一人読み
爪【一人読み_30分】
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https://kakuyomu.jp/works/16817139555946031744/episodes/16817139555946036386
【概要】
「そして男は爪になり、復讐だけが果たされた」
妻を奪われ娘を盗まれた男の復讐。
※ 語り部たる爪は男性ですが、朗読を想定しておりますので、読み手の方の性別は問いません。
4000字 30分を想定
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<以下本文>
1.
結社。
男が二番目に覚えた文字だ。
聖なる丘に建つ「結社」。その裏手にそびえる崖の上に身を伏せ、男は結社の
伸び放題の髪と、赤黒く染まった
自らの名は忘れて久しい。男は爪と名乗っていた。
男が肌身離さぬ物が三つある。
その一つが「爪」という名の短刀だ。
いや、短刀だったものだ。
人を斬るたびに短刀は育ち、
崖の上からは、結社に出入りする女たちの姿が見える。セアラーも、かつてはあんな中にいたのだろう。
もう顔は思い出せない。
笑顔が好きだった事は、覚えている。
男は孤児だった。生き抜くためには何でもやった。盗めと言われれば盗み、殺せと言われれば殺し、犯せと言われれば犯した。
そうやって橋の下、穴蔵の中、下水口の脇、街の落とす陰の中を何年も転々とするうちに、気づけば隣にセアラーがいた。
少女が金になるのは知っていた。
そうしなかったのは、見たこともない蒼い髪が美しかったからだ。
ガラスの欠片や、奇妙な形の石よりもずっといいものを拾った、それぐらいの気持ちだった。
人里離れてひっそり暮らす、エルフと呼ばれる部族の子がどうやって街にきたのか、もう誰も知らない。
彼女が隣に来てから、男は殺さなくなった。犯さなくなった。彼女が嫌がる事はやりたくなかった。そうして何年か生き延び、殺されそうになって、街を二人で逃げた。
そのすぐ後だ。彼女の具合が悪くなった。
雨も降り出して、たまたま目に付いた家に入り込んだ。家主が騒いだら適当に黙らせるつもりだった。
しかし家主の男は騒ぐでもなく、責めるでもなく、彼女の容態を見て言った。
――身ごもっていますね。
――私は、貧しい母親を救うべく活動している者です。
家主は毎日どこかへ出かけていく。その先で、女たちに読み書きを教え、母子に医術を施し、出産に立ち会うなどしているとセアラーから聞いた。
家主には敵も多かった。大抵は、女たちの夫だった。
後に「爪」となる男の怪異な風貌と腕っぷしは、大いに役にたったものだった。
セアラーも、よく家主に付いていっては読み書きを教わって帰ってきた。帰って来てからも白墨を持ち、熱心に字の練習をしていたものだ。
――みてみて、これがアタシのなまえって。
――あんたのも書くよ?見ててね?
――ねぇ、いっしょにやろうよ。
男は興味が持てなかった。線と図柄の組み合わせが読めなくても困った事などなかった。
セアラーのお腹はどんどん大きくなっていく。
文字に興味をもてなくても、セアラーとお腹の子には興味があった。この中に自分の子が入っているというのが、心底ふしぎだった。
子どもが産まれるとは何なのか、親というのはなんなのか、家主の男から学んだ。
そのうち、男も家主を心から信頼するようになった。この人なら間違いはないのだと。
――いよいよとなったら私が取り上げますから。
――なにも心配なんてする必要ないですよ。
その家主の名は覚えている。
忘れぬように、毎晩寝る前に唱えている。
ウィジャ。ウィジャ。ウィジャ。ウィジャ。
殺す。殺す。殺す。殺す。
2.
セアラーが辛そうにしていても、どうにも出来ない事が多いと知った。だから他の事では、彼女が楽になるようになんでもやった。
働いた。汚れ仕事も、危険な仕事も、あの糞まみれな街に比べればどうと言うこともなかった。
辛い時期が落ち着いて、子の名前が決まった。男の子でも、女の子でも、どちらでも素敵な名前になった。
いよいよ産まれるんじゃないかという頃になると、セアラーは白墨ではなく、ペンと紙で、子の名前を練習するようになった。
――産まれたら、きれいな紙で、きれいな字で、この子に名前を贈りたいの。
そしてここに来てようやく、男も文字を覚えようという気になった。
だから最初に覚えたのは、子の名前だ。忘れないように、練習できるように、彼女が練習で書いた紙をもらって、ペンも借りた。
翌日に彼女は産気づいた。
ウィジャがセアラーを馬車に乗せて連れ出す。
――大丈夫です、私に任せてください。
――不慣れな人間は邪魔になります。数日間かかりますから、ここで待っていてください。
この時の事は何度も夢に見る。追いかけても、殴って止めようとしても、ウィジャは行ってしまう。
それを追いかけて、追いかけて、何度も同じ光景を見る。
現実においても、男はほとんど待てなかった。
すぐに飛び出し、行き先を知らぬまま探し回り、いつか殴り飛ばした連中に追い回されつつも、ウィジャの行方を突き止めた。
子どもが産まれそうだからウィジャを探している、そう言うと誰かの母親が教えてくれた。
──「結社の家」に向かうのを見ましたよ。
男は走った。
セアラーの顔が見たかった。
家を出るときにも苦しそうにしていた。なにか励ましてやりたい、力になりたいと思った。
結社の家は、ウィジャの家よりよほど大きく、しかし人の気配がなかった。ただ、昔に嗅ぎ慣れたにおいがした。
においを辿って奥へと行き、半開きの扉を押し開けて目にしたのは、清潔な部屋の真ん中に据えられた清潔なベッドと、きれいな髪の蒼と、裂かれた腹だった。
――とられちゃった……とられちゃった……
うわごとのようにセアラーが繰り返し、虚ろな瞳が、必死に男を見ようとしていた。
――お乳をあげたよ、お母さんになれたよ、なのに、
――とられた、とられちゃった。
男はかつて、人の腹を斬って殺した事がある。
腹を裂かれた者を助ける術は、男にはなかった。
ただただ、彼女の手を握り、蒼い髪を撫で、声をかけ続けた。街にいた頃の話もした。あの文字通り糞まみれな暮らしでさえ、戻れるなら喜んで戻りたかった。
――ごめんなさい……
――ごめんなさい……
――ごめん……
それが誰に向けた言葉だったのか、もう知る手段はない。
セアラーは最後に、謝って死んだ。
――ちがう。
――おまえがいったいなにをした?
