと顔なじみで、ユエの見た目の異様さにも慣れた。

年齢は、若くても年長者でも可。すごい歳の差夫婦かもしれないし、すごい姉さん女房かもしれない。

(クォン、父親と兼ね役可。リールーが男性である場合、リールーも兼ね役可)


★女将:女性

序盤に少しだけ登場。ガイドンいちにある青果店の女将。夫と一緒に店をやっている。

ユエを17歳ぐらいだと思っており、若くて可愛らしい奥さんだと思っている。

年齢は、若くても年長者でも可。すごい歳の差夫婦かもしれないし、すごい姉さん女房かもしれない。

(ホァと兼ね役可。リールーが女性である場合、リールーも兼ね役可)


【特殊単語】


ズオウカン:吸管酒。イントネーションは指定ありません。甕の中にもち米ともみ殻を詰め、バナナの葉で密封して発酵させ、竹の管をさして底にたまったアルコールを吸って飲むお酒。ほんのり甘い。


胴布どうぬの:首と背中の後ろを結んで止める、ホルターネックの上半身の服。


莚菜ようさい:空心菜の別名。イントネーションはわかりませんでした。


とっと:父親のこと。


ガイドンいち:ユエとクォンが住んでいる、商業の盛んな町。


:死後に行くところ。死後、人はそれぞれ別の世界へ生まれ変わるとされている。


竹編み壁:たけあみかべ。竹を組んで作った壁のこと。


戯子猿ゼンビェンヴァン:ゼンビェンヴァン。モノの怪。イントネーション例「甜麺醤(テンメンジャン)」「豆板醤(トウバンジャン)」ですが、特ににこだわらなくて良いです


彼此不問はさりとわず:はさりとわず。ユエが魔法に利用するために呼び出す、「曖昧さ」に宿るモノ。イントネーション例「アサリ + オラフ」ですが、特ににこだわらなくて良いです。


【その他】

今までのものと異なり、声劇台本置き場の形式に寄せて書いています。


原作:「化け猫おくる」

https://kakuyomu.jp/works/16818093089352921941


よろしければ、原作の方もお読みいただき、応援、評価などいただければ幸いです。


(以下本編)

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クォン:行商でとある地方のズオウカンって酒を仕入れまして、ガイドンいちにある我が家へ久方ぶりに帰る所でした。七日ぶりに妻に会えるなと思えば、鼻歌のひとつも唄います。

クォン:「♪ズオウカンのかめカタカタと~愛しのウマコの綱ひいてぇ。麗しの妻待つ我が家へむけてぇ。二人でくだ差す酒の甘さに化け猫さんの、猫の右目もとんとろり、人の左目とんとろり……えー、続きどうしましょうかね」


ホァ:「とっと」


クォン:「♪久方ぶりになぞってみたい、笑う鼻には小じわがよってぇっ、」


ホァ:「(ベソかいてる)とっとぉ」


クォン:「うん?」


ホァ:「とーっとぉ……!」


クォン:振り返ったら七歳だか八歳ぐらいの女の子が泣いてましてね。ところどころ擦り切れたわら山笠やまかさをかぶって、黄色の胴布どうぬのを着て、裾の広い海老茶えびちゃつつはかまをはいてました。それで、早く家に着きたい気持ちはもちろんあったんですが、村の近くでも何でもない道で泣いてますから、迷子かなぁと。

クォン:これでうっかり河に落ちたり、密林の奥に迷い込んだりしたら大変ですし、ここはクォンお前、妻に胸を張れない男であっちゃあいけないぞと思って聞きました。

クォン:「小さいお嬢ちゃん、どうしたんですか? お父ちゃんとはぐれちゃいましたか? いったいどちらへ?」


ホァ:「お、おら、ガイドンいちまで買い物に行く途中で」


クォン:「おや。私もガイドンいちに帰る所なんですが……ふむ。乗っていきますか?」


ホァ:「え、いいのかあんさん?」


クォン:「まあ構いませんよ。お嬢ちゃんの足じゃあ、いちに着くころには日も暮れちゃいますし。あ、でも荷車のかめには絶対にいたずらしないでくださいよ。あんさんとの約束です」


ホァ:「ん、おら、約束する」


クォン:「はい。じゃ、乗せますよ。よっ、こら、せ。はい。この辺にでも座っててください。(荷車、動き出す)しかしはるばるガイドンいちまでお嬢ちゃん独りですか? お父ちゃんどこ行ったんですか?」


ホァ:「とっとは……家におる。出かけられんから、おらがお使いに出たんだ」


クォン:「そりゃ、また……。いちへは何買いに?」


ホァ:「化け猫さん」


クォン:「ばけねこさん」


ホァ:「とっとは、モノの怪に憑かれたんだ。ほいで、ガイドンにおる化け猫うんはどんなモノの怪でもやっつけてくれるって聞いて、だからおら、なんとか化け猫さんを買いたいんだ。なああんさん、化け猫さんはどこで買えるか知らねえですか?」


