第2話木星牛のはんばーぐ

 いつものようにスイッチを入れる。カメラが撮影を開始する。

 これから行われる奇想天外で天衣無縫の料理を最初から最後まで記録するために。

 料理を行うのは、頭のおかしいことと銀河を飲み込むおっちょこちょいさで名の知れた丹羽みらいだ。容姿としては、これといって特筆すべきことはない平凡な顔立ちである。遺伝子操作が行われるようになった昨今としては珍しく、美女(人類にとってはという意味である)というわけではなかった。美しいというほどではないが整った顔立ちで、頬のそばかすが愛らしさを強調させている。宇宙へ出ることが多く、その肌は小麦色に焼けている。しかし、そのどれよりも目立つのは、真紅の髪だろう。その燃えるような赤を、おさげにして垂らしている。編み込んでいるというわけではなく、調理の邪魔になるから縛っているだけだろうが、それだけなのに魅力的であった。その魅力的な部分を、分厚いスマートグラスが完膚なきまでに打ち消しているのだが……。

 みらいにとっては、容姿などどうでもいいのだ。興味があるのは、料理。それも、誰も造ったことのないような料理だ。それを目指して、みらいは日々精進している。

 彼女の肩書は料理人――などではない。じゃあなんだ。

 境界性食品科学研究者、ということになる。FFS(FringeFoodScience)の第一人者とみらいは名乗っているが、彼女以外にFFSを研究している生物はいない。銀河にただ一人の研究者であることを誇りに思うと同時に、どうして理解してくれないのだろうという想いはあった。

 そういうわけで、調理を録画して、動画にしようと考えたのである。……生放送しなかったのは、そうしたら緊張してしまって何をするかわかったものではないからだった。自分がおっちょこちょいという自覚はみらい本人にもあって、ライブ配信でもやった日には宇宙そのものを破壊してしまう気しかしなかったのである。その点、録画なら慌てる必要はない。緊張はしたが、ミスをしても編集するか取りなおせばいいだけであった。

 コホンと咳ばらいをして、正面を見据える。

「こっここここんにちわっ!」

 自分でも驚いてしまうほど、どもっていた。人に向けて何かを話すのは久しぶりのことであったから、非常に緊張していた。やってしまったと頭を抱えたが、録画は始まったばかり。気を取り直して、挨拶から始めたらいい。

 そして、四回目でようやく納得のいく挨拶ができた。

「今日は牛肉を用いたハンバーグを作っていこうと思います」

 言ってから、みらいは直立する。編集点というわけではなく、これから話そうとしていたことをすっかり忘れてしまったのである。

 思い出すのに数分。

「えっと、それでは材料の紹介をします」

 みらいは冷蔵庫に用意しておいた材料たちを、とってくる。それを一つひとつカメラに映るように持ち上げる。

「そして、今回の主役であるジュピタリアンカウ――木星牛のもも肉です」

 ジュピタリアンカウとは木星で育てられた牛である。木星はそのほとんどがガスで覆われており、地球の二倍以上の重力を持っている。そのために、テラフォーミングは遅々として進んでいない。ではどうやって木星で酪農がおこなわれているのか、というか人類をはじめとした生物はどうやって生きているのか。

 簡単である。空中に都市を築いて、ぷかぷか浮かんでいるのである。ちょうどガリレオ温度計の中の球体、もしくは気球のような感じといえるかもしれない。気球のような形をしているわけではなく、挙動が似ているのだ。形としては完全な球体をしていると思っていい。その球体にはウニのようなトゲトゲが生えていて、雷を受け止められるような構造をしている。球体の中には、小さな球体がある。そこに様々なシステムが収容されており、人々はその上で生活しているというわけだ。小型化された地球環境といってもいい。ただし、地球よりもずっと――月よりも!――小さいから一つの球体には、一つの施設しかない。そのために、木星の大気には、無数の球体が浮かんでいる。今からでも、木星に天体望遠鏡を向けてみるといい。茶色の雲の切れ間に赤色の球体が見え隠れするのが辛うじて見えるだろうから。

 それはさておき、地球環境で育てられた木星牛は地球と同じ肉質になるのではないか。花より団子な人たちからすれば、そこが一番気になるところだろう。しかし、そうではない。というのは、重力が二倍以上違うから。地球で五十キロの人間は百キロになる。それだけ強い負荷がかかるというわけだ。ありとあらゆる生物は、重力の影響を常に受け続けることとなる。その結果、木星産の牛は一回りほど小さく、赤みがたっぷりの肉となる。脂肪分が少なく筋肉質なのだ。タンパク質含有量が高く、またビタミンBも豊富なのでダイエッターやボディビルダーにも人気があった。

