声劇_化け猫まつり【一人読み_50分】


【概要】

「猫はいつの間にかいなくなり、どこにでも現れる。なんてね」

 翡翠の海に囲まれた島の大祭司(おおさじ)が語って聞かせる、化け猫娘の昔語。

流行り病の夏、家を抜け出して山へと入った少年は、腐れ牛のを喰う化け猫と行き遭った。

 驚いて逃げ帰った少年は病に倒れ、気が付くと家には、人の左目と猫の右目を持つ娘が上がりこんでいた。

 奇妙な娘と打ち解けたのもつかの間、島へ一匹の龍「天舌てんぜつ」が近づきつつあった。


《約9000字》

上演時間目安 40 - 50分


登場人物

男性2名

女性1名

※ただし台本は一人読みを想定して執筆


【登場人物】


おお祭司さじ

 島の祭事をとりしきる老人。化け猫娘の血を飲んだため長生きしており、実は120歳を超えている。

 本作の語り部で、セリフの9割は大祭司のもの。


○少年

 11歳の頃の大祭司。島の子は12歳から一人で漁に出られる。


◇化け猫娘

 右目が猫の目、左目が人の目の娘。術を使い、猫をまとって化け猫になる。15歳までは人間だったが、化け猫歴の方がずっと長い。



原作 「化け猫まつり」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054896395656



【PCやタブレット使用であれば、画面右上の「ぁあ《ビューワー設定》」から、組み方向を縦組みにすると読みやすいかと思います】


利用規約はこちらです。ご了承の上でのご利用をお願いいたします。

https://kakuyomu.jp/works/16817139555946031744/episodes/16817139555946036386



<以下本文>



    *   *   *





●大祭司

 ワシがモノのの血を飲んだのは、タチの悪い病が流行って、夏至の祭が出来んかった年だな。

 熱が出て腹を下す病で、休みゃ治るが、治ったと思うとまたやられる。


 ──いやいや学者先生。そうソワソワせんで大丈夫だ。この程度の台風でどうにかなるような家はこの島に一軒もないわい。


 さて、さっきも言ったがあの年は流行り病の最中でな。子供は外に出るなと厳命されておったが、おっ父様とさもおっ母様かさ兄様あにさたちも寝込んでしまった。

 その頃の儂はまだ十二歳に届かんで、一人で漁に出るのを許されておらんかった。それでもやまぱらに入れば何か食い物が採れるだろうと、ナタ持ってこっそり抜け出したのよ。


 それで儂は、あの奇妙な化け猫に行き遭ったんだ。


 真っ昼間で暑くてな。棕櫚しゅろの緑も、海豆花かずかの赤も鮮やかに浮き上がって見えた。あんまり鮮やかで目がちらっちらしたんで後ろを見れば、翡翠ひすいの海だ。水平線に細かな雲が浮いとってよ。

 長いこと薄暗い、蒸し暑い、狭っくるしい家の中に居ったもんで、儂はああよかったと思ったよ。

 村の皆が病に伏せて祭もできんかった。おっ父様とさ祭司さじだったから、これで夏の台風が祟ればウチのせいになる。とにかく不安でな。

 だがソトは変わらずそこにあって、無くなっとらんで、それがとても安らかに思えて、しばらく呆けていた。


 そしたら、どすんと何やら重たい音がした。


 なんぞと思って音のした方に目をやっても、ニセトウキビが邪魔でなんも見えん。さがって、土の盛り上がった所に登ったら、赤牛の骸が見えた。

 横倒しで、舌がだらしなく垂れとってな。もうだいぶ腐れてハラワタも見えとったし、うじだのはえだのがたかっておった。

 体の芯が冷えるような心持ちがしたが、儂だって島の男ぞ、獣の死骸なんぞ怖いものかとナタを握り直した所でよ。


 牛がこっちを見た。


 横倒しのまま、ぎょろんと目玉だけが動いて、涙粒みたいにうじを垂らしよる。

 儂は腕から脚から血の気が引いて、それでも、気のせいに違いない、きっと本当は動かなかった、そう思いたくて赤牛の骸から目が離せんかった。

 そしたら、首やら胴やらをよじり曲げて、こう、尺取り虫みたいにな。牛の骸が。

 だすん。

 骸が進むたびに頭がニセトウキビをなぎ倒してな。


 だすん。だすん。

 だすん。だすっだすっだすっ。


 逃げようとしたが、脚が動かんで、腰が抜けた。もうだめかと思った、そん時だったよ。


◇化け猫娘

 逃げないでね?