クォン:「化け猫さんは……売りものではありません」

クォン:「そのひとは私のお嫁さんです」


0:転換 ガイドンいちの夕市


ユエ:「大将たいしょー! 苦瓜にがうりにもう一声くれたら、莚菜ようさいも買っちゃいますよ!」


大将:「おやおや奥さん気前がいいね。なんか良いことでも?」


女将:「やだよあんた、決まってるじゃないか(大将を小突く)クォンさんが帰ってくるんだよ。ねー、ユエちゃん」


ユエ:「そうなんですよ。だから好物を買っといてあげたくて」


大将:「かー!」 


ユエ:「えへへ」


大将:「かー!!」


女将:「じゃあユエちゃん、苦瓜に莚菜ようさいひとオマケして二百ドン!」


ユエ:「百九十!」


女将:「百九十、売った! 持ってきなー!」


ユエ:「ありがとう女将おかみさん。大将も。クォンによろしく言っておきますね」


大将:「……かー!」


女将:「いつまでかーかー言ってんだい! ユエちゃん、まいどねー!」


0:ユエ、家路につく


ユエ:「――ねえリールー。クォンは今日中に着くかな。明日になるかな」


リールー:「さて、どうだろうか。商談の進み具合にもよるのだろう?」


ユエ:「うん。会うの、久しぶりだ」


リールー:「今日が七日目」


ユエ:「明日は八日目。わたしがセミなら死んじゃうとこだ」


リールー:野菜のかごを抱えてユエが家へと向かっている。私の視界の揺れ具合や、視野の隅にうつる足の運びで、ユエがずいぶんといそいそ、、、、しているのがわかった。

リールー:しばらくして私は、見慣れた男と耳長馬みみながうまが路地へと入ってくるのを視野に捉えた。

リールー:私はユエの右目である。右目にはまった猫の目である。よって、私がその男に焦点を合わせれば、当然のことながら


ユエ:「あ!」


リールー:ユエにも見える。


ユエ:「(大きく手を振る)クォーン! おかえりー!」


リールー:籠を手に、ユエが走る。一晩を過ごしたモノの怪の腹のなかで共に暮らそうと口説かれ、とついだ行商人の所へ。

リールー:西方の異国から来たという意味でも、猫の目を右目に持つという意味でも異人であるユエを、このクォンという男は本当に好いているようだ。

リールー:ユエが夫を見て、耳長馬を見て、馬の引いている荷車を見た。

リールー:「おおっと?」


ユエ:「クォンんんんん……! この子どこで拾ってきたの……!」


クォン:「いやいや、ユエさん聞いてください。最初は迷子だと思ったんですよ。それで声をかけたんですけど――」


ユエ:「違う違う。そういうことじゃないんだよ。クォン、この子、幽霊だ」


0:転換 ユエ、鉄鍋(中華鍋)で炒め物をしている


クォン:家に着いて、うまやに入れたモンチャンの世話を終えたら、ユエさんが鉄鍋を振っていました。薄切りの苦瓜とざく切りの莚菜ようさいが、ちゃんちゃんちゃん、とお腹の空く音を立てています。


ユエ:「幽霊っていうのは、生きてた頃の本人とは違う。どれだけ似ていても、本人じゃない。例外はあるけど……とにかくクォンについてきた女の子の幽霊も、元になった子とは別のものって考える」


クォン:「なるほど」


ユエ:「クォン、ご飯炊けたか見て」


クォン:「はい。お、鶏めしですね!」


0:ユエ、クォン、飯釜から昇る湯気を鼻で吸う。ホァ、ぽそぽそと「おら、化け猫さんを買いてえんだ」と繰り返している。


ユエ:「ん、いい匂い。えっと、それで――ご遺体があったらね、それをちゃんと弔えば解決なんだ。でも今回は無いから、幽霊に『死んだ』ってことを理解させるのが次の手になるよ」


リールー:ユエが魚醤ぎょしょうと溶き卵を足し、じゅんじゅんと鉄鍋を振ってなじませていく。


ユエ:「でも、幽霊に言って聞かせるのは無理だからさ」


ホァ:「おら、化け猫さんを買いてえんだ」


クォン:「そうなんですか?」


ユエ:「うん。だって『あなたは死んでいます。生きていると思うのは全部気のせいです』って言われて納得する? 『そっか! 死です! さよならこの世!!』とはならないよね」


ホァ:「おら、化け猫さんを買いてえんだ」


クォン:「どうですかねえ。自分の死んだ姿を見たら……あ、でもそれが無いんでしたね」


ユエ:「そう。だから、言葉じゃない方法で『死ぬんだ』ってことを理解させる。……例えば、特別な棒でぶったりとか、『猫の爪』を使ったり、とか」


リールー:話す間にも、クォン殿が居間に大判のござ、、を敷き、飯釜を運び、小皿やら茶碗やら茄子の漬物やらを並べて準備を整えていく。隅で、幽霊の子供が膝を抱えている。


クォン:「それはさすがに……」


ホァ:「おら、化け猫さんを買いてえんだ」


クォン:「かわいそうですよ。ねえユエさん、本当にあの子は幽霊なんですか? 荷車に乗せる時も触りましたけど、冷たくもなんともなかったですし」


ユエ:「わたしは見ればわかるし、触ってもなんともないのは、わたしのお守りを持ってるからだよ。あの子はきみから生気を取れない。お守り絶対外さないでよ」


クォン:「ああ……(お守り袋を眺める)」


リールー:ユエがつやつやした炒め物を大皿に移し、じゅじゅっと鉄鍋を洗った。


ホァ:「おら、化け猫さんを買いてえんだ」


ユエ:「――気持ちはわかるけど、クォン、その子は幽霊で本物の子供じゃないんだ。きみに取り憑かせっぱなしにはできないし、『』へ送ってやらないといけない」


リールー:「まあ、待て。悪霊ならともかく、子供の幽霊を力ずくで送るのはクォン殿には辛かろうよ。遺体や遺品を見つけるなり、未練に答えを出すなり、まだやりようはあるのではないか?」


ユエ:「うーん。わたしは、さっさとやっちゃいたいんだけどね……」


クォン:「ユエさん、右目殿はなんて言ってますか?」


ユエ:「まだやりようはあるんじゃないかって。わかったよ、クォン、リールー。穏便に送り出すやり方で、がんばってみよう」


クォン:「ごめんよ、ユエさん。私が迂闊でした」


ユエ:「そんなことない! 道で子供が泣いてて、迷子だと思って声かけたんでしょ? 今回がたまたま人の子じゃなかったってだけで、きみのそういう優しいところ、わたし……好きだし」


