第十七話 成功への糸口

 体調が回復したエミリーのもとで小説を勉強することになり早二週間が経った。その間彼はエミリーの家の家事や世話をさせられ、まともに小説に触れられてはいなかった。


「先生! そろそろ俺にも小説を教えてくださいよ!」


 我慢の限界に達した涼がそう言った。彼が怒るのも無理はない。対するエミリーは、面倒臭そうにしつつもようやく重い腰を上げた。


「分かった、分かったよ。お前のお陰で随分執筆に集中できたしな。……出掛けるぞ。お前も付いてこい」


 身支度をして彼女の家を出ると、二人は近くの駅前にある比較的小さなスナックに足を運んだ。まだ昼間ということもあり涼は疑問に思ったが、取り敢えず彼女に従って中に入る。


「あら、エミリーちゃん。まだ準備中だけど、私に何か用事かしら?」


 そこには凡そ四十代前半の派手目な女性がいた。年齢の割にはまだ若々しさを残し、派手だがどこか上品さもある。エミリーは開店前にも関わらず、彼女のカウンターの前に座った。


「そんなつれないこと言わないでよママ。コイツ、前に言ってたアタシのとこの見習い。今日からコイツをここで働かせてやってくれないか?」


 彼はその言葉を聞き仰天した。人見知りな挙句、まだ未成年の自分を酒場で働かせることは間違っていると思えたからだ。


「そんなこと言っても、ここは高校生を働かせられる時間は長くないわよ? だって未成年は確か十時までしか働けないでしょう?」


 ママはそう言ってエミリーと涼に水を差し出す。


 それに対しエミリーは

「あー、大丈夫大丈夫。ここって確か二十時からやってるだろ? 二時間くらいあれば充分だよ。お前もそれで良いよな?」

と言い、涼に確認する。


 「いや、何で俺がここで働くことになってるんですか!? 俺はただ、先生に小説を教えて欲しいだけなんですよ!」


 そう反発すると、彼女は涼の胸ぐら掴み鋭く睨んだ。低く重い声で、彼を威圧するように言う。


「大した人生経験もなく、まともな小説が書けると思うな。……アタシがここで色々教えてお前が作品を作るとしよう。そうしたらその作品は良いものになるだろう。けどな、そうして成功したとしてもそれはお前の力じゃない。アタシとのに他ならない」


 黙ったまま彼女の話を聞く涼。悔しく思ったが彼女の言っていることの意味、そしてその懸念も理解できた。彼女は続ける。


「読み手はな、『前回は良かったから今回はもっと良い作品が読めるだろう』って勝手に期待してくるもんだ。最悪でも同等だな。それ以下は必ず読者が離れていく。そしてその分を取り戻すためには、また大変な苦労をしなくちゃいけないんだ」


 それはエミリーの実体験に基づく話だった。彼女もまたある小説家に師事していて、手取り足取り教わって書いた作品は確かに成功したが、彼女の力を遥かに超える評価をされた。それから作品を書いたものの少しずつ読者が離れ、一度はどん底に堕ちた。そこから這い上がれたのは、あることに気付き行動し始めたからである。


「……ここには色んな人が来る。仕事に疲れたやつ、酒が好きなやつ、悩みがあるやつ。男や女によって考え方は違う。だからそいつらを見て、そして接客しながら話をして学ぶんだ。『この人に何があって、どう考えているんだろう』ってな。そうすればお前の欠点である、登場人物の心情や描写がより鮮明になるだろうよ」


 彼女はそう言って差し出された水を一気に飲み干した。涼はその言葉に感動し、気付かされた。


(先生には見通されていたんだ。俺が人物の書き方が苦手なことを。それをこんな形で教えてくれるなんて、やっぱり先生は凄い人なんだ!)


「ふふっ、エミリーちゃんったら素直じゃないわね。前来た時は『アイツはアタシが立派な小説家にしてやるんだー!』って酔っ払いながら言っていたのに」


 ママはエミリーをそう揶揄った。それを言われた彼女は照れ臭くなり、たちまち頬が赤く染まる。


「と、とにかく今日からお前が満足するまでここで世話になってこい! ママ、コイツをよろしくな」


 逃げるように彼女は店を出て行った。その背中は妙に嬉しそうに見える。


 涼は一月余りスナックで働くこととなり人々を観察し続け、僅かだが成功への糸口を掴むのだった。

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