●大祭司

 女の声がして、平笠ひらかさをかぶせられた。

 こんぐらいの、とにかく大きくて古い笠だ。前が見えんくなって、慌てて笠を上げたら、赤牛の骸をその女が押さえ込んどった。

 イェムという、胸と腹だけ隠すような真っ赤な服に、紺染めのはかまを履いとったな。なまちろい背中を丸出しにして、細っこい腕をガバと開いて。腐っても牛だぞ? 信じられん光景だったわ。

 女の顔は見えん。女は頭をな、突っ込んどったんだ。牛の骸の首のあたりに。

 息継ぎするようにそいつが頭をあげて、猫の頭が見えた。どす黒い血だか汁だかに汚れた猫の頭が乗っておった。

 細い女の指が牛の皮に食い込んで、雑巾みたいにしわくちゃにしとったな。

 つまるところ、猫のが、牛のを喰っとったんだ。

 牛もまぁ暴れてな。儂は今でも蠅の羽音にぞっとするんだが、奴め、タコがスミ吐くような調子で尻から蠅を吹きおった。

 その蠅が猫のの全身を覆って、猫は飛び退いて悶える。牛は、陸に上がった魚みたいに跳ねて逃げようとする。

 儂はそのまま行ってしまえと願ったよ。牛はどっかに行って、猫も蠅にやられてしまえばいいと。

 だが猫は水気を払うように蠅を払い飛ばした。ほどけたのか破れたのか赤いイェムはハラリと落ちて、両の乳房ちぶさに、乳房が、うむ、乳房をな、露わにしたまま化け猫が叫んだ。


◇化け猫娘

 おいでませ、炎蛹えんよう


●大祭司

 焔がたったよ。

 蠅の群れをなめるように、ばっ!と燃え上がる火だった。その熱波にあおられて、儂はようやく立つこと、走る事を思い出した。

 行くな、と女の声がしたが、かまわず走った。鉈で切ったのか、着物と脚がちと切れててな。そこに蠅が止まっとって、思わず叩きつぶした。

 虫をつぶしてあんなにおぞましい気分になったのは、後にも先にもない。

 一目散に駆けて駆けて、家に戻って、おっ父様とさの拳骨をくった。力のない拳骨でな。その力の無さが無性に悲しくて、心細くて、儂は大泣きした。

 体の震えが止まらんくて、頭がぐわんぐわんして、大泣きしながら儂は倒れたらしい。


 真っ暗闇でなんも見えん。女の声がぼそぼそと話しているようだったが、相手の声は聞こえん。

 悪い夢だと思った。昼間の事も何もかもひっくるめて、悪い夢を見とるんだと。

 女の声が何を言っとったか、よう覚えとらん。居候がどうしたとか、対価がどうしたとか、そんな事を言っていた気がするが、それよりも微かに聞こえるぶんぶんという音が恐ろしくてな。