リールー:「目が逸れたが?」


ユエ:「う、うるさい」


クォン:「ユエさーん?」


リールー:私はクォン殿に目をむけた。


ユエ:「ちょっ、リールー、恥ずかしくて目を逸らしたのに。もう。右目!」


クォン:「私の嫁かわいいですね」


ユエ:「もう!(小突く)」


クォン:「あいた」


ユエ:「(深呼吸)(ホァへ)きみもおいで。一緒に食べよう」


0:転換


ユエ:生きている人間と同じに扱う。そうすれば、幽霊は輪郭りんかくを強め、生きているかのように振る舞い始める。しばらく共に過ごすなら、この方が都合がいいし、話もしやすい。

ユエ:幽霊は実際の食事をできない。でも、わたしたちが食べ終わるころに「もういい?」て聞いたら、ちいさく「ごちそうさまでした」って帰ってくる。さて。


ユエ:「じゃ、クォン、この子に出したのも食べちゃって。残しちゃだめだよ」


クォン:「はいはいユエさん」


ユエ:「じゃあ、お嬢さん。まずはきみの名前を教えてくれるかな」


ホァ:「おら、ホァっていう」


ユエ:「うん。いい名前だね。いくつになったのかな?」


ホァ:「やっつだ」


ユエ:「前歯、生え変わるとこなんだね。抜けるとき痛かった?」


ホァ:「わかんねえ。おら、よく覚えてねえや」


ユエ:「そっか。それじゃあね、ホァ。わたしの名前はユエ。モノの怪をやっつけるのが得意なまじない師だ。猫の力を使うから『化け猫ユエ』だとか『平笠ひらかさの化け猫』だとか呼ばれたりもする。きみがどうして化け猫さんを探しているのか、わたしに教えてもらえないかな」


ホァ:「おら、とっと、、、と二人で暮らしててな。こないだの日暮れに、田んぼの向こうになんか獣の影がみえて、追い払ってくる言うて追っかけてってな、それでな、そしたらな……とっと、そのまま朝まで帰ってこんかったんだ。朝んなって、泥だ草だ沢山つけて帰ってきた思ったら、とっと、おかしくなっちまった」

ホァ:「めしも魚も、炊きもせん焼きもせんでそのまんま喰うし、おら、困っちまって、煮炊きして飯食おうって頼んでみたんだけどな、火ぃ起こせんくなってて。おらが火をおこしたら、怖がって釜の水こぼすような始末なんだ」

ホァ:「酒も、急に匂いが嫌だって言い出して、せっかく仕込んだズオウカンも捨てちまったんだ。とっと、普段あんまり喋らんけど、酒飲むと機嫌よくなって、たくさん遊んでくれるんだ。ほだから、おらも、酒の匂い好きだったんだ」


ユエ:「そう。お父さんのことで、おかしい所は他にあった?」


ホァ:「おら……」


クォン:「(ユエに)つらいなら、無理に話さなくてもいいんじゃないですか?」


ユエ:「だめ。全部話してもらわないと、余計な危険を背負っちゃう」


ホァ:「あのな。とっとな、また家を出てったんだ。そんときは村の大人たちにも探すんを手伝ってもらって、でも見つからんくて。次の朝には帰ってきたけど、いったい何をしとったのか、みんなでとっとに聞いたんだよ。ほしたら、とっと、とっと、わろうた」


ユエ:「笑った? それは、どんなふうに?」


ホァ:「ひひひ、って。まるで猿みてえに、ひひひ、ひひひひひ、ひひひひひひ、ひひひひひひ。ほいで、なんも喋らんくなって、村長むらおささまに言われたんだ。こりゃモノの怪の仕業に違いねえって。ガイドンいちに、『平笠の化け猫』っちゅう、モノの怪退治をなさる呪い師さんがおるから、金目のもんかき集めて、モノの怪退治を頼んで来いと。ほうすりゃ、とっともきっと治るだろうって、ほいで、おら、お使いに出たんだ」


クォン:(ため息)


ユエ:「わかった。ありがとう。よくわかったよ。きみのお使い、引き受けた。今日は遅いからもう寝よう」



0:転換 寝る前



クォン:「やりきれません」


ユエ:床に敷いたゴザの上で、ホァが寝息を立てている。クォンが、そのお腹に薄い掛布をかけていた。幽霊が寝冷えしたりはしないけど、それでも無視できない人なのだ。

ユエ:お使いの途中でホァが行き遭ったのは、なんだったのだろう。野犬か、野盗か、道を見失って帰れなくなったか、それともモノの怪に行き遭ったか。いずれにせよ、ホァは弔いを受けられず、魂がこの世にとどまり、クォンに会うまで街道を歩き続けていた。

ユエ:父親を思わせるズオウカンの匂いが小さな縁。探し求める「化け猫さん」の夫であることが大きな縁。ホァがクォンに取り憑いたのは必然だ、とさえ思う。


クォン:「私には、ホァちゃんはただの子供にしか見えません」


ユエ:「……難しいと思うけど、あんまり情を移さないようにね。ホァはもう、この世のものではないし、わたしはその子を『』へ送ろうとしてる。どうしたってすぐにお別れになる。辛くなっちゃうよ」


ユエ:クォンが寝台に上がってくる。お揃いのつるみの枕に頭を乗せ、わたしたちは向き合うように横たわる。わたしは左腕を伸ばして、まっすぐで柔らかなクォンの黒髪を撫でた。


