第10話
まずクレイが思ったのは、名刺など渡すべきでは無かった。
二つ目に思ったのは、生かしておくべきでは無かった――だ。
三つ目に思ったのは、今さら後悔しても遅いということだった。
まるで自分が暇な人間化のように思われているのは癪だが、それでも何をするにもこの街では、人脈というものがなさ過ぎる。
今のところの手札は、宿屋の少年リッキー。タクシードライバーのジョン、そして本来討伐対象になり兼ねない、バンパイアカップル。
リッキーにジョンを呼んでもらい、彼らの所へ向かうとことにする。
クレイが辿り着いたのは、先日訪れた裏道にある、あの小汚いアパートだ。
電灯は相も変わらず不安定に強弱を伴いながら、老化を薄暗く照らしているのだ。なんだか根本的に設備に問題があるのではないか?と、思いたくなるほどだ。
コクンリート製の廊下や階段を歩く度に、コツコツと靴音が響き渡るのも、なんだか陰気くさいし、そこを歩くクレイも、明るいとは言いがたい。益々もって陰気くささの極みである。
クレイは例のカップルの部屋の前に訪れると、呼び鈴を鳴らす。
そして、ややもするとマーチンが一度チェーンロックをした状態で、クレイの存在を確認し、改めて彼を室内へと迎え入れてくれるのであった。
「待ってたよ。まぁ座って座って!」
恐らく二人以外は利用しないのであろう丸テーブルの上に、コーヒーが二つ並べられる。それはミランダが、淹れてくれたものだ。
「ああ……いや。コーヒーは……」
「なんだい?苦手だったかい?」
「ダメなんだ……カフェインは……
「ああ。そうか。ミネラルウォーター?」
「済まない」
自分は何を言っているのだろうと思ったクレイだった。この二人はあまりにも人なつっこすぎる。会話の内容こそ初対面に近いが、これでは、もう何年も付き合いのある友人のような待遇ではないかと思ってしまうのだ。
ミランダは、クレイのコーヒーを下げ、それを持ち、ベッドに座り、そのコーヒーを呑むことにしたようだ。彼女は中級のヴァンパイアだというのに、その嗜みは忘れていないようだ。
通常なら食に対する興味をほぼ失うはずなのだが、彼女は少し鼻歌混じりに、楽しそうに飲んでいる。
砂糖もミルクも入れていないようで、彼女はブラックのコーヒーが、好き――だったのだろう。
「ああ、ミルクと砂糖、俺が貰って良いかな?」
「お好きに……」
クレイは、この陽気なヴァンパイアに少し面食らいながら、帽子を目深に被る。
「ああ、で。頼みっていうのは……」
「待った待った。その前に何で俺に捜し物なんぞ頼もうと?」
といいつつ、クレイはここにすでに来ているのだから、マーチンからすれば頼みを聞いて貰えるものだと思っていたのだろう。尤も戸惑いも何もない様子で、少しだけ納得する。
「ああ、そうそう。アンタがどうやって俺たちを見つけたのか?って思ったんだ。名刺を見ると別にこの街の出身ではないし。完全によそ者だし、そうすると人づてじゃないなってことで、ハンターでもないのに銀の弾丸なんて物騒なものを持ってて――」
マーチンは、一度しゃべり出すと止まらないようだ。身振り手振り実に陽気な男に思える。彼は人と相対するのが好きなのだ。それはヴァンパイアになったとて、変わらぬ事実なのだろう。
要するに、ダウジングのことは理解していなかったが、クレイには創作に対する特殊技能があるのだという結論に至ったらしい。
「――で。常連の犬がさ。名前はパピーって、ああ、パピヨンのパピーで……」
「御前さん。俺に犬を探せと?冗談じゃない!」
「まぁまぁまぁ!」
ヴァンパイアを探すための道具を、犬探しに使えと言われたのだから、クレイはたいそう心外だった。思わず立ち上がりそうになってしまうが、マーチンは同じように立ち上がりクレイをなだめに掛かる。
手に持ったミネラルウォーター入りのコップを、クレイに差し渡して、落ち着くように促すのだ。
「犬はヴァンパイアがキライなんだよ。解ってるだろ?」
確かにそうだと、クレイは思った。つまりマーチンも犬に近づくことは出来ないのだ。ただ嫌われるだけなら良いのだが、犬はヴァンパイアに対して至って好戦的に警戒心をむき出しにするのだ。興奮状態の犬には、チャームつまり催淫が全く効かないのである。
「あんた、聖職者じゃいけど、ほら……なていうか聖水の臭いするし、ああ!だから仕事中は、味の付いた飲み物を飲まないようにしてるのか!」
などとかってな自己推論で、妙な納得をしてみせるマーチンだったが、この際そんなことはどうでも良いのだ。
クレイは正直目が眩んで、気が滅入りそうになっていた。
「で……俺が言うのもなんだけど、その場所結構ペットの行方不明が多いんだって」
この言葉にクレイはピクリと反応する。
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