 蠅は勘弁、蠅は勘弁とがたがた震えとって、目が覚めたら、おっ母様かさが儂を覗き込んどった。

 まあーーー怒られたわ。出るなと言われとるのに外にでたもんだから、大目玉だ。

 しばらく怒られとったが、おっ母様かさも言いたいことを言って、儂が大事ないとわかったら安心したのか、まじない師さんに礼を言えと。命の恩人だぞと。

 家の隅っこに知らん娘が座っとるのに、儂はようやっと気がついた。

 夢ではなかったのだな。

 服こそ薄手の袖付きを着とったが、生白い肌も、細っこい腕も、あの化け猫とおんなじだった。

 猫頭ねこあたまの代わりに人の頭が乗っかって、きらきらとした、浜辺の砂子みたいな色の髪をしとってな。

 だが、なによりその目だ。やはり浜辺の色なんだが左右で濃さが違う。それが妙に綺麗でな。うん、あれはやはり綺麗な娘さんではあったよ。

 そんなんで呆けて見とったら、またおっ母様にどやされた。

 急に倒れて熱で死にかけた儂を、この娘が助けてくれたらしい。

 おっ母様は網の繕いで浜小屋へ行ってしまって、儂は娘と二人きりだ。

 礼を言えと言われたものの、どう切り出していいかわからずにいたら、娘が先に口を開いた。


◇化け猫娘

 あの腐った牛は、疫鬼エキって呼ばれてる。病気をばらまく厄介なモノのだよ。


●大祭司

 急にそんなこと言われても、へえ、としか言えん。


◇化け猫娘

 逃げるなって言ったのに、逃げるんだもん。わたしの笠をかぶってれば瘴気に当てられることもなかったのに。


●大祭司

 やはり、へえ、としか言えん。それきり儂が何も言わんで居ると


◇化け猫娘

 けっこう痛かったんだよ?


●大祭司

 と娘は服の袖を捲った。

 左腕に、晒し布が巻かれておった。


◇化け猫娘

 きみは疫鬼エキに近づきすぎた。脚にも切り傷があって、そこに疫蠅エキバエの死骸もくっついてた。だから他の人よりもずうっと病気がひどかったんだよ。

 助けたのに死なれちゃいやだから、わたしの血を飲ませた。悪く思わないでね。


〇少年

 ち? ちって、血か?


●大祭司

 ようやく儂は言葉をしゃべれた。


◇化け猫娘

 血だね。疫鬼エキを喰ったわたしの血は、同じ疫鬼エキの病に勝てるんだよ。見たでしょ? わたしが喰ってるところ。


●大祭司

 当然の事のように娘は言ったが、儂は気分が悪くなった。やっぱりこいつは、あの化け猫ではないか。人のふりをしたモノの怪ではないか。

 胃の中で得体の知れないものがぐるぐる回る感じがした。

 戦わにゃならん。気づいとるのが儂しかおらんのなら、儂がこの家を守らにゃならんと、子供ながらにそう思った。

 土間には刃物があるからな。儂は一足飛びに飛びおりて、包丁をつかみ振り返った。 

 板間には誰もおらんかった。

 儂の寝とったゴザと、娘の荷物に平笠しか見えず、不意に後ろから右腕と左肩を掴まれた。


◇化け猫娘

 猫はいつの間にかいなくなり、どこにでも現れる。なんてね。


●大祭司

 娘の口調は軽かったが、掴まれた腕も肩も、さっぱり動かせやせん。もわっとした娘の体温が感じられてな、汗と冷汗とをいっぺんにかかされた。


◇化け猫娘

 これでも、化け猫歴はけっこう長いの。でもやっぱり、そういうことされると少し傷つくんだよね。


●大祭司

 娘の声はちょうど頭のてっぺん辺りでびりびりして、ついで微かにブンブンと低い羽音のような音がする。とうとう娘は、羽音と話し始めた。

 こんな感じだな。


◇化け猫娘

 たまには人助けもいいかなって思ったんだけど、残念だよ。


●(振動音)

 ぶん、ぶぶん


◇化け猫娘

 でも、わたしと戦おうとしたよ?


●(振動音)

 ぶぶぶん、ぶんぶん。


◇化け猫娘

 うん。わたしもやだよ。せっかく助けたのにまた殺すなんてさ、ばかみたいだもん。やっぱり対価を決めずにまじないなんて使うもんじゃないね。


●(振動音)

 ぶーん、ぶぶん、ぶーん。


◇化け猫娘

 え、説得するの? 面倒くさいなぁ。


●大祭司

 それで、化け猫娘が一方的にこんな事を言ったよ。


◇化け猫娘

 じゃあ、今からきみを説得します。手に持った包丁を放っぽって明日も生きるか、今朝には死んでるはずだったから今死ぬか。一度きみを助けたわたしとしては、明日も生きるほうだと嬉しいかな。三つ数えるね。

 いち、

 に、


●大祭司

 放ったわ。なにが説得なものかと今でも思うわ。


 (大祭司、茶をすすって一息つく)


 それでだ。

 急場は乗り切ったようだが、そもそもの気がかりは他にあった。


〇少年

 村の……他のみんなには、なんも悪さしてねえんだよな?


◇化け猫娘

 きみにも悪さはしてないんだけど?


●大祭司

 まだ娘は後ろにおって、儂の右腕を掴む手にちょっと力がこもったもんだから、儂はあわてて謝った。


◇化け猫娘

 わかればいいよ。他の人には何もしてない。薬をつくったりも、もちろん血を飲ませたりもしてない。もともと大した病気じゃないんだもん。勝手に良くなったよ。きみの家族も元気になってたでしょ?