クォン:「……穏便に送り出すのは、なんとかなりそうですか? もし、ユエさんに危険があるなら、気にせずやってしまってください」


ユエ:「大丈夫だよ。ホァの話で、モノの怪の見当はついた。元通りのお父さんに会わせてやるのは難しくないと思う。心残りが無くなれば、あの子も『』に引っ張られていくだろうし、家に遺品があれば、分けてもらって弔ってもいいと思う。ただね――」


クォン:「なんですか?」


ユエ:「わたしは、ホァに嘘をつくことになる。事が終わるまで、嘘の内容はきみにも明かせない」


クォン:「私に明かせないのは、ユエさんが危険を背負い込むためですか?」


ユエ:「違うよ。内容を明かしてもわたしに影響はない。でも、きみに内容を明かせば、送り出しが失敗する可能性が出てくる。そしたら、猫の爪を使わなきゃならなくなるからさ」


クォン:「つまり、知れば、私は何かに気を取られてホァちゃんに嘘が露見するとか、そういう事ですか?」


ユエ:「そうだね。だから幽霊の事はわたしに任せて」


クォン:「わかりました。呪い師ユエさんにお任せします」


ユエ:クォンが、わたしの左手を取った。


クォン:「あの、ユエさん。ホァちゃんの事があって言いそびれてたんですけどね」


ユエ:「うん?」


クォン:「苦瓜と莚菜ようさいの炒め物、おいしかったです。鶏めしも」


ユエ:「ふふん。八百屋の女将さん、オマケしてくれたよ。鶏めしの残りは、明日おかゆで食べよ……わ(抱き寄せられた)」


クォン:「ユエさん」


ユエ:「耳元で声出されるの、くすぐったいよ……なに?」


クォン:「声、出しちゃだめですよ」


ユエ:「! ……(忍び笑い)きみは、急にそういうこと言うよね。って言ってる間に胴布どうぬのほどかれたんだけど。そんな技、どこで覚えたの?」



0:転換 翌日の道中



リールー:翌日。出発したのはクォン殿が運んできた酒を納品し、もろもろの準備を済ませ、正午をだいぶ過ぎたころとなった


ユエ:「よろしくモンチャン(モンチャンの首にハグ)」


ホァ:「もんちゃん? この馬っこの名前か?」


クォン:「そうですよ。ほら、尻が白いでしょう」


ホァ:「ほんとだ! モンがチャンだ!」


クォン:「おっと。ほらほら、荷車から乗り出したら落っこっちゃいますよ」


ホァ:「あんさん、ちょっとだけだめか? おら、馬っこ触ってみてえ」


ユエ:「だめだよ、ホァ」


ホァ:「でも……ユエ姉さん」


ユエ:「脅かすと危ないから、触っちゃだーめ」


リールー:モンチャンがベェヘーヒェ! と甲高く鳴き、ホァが尻餅をつく。


ユエ:生者として扱っているからか、今日はずいぶんと活動的で機嫌がいい。しかしホァは幽霊だ。触れた生き物から生気を吸ってしまう。影響は小さいけれど、れられれば悪寒が走るし、モンチャンにだって良くない。


リールー:「それにしても、かなりはっきり、、、、とした幽霊だな」


ユエ:「そうだね。きっと、発生したばかりなんだ」


クォン:「ユエさん、疲れたら馬引くの代わりますからね」


ユエ:「うん。よろしく」


リールー:物理的な意味でも、生気の吸収を受けないという意味でも、ホァに問題なく触れるのは、ホァに憑りつかれていて、かつおまもりが効いているクォン殿だけだ。だから荷車で幽霊のおりをしてもらっている。


クォン:ホァちゃんもしばらくは大人しくしていましたが、そのうち荷車の上をうろちょろしたり、ユエさんの荷物を開けたがって止められたり、荷車の車輪を上から覗き込んだりしていました。


ホァ:「なあ、ユエ姉さんは人間なのか?」


クォン:「あーっとぉ」


ユエ:「どう思う?」


ホァ:「んーーーーーわかんねえ。でも、毛の色も肌の色もなまちろくてこの世のもんとは思えねし、目ぇなんか片っぽが猫みてえにほせえもん。おらの村には、そんな人おらんくて――あ! 姉さんはモノの怪をやっつけるんだろ?」


ユエ:「そうだよ」


ホァ:「ほしたら、姉さんもモノの怪だったりするんか?」


クォン:「おおっと」


リールー:「(だいたい同時に)おやおや」


ユエ:「だったら、夜中にきみを食べちゃうかもね」


ホァ:「ひ……(固まる)」


ユエ:「あれ……? 嘘だよ。食べたりなんかしないよ」


リールー:「情を移さぬ方が良いのだろう?」


ユエ:「そうだね。そうなんだけどさ」


ホァ:「なあ、誰としゃべっとるん?」


ユエ:「ん? 右目と」


ホァ:「しゃべるのか!? 猫の目しゃべるのか!?」


ユエ:「しゃべるっていうか、目の中で、ぶるぶる震えると、頭で音になるって感じで」


ホァ:「聞きたい! 聞きたい聞きたい!」


ユエ:「いやでも、わたしにしか聞こえないから」


ホァ:「ほしたら、おらの耳を姉さんの目にくっつけたら、聞こえるんでねぇか!? なあ、ユエ姉さん、試してみてええか」


ユエ:「それはちょっと、ダメ」


ホァ:「なんでだぁ!?」


ユエ:「なんでって、それは……」


ホァ:「なんでぇ。なぁちょっとだけでええから、試さして欲しいー!」


ユエ:「だめ!」


ホァ:「……(しゅん)」


ユエ:「……(やっちゃった感)」


クォン:「ホァちゃんホァちゃん、ユエさんね、右目殿がとっても大事なんですよ。ホァちゃんも目を触られたらいやですよね?」


ホァ:「目。目を触るんは……いやだ。さわったら痛い。……ユエ姉さん、ごめんな」


ユエ:「いいよ。わかってくれれば」


リールー:ホァがはにかむように笑った。


ユエ:わたしは、びっくりするほどほっとした。顔も緩んでしまうぐらいだった。同時に、わたしは、腹をくくった。


0: 転換。ガノイの荘園近郊


ユエ:クォンの道案内で歩みを進めていく。ホァがうとうとし始めたというので、馬引きを交代した。出発が遅かったから、到着は夜になる見込みだとクォンは言う。いつもなら大した事ないはずなのだけど、子供連れだとひどく長く感じる。