 みらいが購入したのはA5ランクの木星牛だ。昨夜加工されたばかりの木星牛のもも肉のブロックは、速達便で今朝届いた。

「本来ならばツナギ――卵や豆腐などです――を入れるんですけど、今回は牛のうま味を引き出すために入れません」

 同様の理由で、玉ねぎやらスパイスやらはほとんど入れない。入れるのは、塩と粗びき胡椒くらいのもの。ツナギを入れないということはまとめるのが難しいということでもあるが、そこはアイデアがあった。

「しかし、ハンバーグだけでは寂しいので、付け合わせを一つ作りましょう」

 何にしようかな、といいながらみらいは冷蔵庫を開けて、いろいろ見て回る。といっても、台本は何日も前から作っている。何をつくるのかも台本には書かれているから、あくまでフリでしかない。考えている振りをしているのは誰の目からも明らかであった。気が付いていないのは、当の本人くらいのものだ。

 たっぷり時間と冷蔵機能の無駄遣いをして、ようやく用意していた材料を取り出した。

「ハンバーグといったらやはりマッシュポテトでしょう」

 火星産のジャガイモを見せびらかし、そう言ったみらいであったが、動画を投稿した際に後悔することとなる。動画のコメント上で、大論争が繰り広げられることになったからだ。そして、その論争は宇宙の辺境で戦争を引き起こすこととなるのだが、今はまだ先の話である。

 水耕栽培されたジャガイモは普通のジャガイモである。マッシュポテトにしたって、普通の手順で作られる。たっぷりのお湯でゆで、粗熱をとったのちに牛乳や塩コショウを混ぜながらつぶす。最後に乾燥パセリを振りかけると完成である。今は亡き母から教わったレシピで、代々受け継がれている味だ。それだけに思い入れは大きい。

 感慨にふけっていたみらいであったが、今は撮影中である。そのことを思い出して、我に返った。

「それでは早速調理に入りましょう」

 ここで、みらいが動きを止めた。今度こそ、編集点だ。

 手早く準備をする。今回の目玉である機材は少しばかり大掛かりであったから、準備が必要なのだ。えっちらおっちらと、その機械を持ってくる。

 それから、3、2、1とカウントダウン。

「はい。今から調理をします。けど、その前に――」

 システムキッチンの上に置いていた機械を押すようにして、カメラの前までもっていく。

 それは、ミートグラインダーとミキサーが合体したものであった。ミートグラインダーは横たえられた金属の筒といった形をしており、そこに肉を投入することで、ひき肉ができるという仕組みである。そのひき肉は、下部のミキサーへと自動的に投入され、ミキシングされるというわけだ。もちろんしないという選択肢もあるし、二つに分解することもできるのだが、一番の特徴はそこではない。

 動力源がおかしいともっぱらの噂なのである。みらいもいまいち信用していなかったが、検証のために購入した。

「この機械で、ひき肉を作ろうと思います。名前はディジェ。なんでもディジェネラシーからとられてるらしいです」

 ディジェネラシーとは縮退のことである。縮退といえば、それを用いた縮退炉というのが有名である。ブラックホールエンジンのことを縮退炉と呼ぶこともある。その実態はよくわかってはいない。もっぱらフィクション内でしか使用されない。現実においては、ブラックホールの制御方法が確立されていないために、エネルギーを取り出すことができないとされる。そもそもブラックホールからエネルギーを得る装置があったとして、それを吸い込まれないようにするにはどうするか、という問題があるという声もあった。もちろん、吸い込まれないほどの大きさであれば何の問題もないが、通常ブラックホールというのは衛星ほどの大きさがあるものである。

 以上の問題から、縮退炉は理論的にあり得ても技術的には不可能だろうと結論付けられていた。

 しかし、このディジェは不可能を可能にした。本当かどうかはわからない。それを今から確かめるのだ。

 絶対に傷がつかないまな板に牛もも肉を置き、なんでも切れる包丁でブロックをざっくばらんに切っていく。ここで注意したいのは、牛もも肉をどう切るか――ではなく、まな板に包丁で傷をつけないようにしなければならない。そんなことをしてしまえば矛盾が生じて、世界が崩壊してしまうかも。