●大祭司

 儂もたいがい阿呆だが、そこで初めて気がついたよ。皆いつもどおり働きに出ておる。

 どうやら、儂はまるまる二日寝込んどったらしい。


 さて。

 土間に放った包丁だが、洗っとかんとおっ母様かさから大目玉を喰らう。だが、さっきのこともあるわけだし、拾っていいのかわからん。

 そこんところ尋ねたら、化け猫娘も悩んだ末にじゃあわたしが洗うと来たもんだ。


 あの頃は、やまぱらから引いた湧き水を共同で使っとってな。

 化け猫とはいえ、見た目は綺麗な顔立ちの若い娘さんだ。当時の儂から見れば、この世のものとは思えん砂浜すなはま色の髪と瞳の、ソトから来た年上の人だ。

 ちょっと連れ立って歩くだけで、ひどくそわそわした。

 黙っとると負けとるような気がして、無理にしゃべった。

 聞けば、化け猫が島にやってきたのは笠の神様に教えてもらったからなんだという。次にどこへ向かうのか、平笠を投げて決めるんだと。 水場には幸い他の人は居らんくてな。

 化け猫娘は腰をかがめて、丁寧に包丁を洗っとったよ。

 美しい化け物だと思った。陽の光が服の布地を透かして、しなやかな身体の線が影絵のように見えた。それで、ほれ、化け猫娘が疫鬼エキとやりあった時に儂は、乳房ちぶさを見ちまってたから、

 透けて見えた身体の線とそれとが、頭ん中で結びついてしまってな。魅入ってしまった。

 それで、当然のように見透かされた。


◇化け猫娘

 女の人の胸をじろじろ見るの、やめた方がいいと思うよ。


●大祭司

 顔から火が出たわ。恥ずかしくて、とっさに大きな声で言い返したんだ。


〇少年

 あんたモノの怪じゃないか。


●大祭司

 そしたら、化け猫娘は洗ったばかりの包丁を一振りして水気を払った。


◇化け猫娘

 でも胸ばかり見られるの、わたし嫌だもん。


●大祭司

 また人間みたいな事をいう。儂もムキになっとって、あんたモノの怪なのか人なのかと言ったら、娘はこう答えた。


◇化け猫娘

 きみが決めちゃっていいよ。わたしはどっちでもいい。どっちがいい?


●大祭司

 左右で濃さの違う、砂浜色の瞳が儂を見た。

 その右目だけが、猫の目みたいに縦にすぼまっておった。

 やはり人ではないのだ、と思った。

 人であって欲しい、と思った。

 人であれば、手が届くのではないかと思った。

 答えにきゅうした儂を、化け猫娘は両目を細めて笑いおった。


◇化け猫娘

 難しいこと訊いちゃったかな? い。


〇少年

 バカにすんな。ワシだって来年には十二だ。一人で漁にだって出れんだぞ!


◇化け猫娘

 じゃ答えて。どっちがいい?


●大祭司

 からかわれてるのは儂にもわかった。負けん気はそこそこあったから、口から出まかせを言ってやった。


〇少年

 どっちだっていいわい!


◇化け猫娘

 それ、わたしの真似だよ?


〇少年

 違うわ!


●大祭司

 と、言いながら考えた。思えば、どっちだっていい、というのは案外、儂の本心に近いところにあった。


〇少年

 どっちだって、べつに、悪さとかしなけりゃよ……なれんだろ。と、友だちとか、そういうのによ。


●大祭司

 そしたら娘はきょとんとして、くつくつ肩を震わせたと思ったら大笑いしよる。


〇少年

 なにがおかしい!


◇化け猫娘

 ういうい。ういういー。笠の神様すごいなぁ、きみを助けた対価は今のでいいや。そんなの久しぶりに言われたよ。


●大祭司

 目じりをちょっと拭うと、娘は包丁の刃の部分を持って柄を差し出してきた。


◇化け猫娘

 これ返すね。いいよ。なろう。友だち。


●大祭司

 儂が包丁を受け取ると、娘は満足げに笑った。この時の顔は、今でもありありと思い出せるな。

 また微かに、ぶんぶん、と音がして、娘がこんな事を言う。


◇化け猫娘

 わたしの相棒も『よろしく伝えてくれ』だって。


〇少年

 あいぼう?