クォン:「ユエさんに出会う前ですけど、ホァちゃんの村に行ったことありますよ。良い米粉を作るところです。モノの怪退治と引き換えで、今年の粉の買い付けにひと噛みできたら嬉しいんですがね」


ユエ:「それなんだけど、退治するモノの怪はいないと思う。たぶん何事もなく終わるよ」


クォン:「あれ? いろいろ準備されてたんで、私てっきりある、、ものかと」


ユエ:「ごめん、ないはず。いつもどおりに準備しただけ」


クォン:「あっりゃあ、残念……」


ユエ:「ごめん」


リールー:「なあユエ。この辺り、見覚えがないか」


ユエ:「ほんとだ。クォン、ここってどの辺り?」


クォン:「どこ、というほどの所でも……。強いて言えば、ガノイの荘園が近いですかね」


ユエ:「ガノイ!」


リールー:「ガノイか!」


クォン:「ええ。たしか、だいぶ前に人喰いのモノの怪で何人もやられたところですよ。そうだ、あれもたしかユエさんに初めて会った年で……あれ、もしかして?」


ユエ:「そう! そのモノの怪わたしが喰ったの。懐かしいな」


クォン:「それ懐かしむ事あるんですね」


ユエ:「モノの怪喰ったのが懐かしかったんじゃなくて」


リールー:ユエはモノの怪を喰う。


ユエ:正確には、子宮に宿る居候のために喰う。居候はわたしが故郷を離れた原因でもあり、今まで死なずにいられた要因でもあり、もっとも恐れる対象だった。


クォン:ユエさんの子宮には、魔女の魂が寄生しています。


リールー:魔女の魂が飢えれば、ユエは魂をかじられ、思い出をなくす。


ユエ:宿主のわたしが死に瀕すれば魔女の魂は目を覚まし、わたしは生かされ、思い出をなくする。


リールー:クォン殿と出会う直前にユエは、ガノイの荘園でモノの怪を退治した。その時、犬のの猛攻を受けてユエは死に瀕し、魔女が出た。


ユエ:なくした思い出のことはリールーから聞いたけれど、わたしは喪失感すら覚えることができなかった。もし、わたししか知らない思い出をなくせば、なくしたことさえ気づかない。

 わたしは、クォンをなくすことを、ずっと恐れている。


リールー:密林を割って通る道は分岐して、見覚えのある道は遠ざかっていった。


ユエ:「あの時はね、自分に家族ができるなんて思ってなかったな」 


クォン:「私はあの時から一目惚れでしたよ?」


ユエ:「最初に会ったとき、わたし、そっけなかったよね。変なひとだなぁって思ったよ」


クォン:「それで翌々日にまた会いましたね。まさか行商帰りに将来のお嫁さんに会えるとは、何があるかわからないもので。懐かしいですねえ」


リールー:ユエが荷車からひらりと飛び降りた。


クォン:私は、前方に何か出たのかと目を凝らしました。


ユエ:わたしは平笠を外し、すこし背伸びして、夫の頬にキスをした。

 ベッヘェーヒェ! とモンチャンが鳴いた。わたしはその鼻先にもキスをして、また荷車へ飛び乗った。


クォン:「(ユエに)あの……ユエさん、急に来ましたね」


リールー:「(ユエに)うむ。急に行ったな」


ユエ:わたしは、一緒に懐かしめる人が、たまらなく愛おしい。

ユエ:見下ろせば、小さく丸まって、幽霊のくせにくぅくぅと寝息を立てるホァがいる。この子の事を、いまここにいるこの子の事を、右目と夫と三人で懐かしむ時が来るのかもしれない。わたしはそう思ってしまった。

ユエ:「まいったね、リールー。情が移っちゃった」


リールー:「私としては、悲しむべきか、喜ぶべきか」


ユエ:「安心してよ、後悔しないから」

ユエ:「幽霊が本人ではないっていうのが、ほんとうに本当だとしても、わたしたちはこの子に会ったんだなって、いま思ったんだ」

ユエ:「昨日は大人しかったから、こんな元気がいいとは思わなかったよ。人見知りしないし。素直だし。いい子なんだね。生きてた頃とは違うんだとしても、わたしは、この子がいい子だと思った」


リールー:「うむ」

リールー:私は思う。

リールー:いま話しているユエは、私が十年ほど前まで使い魔として仕えた娘とは違うのだ。すでに昔の彼女ではなく、もう昔の彼女でもなく、しかし、いま、素直に心情を打ち明けてくれているこの娘を、私は好ましく思っている。これからを見ていきたいと思っている。


ユエ:「これからが」


リールー:私の視界が突然に曇った。ユエの奥歯のきしりが、骨を通って眼窩に届いた。瞼が落ちて暗くなり、緩く圧力を感じ、私に光が届いた時には元通りの視界で、ホァの華奢きゃしゃな肩のあたりと、幽霊に特徴的な仄碧ほのあおい影が見えた。


ユエ:「(深呼吸)……この子には、この子としての『これから』は、もう、あんまりないからさ。だからそれが穏やかであるように、最後までしっかりやるよ。見ててね。リールー」