 賽の目状に切り分けると、改めてもも肉を眺める。サシの少ない赤身には脂身が少ない。それは中も同じ。切り分けた包丁にも油は少なかった。

「それじゃあ、例のディジェでミンチにしてみましょう。一体どうなるのやら」

 金属の筒にサイコロのようなもも肉を投入する。それから蓋をして、スイッチを入れるだけ。それだけで、ミンチはできるはずである。外部電源は必要ない。電力エネルギーは縮退炉から、過剰なまでに得ているはずなのだ。

 スイッチを入れる。緊張の瞬間。

 バン。

 そのような音がしたのは、スイッチが押されてすぐのこと。子羊の尻尾だって二回は揺れていないのではないか。それだけ短い間に、牛もも肉は加工され、射出された。バンという衝突音は、飛び散り防止のため、出口から少し離れた場所に用意されたデフレクター盤に牛ひき肉がぶつかった時の音であった。錆びないと噂の合金を見れば、少なくない量の油がこびりついていた。下を見れば、赤みの強いひき肉の姿が確かにある。あまりの速さで衝突したせいか、牛ひき肉はこねる必要がないほどにまとまっていた。これでひき肉といえるかは置いといて。

「き、機能には問題がないようです。ぶつかった際に、油がデフレクターへ押し出されて、これはこれでヘルシーになっているのかも?」

 レモンのような形になった牛ひき肉は、何度見てもミキサーにかける必要なないような気がしてならない。それどころか、空気もほとんど抜けていたので、このまま熱したバッキーボールの上で焼いてもいい感じになりそうであったが、それでは今回の目的の半分が失われてしまう。ディジェの能力を測るという目的で、もう半分は、FFSの楽しさを伝えるということである。

「お次はミキサーですけど、瞬きは厳禁です……!」

 それは自分への戒めでもある。目を見開いたみらいは、ミキサーの方のスイッチを入れた。

 やはり変化は一瞬にも満たなかった。

 目を開いて注視していても、何が起きたのか捉えることができない。超高速で、三つのツメを持ったアームが回転し、牛ひき肉をこねた。スイッチを押している間だけ回転するシステムであったから、目を見開いている間にも回転は続いている。スイッチを離したのは、みらいの体感において一瞬のこと。実時間においては二秒ほどが経過しており、その間に数千回は回転していた。

 アームが止まったとき、牛ひき肉はどうなっていたのか。

 先ほどまでのひと塊はどこへやら。赤いゲルのような液体が、ミキサーのボウルの中にはできていた。あまりにもこねられたために、液体になってしまったのである。フードプロセッサで攪拌しすぎてしまったときのような感じといえよう。

 それでも、フードプロセッサのときとは違って、一瞬しか動かしていない。それなのに、牛ひき肉は原形をとどめておらず、生命のスープになってしまっている。これにはみらいも、唖然とするほかなかった。

 同時に、焦る。液体状のものをハンバーグにすることはできないだろう。もう一度固める、という手はあったが冷凍するにしてもこのままの形になってしまう。ラグビーボールのようにするためには、ブラックホールの手でも借りた方がいいかもしれない。ブラックホールならディジェの中にある。これを分解すればもしや……?

 一瞬、みらいの瞳に狂気の光が点った。それは一瞬のことで、次の瞬間には正気に戻っている。そんなことをしたって、ブラックホールを制御しきれないのだから、肉スープごと吸い込まれていくのがオチだと気が付いた。

 ふう、と息をつく。録画でなかったら、ディジェを分解していたかもしれない。もしそうなれば、ブラックホールに吸い込まれていてもおかしくはない。みらいは身震いするのだった。

 しかし、どうしたものか。みらいの頭の中では、様々なレシピが浮かんでは消えていく。

「……とりあえずコンビーフでも作ってみますか」

 ぎこちない笑みとともに、みらいは言った。料理動画第一回目にして、タイトル詐欺であった。


 その後、コンビーフを缶詰からつくったわけなのだが、撮影中は別に動画として投稿するつもりはみじんもなかった。しかし、見返してみると案外面白い。それで、ギャラクシーネットワークに投稿してみたのである。

 そうしたら、多くの生物に見られ、一瞬にして1京回再生され、一秒後には無量大数を超えていたとされる。それだけの宇宙生物に視聴された動画だったが、FFSに興味を持った生物はほとんどいなかった。みんな面白がっていただけである。バカなことをやってるやつがいるぞ、と。

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