●大祭司

 聞き返したら、顔が急に近づいてきて、娘は猫のように細くすぼまった右目を指差した。


◇化け猫娘

 これ、リールー。わたしの相棒。わたしの名前は――


●大祭司

 娘の名乗りは聞けんかった。

 偽の落雷が声をかき消してしまった。


 偽の落雷と言ったが、この時はそんな事は微塵もわかっとらん。

 まさに青天の霹靂で、何事かと見まわすと、防風林を透かして見える水平線にな、伸ばしたソバ粉のようにノッペリとした黒い雲がかかっておった。

 見たことのない雲だが、雲が光ればいちおう遠雷が届くし、理屈にゃ合わんがさっきの音もあの雲からかと勘繰った。

 空気も急に冷んやりしてきて、風も出て来た。こりゃ嵐の気配だ。

 嵐がくるなら浜へ行って舟を陸に上げなきゃならんし、もし台風なんだとしたら家の守りも固めにゃならん。どっちに行くか考えとったら化け猫娘が言うた。


◇化け猫娘

 笠の神様すごいなぁ。でも困ったな、まだなんの準備もしてないや。


●大祭司

 そりゃあ嵐は困ったもんだが、娘が言ったのはどうもそういう意味ではなかった。


◇化け猫娘

 天舌てんぜつに見合う対価、この村にあるかな。


●大祭司

 娘は目を細めて雲を見ておる。

 儂はどういうことなのか尋ねた。

 また、どかん、と肝が冷えるような落雷の音がする。


◇化け猫娘

 これ、モノのの声なんだ。天舌てんぜつっていう、嵐のふりをする龍だよ。わたしはあれに用がある。

 わたしのお腹には厄介な居候がいてね、そいつを追い出すために天舌てんぜつの舌が欲しい。翡翠の海に住む龍の、何もかも吸いあげる舌が。

 だけど、わたしたちが勝とうと思ったら、それなりに準備がいるんだ。

 モノの怪の王様だからね、龍は強いよ。ふさわしい対価を受け取って、仕事として背負えばこっちも強くなれるんだけど……あっちが来るのが早いね。


●大祭司

 言い終わるなり、娘が儂の手を取ってやまぱらへ引いていく。何をするつもりなのかと、儂は手を振り払った。


◇化け猫娘

 何って、逃げるんだよ。きみには『明日も生きる』って選ばせちゃったし、今日死なせるわけにいかないもん。天舌てんぜつは人の住処を狙って舌を伸ばすから、山に隠れれば安全だよ。


●大祭司

 それは飲める話ではなかった。嵐になれば、みな家に籠もるにきまっとる。おっ父様とさやおっ母様かさや、村の皆をほっとく訳にはいかん。

 そうこうするうちに、ひゅうひゅうと風も鳴り出してくる。あまり時間があるようにも思えん。


〇少年

 対価がありゃ勝てるんだな!?


●大祭司

 娘はいぶかしげに頷いた。儂はこのときに作ったのだな、化け猫に百年の借りを。 


〇少年

 そんなら、あんたを神様にしてやる!


●大祭司

 おやしろの蔵を開けた頃には、もう辺りには重苦しくて湿った風が強く吹き付けて、空は間断なく稲光を走らせておった。

 儂らにとって運がよかったのは、蔵の鍵を取りに帰ったら、おっ父様とさも家に戻っていたことだな。拳骨を喰らいそうになったが、天舌てんぜつの名を出したら、何か思うところもあったようだ。

 兄様あにさたちは村へ散って、皆に家から出るよう説得に走った。あとから知ったが、これは到底間に合わなかったらしい。

 ともかく、儂らはおっ父様とお社へ駆けた。

 神になる娘は、干し蛇のご神体にうやうやしく平身して挨拶を済ませると、次に蔵を開けてみさんご様を拝んだ。

 みさんご様というのは、二本の髭を生やした海蛇の神様でな。

 夏至の祭りの時に、黒染めの布と緋染めの刺繍糸でこしらえた、縞模様の大きな蛇を大勢で担いで村中に泳がせるのだよ。

 重くて二人じゃ動かせんから、みさんご様の頭だけどうにか担いで、蔵の外へずるずると引き出した。

 娘は袖付きを脱いで深紅のイェム一枚になり、外した平笠を手に蔵の前に立っとった。

 そして、おっ父様は儂に問うよう促した。

 約束したのは、儂だったからな。


〇少年

 みさんご様が祭司さじの子、明日の祭司が、と、問うぞ! 約束、や、約定をわれと結び、天舌てんぜつのわざわいを退けるに異論はあるか!?