リールー:「任された」

リールー:私の視界が動いた。耳長馬の白い尻と、クォン殿の背中の震えが見えた。

リールー:「ふむ。泣いておるなぁ」


ユエ:「クォーンーん?」


クォン:「泣いてませんよ。泣いてません」


リールー:ユエが再び飛び降り、クォン殿に近寄る。背中をさする音が私にも聞こえる。ユエは気づいておるだろうか。クォン殿を見るとき、私の視界はいつも、ほんの少し明るくなる。


ユエ:その夜、わたしたち予定通りホァの村についた。


0:転換 夜。ホァの村。


リールー:満点の星空、細い月が西にかかっていた。


クォン:私はホァちゃんの手とモンチャンの端綱はづなを引いていました。


ユエ:わたしのげる水滴型の黄色い提灯が、ぼんやりと足元を照らしていた。


クォン:ホァちゃんは今にも走り出しそうにそわそわし、ちらちらと私やユエさんの顔をうかがっていました。


ホァ:「なあユエ姉さん。とっとに悪さしたモノの怪は、ほんとにおらんのか?」


ユエ:「大丈夫。いないよ。もしいても、わたしがすぐにやっつける」

ユエ:「きみのお父さんは猿の怪にって、猿あたり、、、、したんだ。取り憑かれたわけじゃない。大変だったと思うけど、あれは何日かすれば治るものなんだよ。だから今ごろは元通りになって、きみを待ってる。やっつけなきゃいけないモノの怪なんて、もういないよ」


ホァ:「うん……でももし、とっとがまだ変だったら……」


ユエ:「だから、わたしが先に会って確かめる。治ってなかったら治るまで一緒にいるから。大丈夫。信じて」


クォン:ユエさんがホァちゃんの細い肩にさわりました。


ユエ:指先がぞくりとして生気が抜かれる。


ホァ:「姉さん手ぇあっつい!」


ユエ:「あれ? そんなに」


ホァ:「大丈夫か? 熱あるんでねえか?」


ユエ:「大丈夫だって。ほら、案内よろしくね」


リールー:ホアに連れられて村をしばらく歩く。家から顔を覗かせた者も数名あったが、近づいてきたり、話しかけてきたりした者はなかった。


ユエ:こちらの人間に言わせれば、わたしは病的に色が薄い。さらに今は、平笠から五色ごしきの布を垂らし、魔力も体に取り込んで、呪術的にも魔法的にも臨戦態勢を取って警戒している。夜中にそんな女が提灯の光に浮かび上っていたら、近寄りたくはないだろう。


ホァ:「あれが、おらんだ」


クォン:ひらけた前庭まえにわの奥、竹編み壁の、小さいながらも整った造りの家が、提灯の灯りでごく微かに見えました。


ユエ:「じゃあ、見てくるからここで待ってて。提灯を振って合図したら、来てね」


クォン:「気を付けてください」


ホァ:「ユエ姉さん……」


ユエ:「大丈夫。モノの怪なんていないから。クォンと待ってて」


クォン:わたしは膝をつき、ホァちゃんの肩をしっかりと抱えて、ユエさんを見送りました。ホァちゃんの肌は、温かくも冷たくもありませんでした。


ユエ:「ごめんください」

ユエ:「ごめんくださーい!」


リールー:「留守か?」


ユエ:「ううん。人の気配があるよ」


リールー:戸が開いた。クォン殿よりも背が高く、胸板が分厚く、日焼けの濃い男がいた。下がり気味の目元や上向き気味の鼻にホァの面影が見て取れるが、表情には警戒の色がありありと見える。その右手の菜切り包丁に、私は焦点を合わせた。


ユエ:「夜分に申し訳ありません。わたしは、ガイドンいちまじない師、ユエという者です。ホァさんの事でお話があって参りました」


父親:「……入れ」


0:転換 室内


ユエ:平笠を外し、父親の出したロウソクに提灯の火を分けてやり、わたしたちは向かい合って座る。


父親:「おれの、娘は?」


ユエ:「残念ですが、亡くなっています」


父親:「……探しに行ったんだ」

父親:「ガイドンいちまで。探しに行った。俺がおかしくなってたのは、わかっとる。何をしてたのかも覚えとる。正気に戻った時にもホァは帰って来てねぇで、聞いたらまじない師を連れてくるために出てったと。だから探しに行ったけど、あいつぁ、ホァはどこにもおらんくて。村の奴ら、薄情だ……帰って来てねぇの知っとったくせに、なんもしてくれんかった。せめて俺がしっかりしていりゃあ、こんなことにはならんかったんだ。俺のせいだ。俺がおかしくなったせいで。あんた、あんた、なぁ、ホァはどこにいたんだ。あの子は、どこだ、なあ。探しても、いなかったんだ。なあ、せめて、おれは、弔ってやんなくちゃなんねえ。まだ八つなのに。なぁあの子はどこだ!」


ユエ:「ご遺体はありません。あの子は、幽霊となってわたしの所に来ました。幽霊となってなお、あなたを助けてほしいとわたしに頼んだのです」


父親:「おおおおおお(声を絞り出す)」


ユエ:「ホァさんを『』へ送らなければいけません。そのために、ホァさんの霊と会って頂きたいのです」


父親:「会えるんか? できんのか、そんなことが」


ユエ:「はい。ホァさんが『』へ旅立つまでの、ほんの少しの間ですが」


父親:「あんた、もし俺をからかっているのなら――」


ユエ:「その時はわたしの首を掻き切ってくれて結構です」


父親:「……会わせてくれ。頼む。会わせてくれ。」


ユエ:「では、わたしと外へ出てください。そこでホァさんを呼びます」


0:転換 前庭


ホァ:(浅くて速い呼吸。緊張している)


