第九話 作品は君

ーー2011年 夏


 あっという間に春が過ぎ、日本は梅雨入りしていた。涼は小説家を目指すと決意したはいいものの、題材を決めることに苦労し本格的な活動には至っていない。思いつくとプロットを固め書いてみるが、途中で違和感を感じまた次の題材を考えるという悪循環に陥っていた。

 この日は同好会の教室に執筆用のノートを持って来て考えてはいたが、どれも自分の納得したものは浮かばなかった。

「ねえ、そんなに悩んでどうしたの?」

 彼の背後から華が顔を覗かせる。彼のノートを見て気がついた。

「小説を考えているのね! 偉い!」

 華はそう言って涼の背中を愉快な様子で叩いた。彼女の陽気さは自分にはなく、それが彼が彼女に憧れた理由の一つでもある。心が軽くなったように感じたが、彼の悩みが解決された訳ではない。何かいい案が浮かぶかも知れないと思った涼は華に打ち明けることにした。

「先輩、何回も話を書いてみたんですが思ったように話が作れないんです。何かアイデアはないですか?」

 そう聞いて華は考え込んだ。そしてあることを思いつき、彼に提案する。

「そうねえ……私を書いてみるとか?」

 戯けた笑顔でそう言う華。涼は動揺しみるみるうちに顔が赤くなった。彼女のことが真剣だった故に、一度頭で考えてしまい面映おもはゆくなった。

「か、揶揄わないでくださいよ! こっちは真剣に相談しているんですから!」

 恥ずかしさから普段と違い彼は強く言葉を発する。それを見た華は冗談を装い彼にこう告げた。

「いつか書きたくなったら教えてね」


ーー2022年 冬


 華と再会し再び小説への熱意を取り戻した涼だったが、数日間肝心の題材が決まらずに頭を悩ませていた。しかし以前と同じ状況があったことから彼女の言葉を思い出し、あることを思いついた。

(そうか! 今こそ華を題材にして書けばいいんだ!)

 そう考えた彼は、書き始めたばかりの原稿用紙を丸めてごみ箱へ捨てた。いくつもの原稿用紙の塊で小さなごみ箱は溢れかえっている。それを側で洗濯物を畳んでいた圭子は黙ってごみを整理する。しかしその時、横目で机の上に置かれた雑誌やメモを見た彼女は食いつき尋ねた。

「これって白附華? すごーい! 私、彼女の大ファンなの!」

 それはしばらく付き合ってきた涼でも初耳である。以前の彼女との関係告げようか迷うが、圭子のためにと黙っておくことにした。それと同時に彼に再び迷いが生じた。このまま華のことを作品にしていいのだろうかと。

 結局この日は悩みが解消されることはなく、机の前に座っているだけで時間が過ぎていった。


 翌日になり、涼は華に電話で小説の件を尋ねることにした。圭子に聞かれないよう、わざわざ近所の公園まで出ている。辺りには遊具で遊ぶ子供たちがおり、微笑ましい光景が広がっている。そんな中決意を胸にする涼だけは険しい表情でいる。

 しばらくすると、彼女が電話に出た。

「もしもし。まだ何か言い忘れていたことでもーー」

「君のことを書くから! 君のことを書いた作品を一番にしてみせる!」

 彼女の言葉を遮り彼は言い放った。そして彼女の返答を待つことなく電話を切る。大きな声を出したこともあり、周りの子供たちには驚異の目を向けられていたが、彼の心は晴れやかだった。


 映画撮影の場所の一つになっているビルのオフィス。休憩中の華は電話を片手に微かに笑っていた。突然の電話をしてきたと思えば、一方的に用件だけを言い電話を切った涼。自分主導でありたい華にとっては本来気に入らないことなはずであったが、彼女は彼を見直した。腐った目をしていた彼が元に戻る様子も、高校生の時にした他愛もない会話を覚えていたことも悦ばしかった。

「華、そろそろ休憩終わりだよ」

「はいはーい」

 マネージャーにそう教えられると、彼女は即座に現場に戻っていく。足取りは軽く、跳ねるように向かっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る