第十九話 二人の目指す道

ーー2011年 秋


 スナックでの修行を終えた涼は休みの日、朝からエミリーのもとで本格的な小説の指導を受けていた。九月の半ばに入り外はまだ真夏の暑さが残るものの、辺りには蝉の数が少しずつ減少している。


「ここの地の文章は少し変えた方がいいな。主人公の男の行動に疑問が残るし、それに対する恋人の気持ちが埋もれちまってる」

 

 涼の背から密着するようにしてエミリーが指導する。背後から漂うラベンダーのような仄かな香りと、背中には彼女の胸の柔らかい感触。相変わらず異性に対して免疫力のない涼は、必死に集中力を保とうと歯を食いしばっていた。


 それから一時間が経ち、二人は一休みすることにした。エミリーは机の上に乱雑に置かれている葉書や封筒を漁り始める。その中の一封を取り出し、封を開けて一枚の紙を涼に差し出した。


「ほらよ。来月の末に、全年齢が対象の小さいコンクールがあるってさ。募集内容は『原稿用紙八十枚までの短編小説』。お前が書いている小説もそんなもんだろう。丁度良いからお前も参加して、修行の成果を見せてみろ」


 それを聞いた涼は、以前に受けに終わったコンクールが脳裏に過ぎる。それ故の絶望感も忘れられていない。彼は突然小説を書くことが怖くなり、肩を落とした。その様子を見たエミリーは、彼の両頬を手で押さえ優しく言葉を掛ける。


「良いか、これはお前が自信を持って作品を書けるようにするための踏み台だ。確かに前回お前は大した評価はされなかった。一流の小説家を目指すお前にとっては不本意だっただろう」


 彼女の言葉の通り、前回のコンクールは涼には満足できる結果ではなかった。人によっては佳作も立派なものである。しかし、それはの才能に追いつくには到底足りない。


「例年このコンクールはプロは勿論、大したアマチュアも出てこない。……実はアタシも駆け出しだった頃、このコンクールで受賞したんだ。それからアタシはプロになった。お前にもここで結果を出して自信を付けてもらおうと思ってな。そんなに心配すんなよ。アタシが直々に指導してんだ。その辺のやつは全然相手にならねーよ」


 その言葉を聞いた涼は未だ前回のコンクールが頭から離れない。しかし彼女の言う通り自分に自信を付けるべく、その誘いに乗ることにした。


「……分かりました。先生がそう言うんでしたら、きっと大丈夫なんでしょうね。ここで大賞を取って、俺も絶対にプロになります!」


 それからというものの、涼はエミリー指導のもと、必死に小説を書く日々が続くのだった。


◇◇◇


ーー同刻


 一方、月末に日本最大のモデルの大会を控えている華。この大会は、世間から注目度の高い選ばれた者のみが参加可能の格式ある大会だ。モデル歴二年余りの若手がこの大会に出場すること自体が異例だった。しかし、当の彼女は自信に満ち溢れている。この大会でグランプリを獲れば、その先に世界が見えてくるからだ。


 この日はウォーキングのレッスンのため、目黒に構えるスタジオに来ていた。着替えが終わりレッスンが行われる部屋に向かう途中、給湯室からこそこそと話す女の声が聞こえた。


「ねえ聞いた? 白附さん、今度の大会に出場するんだって」


「私も聞いたよ。大した歴もない癖に、どうやって参加したんだろうね。主催者に枕営業でもしたんじゃないの?」


 そう言って二人の女がくすくすと笑う。彼女たちは華よりもモデル歴が長く、それ故に華の受ける高い評価が妬ましかったのだ。彼女たちに限らず、華はこういった陰口が耳に入ることが多かった。しかし華はそれらを全く相手にせず、自分の信じた道を歩んでいる。


「おはざーす」


 華は二人にわざとらしく砕けた挨拶をする。陰口を聞かれたのかと心配で二人は動揺している。そんな彼女たちには目もくれず、レッスン場に向かう。


(待っててね、涼君。もうすぐ日本のトップになって、その後は必ず世界一になるから。先に行って待っていたら、どんな顔をして追いかけて来るんだろう?)


 必死な形相で自分のもとへ追いすがる涼を想像し、華は周りに悟られないよう笑いを噛み殺した。

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