◇化け猫娘

 ない!


〇少年

 ならば、みさんご様が側神そばかみとしてあんた……な、汝を祀らん!


●大祭司

 ばきばきばきどん!

 ちぎれた板子いたごや、舟が降ってきた。浜のあたりをふと見れば、真っ黒な空から細長い舌みたいな雲が垂れ下がって、風とともに舟や網を吸い上げておった。

 浜小屋がやられたんだ。

 おぉぉぉおおおーん、おぉぉおおぉおーん、とな。風が山犬の遠吠えのように唸っておったよ。

 おっ父様とさは真っ青になりながらも、儂の名を怒鳴った。儂はあたふたと言葉を継いだ。


〇少年

 あ、新たな神となる者よ! 何者なるか、なを、名を告げたまえ!


●大祭司

 化け猫娘のほうは実に堂に入っておったよ。


◇化け猫娘

 我は人の身に猫をまとい、腹に異種の魂を宿す者。満ち、欠け、死に、また満ちる夜天やてん眷属けんぞくを名に頂く者。

 我が名はユエ。


◇ユエ

 人のにして猫の、化け猫ユエである!


●大祭司

 こん時、みさんご様がぶるっと震えて、蔵の中から風が吹き抜けた。まなこ眩ませる稲光と耳つんざく雷鳴の中で、巨大な海蛇の影が娘の周りを泳いどった。


◇ユエ

 側神そばかみよりみさんご様へかしこかしこみ申す! 友の願い受けし側神の爪に、天の舌を抜き、災い退ける力を貸したまえ!


●大祭司

 そして、化け猫娘は砂浜色の髪を震わせ、腹の底から声を出した。


◇ユエ

 おいでませ! みさんご様!


●大祭司

 儂の長い一生のなかでも、神様のお姿を見たのなぞ、この一度きりだ。赤と黒の縞模様しまもようをした大きな海蛇の首にひらりと飛び乗ると、娘が相棒の名を叫んだ。


◇ユエ

 リィィィーーールーーーー!


●大祭司

 頭から首から背中から腕から、真珠のように真っ白な毛を吹き出して、娘は全身に猫をまとった。

 つややかに輝く白猫と、あかがね色とくろがね色の縞模様を持つウミヘビの、二柱ふたはしらの神様がな、天舌てんぜつの黒い雲へと空を昇っていったよ。

 ああ、やはり手の届かんモノだった。

 稲光の空を見て、儂は涙が止まらんかった。


 ──あとはもう、さほど語る事もない。神と龍の戦いは下からでは何も見えず、わかるのはただ天舌てんぜつが海へ追いやられ、一晩の後に消えたと言うことだけだ。

 のう、先生よ。儂も祭司さじになるにあたって学んだのだが、龍というのはお互いの縄張りには近寄らんらしいな。


 (学者の説明を聞く)


 ふむ。やはり、みさんご様のヒゲは、龍のフリをするためのものか。祭のできんかった年に天舌てんぜつがやってきたのも、そういうカラクリであったのだな。

 なるほどなるほど、上手い事できとるもんだよ。


 ──ん、いや、すまん。まだ終わりではないのだ。


 猫神様になった娘だがな、数日たって、忘れ物を取りにウチに来よったよ。

 天舌てんぜつの舌だと思うが、手にだらんとした物をぶら下げてな。置きっぱなしだった旅の荷物を取って、島の神様になったくせに、平笠を投げて笠の神様に行く先を聞いておったわ。


 それっきり、娘はどこかに行ってしまい、姿を見ることもなかった……のだが、ここ十年ほどな、夏至の祭りが近づくと、村のどこかにひょいっと現れておるのだよ。

 まったく、猫はいつの間にかいなくなり、どこにでも現れるとはよく言ったものだ。


 なぁ、学者先生。

 ゆっくり後ろを振り返ってみなされ。



<化け猫まつり 完>

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