クォン:ホァちゃんはずっと身を硬くして待っています。わたしはその肩を抱いたり、背中をさすったりしていました。温かさも冷たさも感じません。しばらくして、向こうに見える戸口に、提灯の灯りが浮かびました。


ホァ:「とっと!! とっとぉお!! とぉっとぉーー!! あんさん離してよお! とっとぉー!!」


クォン:「まだです。ホァちゃん。まだ合図が」


ホァ:「やだぁ! とっといるんだもん! とっとぉ! とぉっとお!!」


ユエ:ホァの悲痛な声が聞こえて、胸が締め付けられる。


リールー:ホァの声は、父親には聞こえない。実体のない幽霊の声は、ただの人間には届かない。


ユエ「……では、呼びます」


クォン:ユエさんの提灯が、ゆらゆらと揺れました。


ホァ:「とっと!」


クォン:ホァちゃんが走っていきます。


ユエ:提灯の灯りが影を揺らす。ぼんやりと頼りない、曖昧な影。その曖昧さに宿るモノに、わたしは語りかけ、魔法を引き出す。


リールー:そのモノから引き出す魔法は、曖昧な存在をこちら側、、、、へ引き込むことができる。


ユエ:「おいでませ、『はさりとわず』」


リールー:影が歪む。ホァの足元から絡みつき、影は瞬時に少女を覆って、色づく。ホァの色に。


ユエ:子供の細い黒髪に。つやつやしたドングリのような肌に。黄色い胴布どうぬのに。海老茶えびちゃの筒袴に。黒玉こくぎょくのような瞳に。幽霊という、こちら側とあちら側の狭間にある曖昧な存在に、魔法が与える仮の実体。

ユエ:父親が言葉にならない声を上げて膝をつく。その首に迷子の子供がしがみついた。


ホァ:「うあああああん! ひあああああん! ふあああああん!!」


父親:「ホァ、ホァ、ごめんな。ごめんな! とっとが悪かった、ごめんなぁ!!」


ユエ:わたしはクォンに近寄り、その手を握った。感情に溺れてはいけない。勇気が欲しい。嘘は、つきとおさねばならない。わたしは膝をつき、迷子の頭をそっと撫でた。熱くも冷たくもなかった。


ユエ:「ホァ、もう大丈夫だよ。モノの怪なんていない。きみのお使いは、、、、、、、これでおしまいだ、、、、、、、、


ホァ「おしまい……?」


リールー:目の光が消えた。幽霊の特徴たる、仄碧ほのあおい影も消えた。


ユエ:ホァをこの世にとどまらせる縛りがなくなった。「はさりとわず」の魔法が解けていく。曖昧なものをこちら側へ引っ張りこむ魔法は、曖昧でないものには作用しない。

ユエ:へ引っ張られ始めたホァは、もう曖昧なものではない。


ホァ:「とっとぉ、おら、眠いよ。ガイドンいち、遠くてなぁ。たくさん歩いたんだもん。疲れたよぅ」


父親:「おう。おう。寝ちまっていいよ。安心しな、とっとが寝床まで、抱っこして連れてってやるからな。なぁ、ホァ、お前ちっちゃいのになぁ」

父親:「よくがんばったなぁ」


リールー:「よくがんばったものだ」


クォン:「よくがんばりましたね」


ユエ:「よく、がんばったねぇ」


0:転換


クォン:泊まっていけ、という親御さんの申し出を、ユエさんは固辞しました。村から離れたところで、一晩を明かしました。ユエさんの手も腕も頬も温かく、生きている人の熱を感じました。 

クォン:「ユエさん、大丈夫ですか?」


ユエ:「うん。あした、ぜんぶ話すね。わたしがついた嘘のこと」


0:転換 翌朝 帰りの道中


リールー:翌日、密林を割って進む道に差し当たったあたりで、ユエは口を開いた。


ユエ:「ホァのお父さんもね、もうこの世にはいないんだ」


クォン:「……え?」


ユエ:「ゼンビェンヴァン。猿の。昔話にさ『猿を産んだ花嫁』とか『猿じじい』とかあるでしょ?」


クォン:「ええ。たしか、幸せな結婚をした夫婦に子供ができたけれど、産まれたのが三匹の猿で、しかもお産を終えたばかりの母親は猿のような吠え声をあげて、子を抱えて密林に消えて行くという話でしたね」

クォン「もう片方は、独り身で老人が一生を終え、荼毘だびに付したところ、その頭蓋骨は猿のものだった。それをきっかけに、若い頃の老人が奇行を取っていたと皆が話題にする、って話です。――その、猿なんですね?」


ユエ:「うん。ゼンビェンヴァンは、人を襲い、その皮をかぶり、その人として暮らす。かぶった皮がなじんだら、奇行はおさまる。――結婚式でも唄うでしょ? 『猿ならお前の皮を剥がなきゃならん』」


クォン:「じゃあ、あの父親は偽物じゃないですか!」


ユエ「偽物だけど、本物として生きて死ぬ。それが芝居なのか、心まで成り代わっているのか、わたしにもわからない。わたしは……あのお父さんを本物と扱った。少なくとも猿は、芝居をまっとうしてくれたから」


クォン:「でも。それは、退治しなくていいんですか?」


ユエ:「しない。それに、あの村の人の何人かは、もう猿だと思う。奇行を取る間、お父さんが一度家を空けたって聞いたでしょ? たぶん……自分の家族か、群れの仲間を呼んだんだと思う」


クォン:「だったら、なおさら……」


ユエ:「クォン。ゼンビェンヴァンにとって、正体を知った人間は敵だよ。だから、わたしは知らないフリをした。奴らと戦いになるのは絶対に避けたかった。依頼も対価もおそれも受け取っていなくて、きみとモンチャンを連れて、そんな危険は冒せないよ」