あやまるのは、おまえじゃない。
ベッドの脇に転がっていた、鋭利な短刀から声がした。
「裂け。お前の女がされたように、我が身で復讐を果たせ」
血に濡れた短刀は「爪」と名乗った。
3.
男は、再び殺すようになった。
最初は、ウィジャの家で待ち伏せていた連中だった。
「結社」と「ウィジャ」、その二つを手がかりに放浪が始まった。追っ手がかかれば男は爪となり、容赦なく殺した。その度に「爪」は育った。
数年のうちに「結社」はどんな鄙びた村でも見られるようになり、ウィジャの行方は杳として知れない。
十年が経ったころ、男はエルフの暮らす集落に迷い込み、なぜ彼らが隠れて暮らすかを知った。
エルフが人となした子を、母の産道を通すことなく取り上げると、強く神性を残した子になるという。
そうやって、かつての帝王も産まれたと。だから人はエルフをさらうようになり、彼らは隠れたのだと。
ウィジャは知っていたのだろう。それとも結社の命令か。
どちらにしても、やることに変わりはなかった。
夜が来て、宙天に満月がかかる頃、男は爪になった。
崖に浮き掘られた巨大な女の像の前に、松明の一団が輪を作った。ウィジャはいるのかわからない。間違いなら、また別を当たれば良い。
背負った「爪」を手に取り、黒く闇に沈む逆反りの刀身を振って、飛び降りた。
浮き彫りの像に「爪」を立て、縦に深く傷を彫りながら一気に着地する。色めき立つ一団の松明が激しくゆらゆら揺れ、その手近な一つに「爪」が振るわれた。
とん。
鎖骨のあたりに「爪」の先がかかり、
ウィジャではない。
またひとつ、松明が落ちる。
ウィジャではない。
またひとつ、またひとつ、またひとつ、またひとつ。
最後の二人、片方を見て爪は手を止め、歯を見せて笑った。
背後に一人をかばうように立つ、線の細い男。地に落ちた松明たちが照らすその顔を。
会いたかった。
ウィジャ。ウィジャ。ウィジャ。ウィジャ。
殺す。殺す。殺す。殺す。
炎光と月光の間を低く飛ぶように抜け、爪は「爪」を突きたてた。どう殺すのかは、すでに決まっていた。
とん。
中を
「おとうさま!」
くずおれる仇の背後から、幼い声がした。
殺せ、忌まわしき神の
逆反りの刃が男に囁く。「爪」を振り上げ、幼い声を刈り取らんとして、蒼い髪が目に入った。
面影があった。
思い出すことができた。
ウィジャの亡骸にすがりつく娘は、母親似だ。セアラーも泣くときはあんな顔で泣いていた。泣いたり、怒ったり、笑ったり、顔の忙しい女だった。
――笑った顔が見たい。
「よくもおとうさまを!」
娘が顔を上げていた。その瞳に、怯え、悲しみ、怒り、そして憎しみ。
幼い娘の肌から黄金の光が滲み、次の瞬間、男を幾本もの光の槍が貫いた。
痛みはなかった。熱さだけがあった。右手の「爪」が振り上がり、娘めがけて投げられようとした。
男は、手を離さなかった。
そのまま抱きかかえるように、「爪」を自らに食い込ませた。喉を血が埋めて、声は出ず、土に倒れ伏して男は娘の姿を探す。
騒ぎを聞きつけて結社の御殿から飛び出てきた連中がある。ユーリア様、ユーリア様、と娘が呼ばれている。
ちがう。
その子の名前は、ユーリアじゃない。
その子は、俺とセアラーの娘だ。
鉄の棍棒に打たれながら、男は手の中で暴れる「爪」を離さなかった。懐にしまった紙をもう一度見たかった。娘に名を贈りたかった。
セアラーの叶わなかった願いを、叶えられないまま、爪だった男は骸になった。
翌朝、男の骸が改めれた。
腹に埋まった短刀はどうあっても抜くことができず、他に男の持ち物は、古びたペンと、一枚の紙片だけだった。
紙には下手な字で何度も「イゥリ」と書き連ねられていた。表と裏で筆跡が違うようにも思われたが、そのまま男の骸と共にどこかに捨てられた。
その後、「爪」の行方は
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