第十話 夏の日

ーー2011年 夏


 梅雨が過ぎ、日本は本格的な夏に突入していた。蝉が騒がしく鳴き、アスファルトの地面の上では熱された空気が漂っている。

 華と涼は今日も同好会として活動している。とは言っても涼が真剣に執筆している様子を華が眺めているだけだったが。


「ねえ、ここ説明不足じゃない? 主人公が何でこんな気持ちになったのかが分からないんだけど」

 

 彼女は時々彼の作品に口出しをしている。普段は大人しい涼だったが、一度集中するとのめり込んでしまい、妨げられると無性に腹が立ってしまうのだ。


「もう分かりましたから、ちょっと静かにしててくださいよ!」

 

 彼にそう怒られた華は臍を曲げ、黙って退屈そうに本を読み始めた。その彼女の様子を見た涼は少し怒ってしまったこと悔いたものの、素直に謝ることはできず時間が流れていった。

 

 しばらく沈黙が続いていると、


「涼、夏祭り行こうぜ!」


とサッカー部の練習着を着た親友の賢一が、教室のドアから顔を覗かせるや否や彼に言った。集中していた

涼も、夏祭りという皆が愛するイベントは好きだった。毎年近所の夏祭りには、必ず新調した浴衣を着て参加するほど大の祭り好きである。


「夏祭りなんて、まだ先だったはずだけど?」

 

 彼はそう聞き返した。確かに彼の言う通り、いつも行っている祭りは盆の最中である。しかし涼の問いに賢一は待ってましたと言わんばかりのしたり顔をして答えた。


「違う、近所の祭りじゃない。今日の夜に多摩の方の神社で小さな祭りがあるんだってさ。……あ、そうだ! 華先輩も一緒にどうですか」

 

 賢一がそう言うと、驚いたのは華ではなく涼の方だった。ただ華がモデルとして有名人であることを考えると、彼女との夏祭りを期待した涼も次第に諦めた。

 

 華は賢一の誘いをしばらくの間考え込んでいたが、


「……いいよ。しばらくお祭りなんて行けてなかったし、あなた達となら楽しそうでいいわ」


と答えた。断念していた涼の思惑とは違ったが、彼は心の内で大いに喜んだ。『作戦通りだ』と言いたそうに、賢一は涼にだけ見えるように笑顔で親指を上に立てる。しかし当の華の胸中にはある悩みがあった。


◇◇◇


 その日の午後七時。三人は学校から帰り支度をして、現地の側で待ち合わせることにした。予定していた時間から一時間も早くに着いてしまっている涼。時間丁度になると、華と賢一が二人で現れた。


「お、さすがに早いな涼。華先輩とは来る途中に会ったんだ」

 

 賢一が涼に話しかけるが、涼の耳には彼の話がほとんど入ってこなかった。華の浴衣姿に見惚れていたからである。白をベースに薄紫の花火柄が描かれたデザイン。結った髪に挿した花のかんざし。その姿は決して派手ではないが、着ている者の素材がいいためか、一際輝きを魅せている。その証拠に彼女とすれ違う者の全てが、彼女に目を奪われ振り返る。自分のものなどではないが、一緒にいられるというだけでも涼は鼻が高かった。


「じゃあ屋台でも見て回ってみましょうか」

 

 華もまた照れくさそうにしている。モデルの時も同じように大勢に注目されていたが、集中状態にない今はただ気恥ずかしく感じていた。

 そうして神社の人混みに入ろうとすると、突然賢一が携帯電話を見て慌て出した。


「げっ! ……すみません華先輩。サッカー部の先輩達に呼び出されちゃって、行かないといけなくなりました。なのでこの後は涼と二人で回ってください!」

 

 彼は華に見えないよう小さく涼に再び親指を立てて走り去って行った。無論、ただの演技だった。二人を進展させるように、始めから賢一が画策したものである。


「サッカー部も大変ね。……じゃあ二人で行こっか」

 

 そこから二人は様々な屋台を巡った。たこ焼きや綿飴を食べ、射的に金魚掬いもやった。だが楽しい時間は颯爽と過ぎていく。

 

 そうこうしている内にあっという間に二時間が立った。休憩がてらに屋台の列の裏に備え付けられた長椅子に二人は腰を下ろす。楽しそうにしてはいたが、何処か辛そうな彼女の表情に涼は気付いていた。判断に迷ったものの、意を決し彼女に尋ねる。


「先輩、何かあったんですか? 俺で良かったら話を聞きますよ」

 

 自分の心を見透かされたようで少し驚愕する華。彼女は少しの間考え込み、そしてゆっくりと口を開いた。


「……涼君、あなたに会って欲しい人がいるの。今度の日曜日、予定は空いてる?」

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