ユエ:「それに、猿はもう、誰かの家族や友人になってる。誰が猿かわからないのに、疑いをかけていさかいを生んで、なんてこと、進んでやりたくはないんだ」

ユエ:「わたしの目的は、きみに取り憑いた幽霊をにおくる事だった。それは果たしたよ。ホァを穏やかに送り出せたんだ。それで、よしとさせて欲しい」


クォン「……」


クォン「ねぇ、ユエさん。もし、私がそのゼンビェンヴァンだったら、どうします?」


ユエ:「猿でもなんでも、わたしは愛してる」

ユエ:「きみが、人でもモノの怪でも、どっちでもいいって言ってくれたみたいに」


リールー:物音がした。

リールー:振り返った視界に、ひとりの少女が茂みから出てくるのが映った。

リールー:黄色の胴布どうぬの、海老茶の筒袴。すり切れた山笠。黒玉こくぎょくのような瞳がこちらを見た。


ホァ:「なあ、あんさんがた。おら、化け猫さんを買いてえんだ」


クォン:「ホァ!?」


ユエ:「クォン、下がって」


リールー:「ユエ、このホァは!」


ユエ:「わかってる。わかってるよ――お嬢さん。わたしがその化け猫だよ。きみの村のモノの怪を退治した帰りなんだ。だから、おうちに帰りな。お父さんが待ってる」


リールー:ユエの心臓の鼓動が、私の所まで届く。これは、怒りだ。


ユエ:わたしは願う。このまま立ち去れ。そして芝居を全うしてくれ。これは自分勝手で矛盾した怒りなのだから。――ホァを殺したのは、お前か。


戯子猿:「お前、見た」


戯子猿:「ガ、ガ、ガノイで見た。お前、猫をかぶった。犬のモノの怪、喰ってた。お前、モノの怪に喰われたのに、生き返った。あの娘。強い娘。あの娘」


ユエ:「よせ! 帰って父親と過ごせ!」


戯子猿:「お前の中のあの娘よこせ。あの娘の皮よこせ。お前の中身よこせ。お前の皮もよこせ。お前のかぶった猫の皮、よこせ。よこせ。よこせ。よこせ。お前をよこせぇ!」


ユエ:「クォン離れて!」


クォン:ユエさんが私から跳びすさりました。


リールー:合わせるようにホァの猿が駆けた。速い。


ユエ:すねを狙って噛みにくる。足を引き、回転して避ける。そのまま後ろに飛び、平笠を投げて牽制する。


戯子猿:「たらない、たらない、この皮ではたらない!」


リールー:猿が額を指でつかんだ。


ユエ:「見ないでクォン!」


リールー:皮が裂ける。赫々あかあかとした毛皮がのぞく。胴布が破れておちる。筒袴が破れて散らばる。山笠が外れて落ちる。ばりばりと人の皮を脱いで、腕の長い猿が出る。少女の皮に収まっていたとは思えない、人間の大人ほどの猿。


ユエ:お前、お前、ホァを捨てたな!!


リールー:「いけるぞ!」


ユエ:「んやぁぁぁあああああ!!!」


リールー:密林に猫の咆哮。猫の魔法「猫纏ねこまとい」。


クォン:ユエさんの首から上を真珠色の毛が覆い、口が裂け、牙が覗き、頭に三角の耳がピンと立ちます。

クォン:化け猫ユエが、金と琥珀の瞳をぎらぎらと光らせていました。


ユエ:「芝居を全うできない、半端者のゼンビェンヴァンが!!!」


リールー:ユエが真っ直ぐに跳んだ。


ユエ:猿が横跳びに避け、手を伸ばしてくる。強い力で左腕をつかまれ、引き寄せられる。


リールー:「猫は!」


ユエ:「すり抜ける!」


クォン:ユエさんが左腕をすぽんと抜きました。右手は猿の脇腹に触れていました。


ユエ:「猫の爪は」


リールー:猫の魔法「引き裂く指」。指でなぞった所が、魔法の強さに応じて深く裂ける。猿が飛び退く。もう遅い。魔法は発動している。触れられている状態で動けば、それは指がなぞるのと同じ事だ。


ユエ:「――鋭い」


リールー:空中で、どす黒い血を撒き散らしながら、赤毛の猿が上下に別れた。



0:転換 河原



クォン:河原に出て、私たちは枯れ枝を積み、火を起こしました。


ユエ:(弔いの言葉)「すべて生けるものは、死せるときまた旅立つものなり。煙は天に、灰は地上に、骨は土に。からこの世ひとつと産まれいでにければ、また彼の夜の中にかえらん。願わくはまたいずれかの世の夜をぎ、あしたに出逢わんことを」


クォン:煙が立ちます。ゼンビェンヴァンがかぶっていた、ホァちゃんの皮と着物が、燃えて灰になっていきます。


ユエ:ホァの山笠は後日、父親の所へ届けるつもりだ。あの猿は死ぬまで演じきるだろう。

ユエ:ホァの魂も、父親の魂も、からまた別の世へ旅立って、再会できたらいいと思う。それぐらいは、願っていいと思う。


リールー:燃え尽きた炭と灰を川へ流すと、ユエは夫を振り返った。


ユエ:「帰ろう、クォン。お腹すいたよ」


クォン:「お疲れ様です。帰ったら平麺ひらめん茹でますよ」


ユエ:「ほんと? 楽しみ」


クォン:河原から上がって、私はモンチャンの端綱はづなとユエさんの手を取りました。

クォン:モンチャンが一声鳴いて、荷車の車輪が回りだしました。


0:〈化け猫おくる 完〉

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