第3話
クレイは、この街に初めて訪れた。
だから、街の距離感も地図以上に理解している訳でもないし、タクシーに乗り、空港から一般道へ出る頃には、すでに方角の感覚など半分ないようなものだった。
リッキーとタクシーを信用するしかない。
空港はこの都市の西部にある大きなマンハッタンアイランドにあり、ブロードシティへは、大きく立派で堅牢な吊り橋を渡ってゆく。
空港からハイウェイに乗り、その橋を渡ると言った具合だ。
時刻はすでに夕暮れであり、マンハッタンゲートブリッジと呼ばれるその見事な吊り橋から眺めるブロードシティは、まるで闇の中に鏤められた宝石のようである。
まだ随分距離はあるはずだというのに、高層ビルがその高さを感じさせる。
あの街の中に入り込んでしまえば、自分の位置を見失いそうである。
リッキーが、助手席から後部座席を覗き込み、変わらず屈託のない笑みの中に、少し自己主張を見せる。
言いたいことは何となく解るのだ。
自分の案内は、まだまだ必要なのだという彼の自負。
軈てタクシーは、ハイウェイを降り、ブロードシティへと入り込む。
ブロードシティは規則正しい大通りと、中筋、そして入り組んだ路地裏となっている。
路地裏はショートカットに便利そうだが、一歩間違うとそこは法の目の届かない、危険地帯である。
リッキーは適当な地点で、タクシーを止め、クレイに料金の支払いを催促する。
と、リッキーはタクシーの運転手からもチップをもらう。実に確りしている。彼は客の安全性を見極めて、こうしてドライバーからも報酬をもらっているのだ。
何より、自分が行き先を指定することで、双方に安全を提供している。
料金を支払った後、車のトランクから、トランクケースを下ろす。大きなトランクケース二つである。
いったい何が入っているのかと思うほど大きなトランクケースだ。
正直リッキーくらいなら、悠々と入り込めてしまいそうなケースである。
荷物を下ろし終え、リッキーが合図をすると、タクシーは走り去ってゆく。ここからは再び彼の案内になりそうだ。
「ああ、ちょっと待った」
クレイは、近くのホットドックスタンドで、残り少ない、もはや何の真新しさもないデイリーニュースペーパーを購入する。勿論それは今朝刷りのものである。
「夕刊じゃなくていいの?」
「昨日のニュースを知るのに、夕刊はないだろ?」
「……なるほどね」
この街へたどり着いて、昨日のニュースとは妙な話だが、怪奇事件の事を考えると、確かに宿に着いてからでも手に入る可能性のある夕刊よりも、朝刊の方が良いかもしれない。
クレイは街の情勢が気になっているのだと、リッキーは思った。
「じゃ、やすいけど、駅から近くて、いい宿紹介するよ」
リッキーが、少し凹凸の烈しい歩道を、トランクケース一つ引きながら歩く。クレイももう一つのトランクケースを引きながら歩く。
そして、リッキーが一つの宿屋にたどり着いたときだった。
宿というよりも、アパートに近いが、宿と言ったら宿なのだろう。特にロビーも存在せず、本当にアパートの入り口で、漸く管理人室があるという雰囲気のありようで、可成り年季の入った建物であり、外観は五階建てで、今にも立ち退き命令を迫られそうな建物である。
「ただいま!じゃなくて、一名様ご案内~!」
「お帰り」
ブロンドの普通の女性だが、記帳をクレイに渡そうとしていることから、彼女が此処の宿主なのだろう。リッキーとは似つかないが、そこは他人の事情だ。
クレイは口出しせず、記帳を済ませ、宿泊代を払う。
「三十五ゴルドー……か、確かにこの都会じゃ格安だ」
クレイは、二階ほどフロアを上がる。
リッキーに部屋を案内されると、こぢんまりとしていて、少し古めだがさっぱりと綺麗な部屋だ。テレビもある。悪くない。
当然案内役のリッキーは、チップを望むので、クレイは更にチップを払うことになる。
「モーニングが欲しいなら、受け付けるけど、夜はもうダメかな。買い出しも終わっちゃってるし……食べるなら案内するけど……」
「いや結構。新聞も見たいので、後でどうにかするよ」
「あっそ……。でも路地には入らないでね!」
「解った。今夜はもう出ないようにしよう。それよりか、明日一日、街を一通り案内してくれないか?」
「ガイド料は、そこそこ取るよ?ボクの昼食代と交通費が出るなら、勉強はするよ」
「解った解った。それからミネラルウォーターを数本。五〇〇ミリリットルの奴を数本頼む。朝食は……任せるよ。好き嫌いは無いはずだ」
「了解!」
用事を仰せつかったリッキーは、元気よく扉を閉めて、クレイの部屋から出て行くのだった。
「やれやれ」
少し騒がしさから解放されたクレイは、少々の疲れを見せながらも、ベッドに腰を下ろし、新聞を眺め始めるのだった。
街のデイリーニュースペーパーだ。
当然街の事件が一面に載る。
「また怪奇事件か?」
それが、新聞の見出しである。
「やれやれ……冗談じゃない……」
クレイは深い溜息をつくのだった。
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