第二話 本物の小説家

 華に手を握られた涼は暫く固まっていた。女性経験は疎おろか、女性の友達すら一人もいない涼。そうなるのも無理はなかった。賢一もまた、華に見惚れている。

「俺、内田賢一です! お願いします! それでこいつは赤城涼です」

「ど、どうも」

 華の手を無理矢理握り、名乗る賢一と会釈をするだけの涼。賢一は美人には目がなかった。涼とは対称に女性経験の多い彼だったが、今まで会ったどんな女性よりも彼女は妙に輝いて見えた。

「ふふ、よろしく。それで、あなた達は入会希望ってことで良いのかな?」 

 華はそう尋ねるや否や、入会申請の書類を二人に渡す。涼には彼女の話すテンポが妙に思えた。

「すみません。俺、実はサッカー部に入ることになってまして。今日ここに来たのは、こいつの付き添いってだけなんです」

 入会する人数が減り残念かと思いきや、彼女は微かに笑ったかのように見えた。涼には彼女には外見だけでなく、他にも彼女には何か魅力がある気がしていた。

 その後賢一は華との別れを惜しみつつもサッカー部の方へ向かい、部屋は二人きりの状態になっている。気まずい状況に耐えられない涼は、近くにあった椅子に座り、鞄から一冊の本を取り出しては静かに読書を始めた。

 それを見た華は、涼に興味をそそられている。彼女は涼の座る前にある長机に座ると、長い脚を組んで頬杖を着いて言った。

「それ、【桜花の頃】でしょ? 金井真しんの」

 金井真とは、二年前に十八歳でデビューした新進気鋭の小説家のペンネームである。二年間で出した本の数は十冊。驚くべきことは、その全作が日本のメジャーな賞に入選していることだ。巷で二十年に一人の天才と噂されるほどの才能の持ち主である。

「……ええ、そうですけど。先輩はこういう本って読まれるんですか?」

 小説同好会なら当たり前だと思うだろうが、涼には華が読書家には思えなかった。彼の予想通り、華は読書に興味はない。

「やっぱり分かる?」

 戯おどけて笑う彼女。彼女は続けて言った。

「でもこの本を読んだことはあるよ。……いや、彼の作品は全部かな。私はね、天才って呼ばれる人達がどういう考え方や感じ方をしているのかを知りたい。彼らはその才能で何をしたいんだろうって」

 涼にはその言葉の意味が分からなかった。

(先輩は何を言っているんだろう。確かに天才ってどういう考え方なのかとか、気にはなるけど)

「君……いや涼君。君が何を言いたいのかは分かるよ。『何でそんなことが気になるのか』ってね」

涼の考えを見抜いた彼女は、彼に顔を近付け言った。彼は突然美しい顔を近付けられ、より緊張している。

「私も同類だから……かな」

 彼女はより意図の不明な言葉を発した。困惑する彼の姿を見て、彼女はあることを思い付いた。そしてポケットから一枚のチケットを取り出し、彼に差し出す。

「……ねえ、今度のショー観に来てよ。いいもの見せてあげるから」

 彼女がそう言うと、丁度十七時を知らせる鐘の音が鳴った。意図が分からないこと、そして彼女の美しさに茫然としていた。


 家に帰ると真っ直ぐ自室に向かい、机にノートを広げ小説の続きを書き出す涼。彼はやる気に満ち溢れていた。その理由は華である。彼は華に一目惚れしていた。元々小説家を漠然と目指していたが、その恋心故に本腰を上げる決意をした。

(有名な小説家になって、先輩に認めて貰おう! 金持ちにもなれるし、きっと先輩も僕を好きなってくれるに違いない!)

 彼の鉛筆はいつになく走っていた。生まれて初めてになる本気の恋。彼は夜通し小説を書き続けたのであった。


ーー2022年 秋


 生い茂る葉が紅葉へと変わる頃、涼は表参道にある東泉堂という名の出版社に来ていた。ここは以前より涼が出版や雑誌の小説を連載している会社である。彼は小説家デビューから当社で専属契約をしているが、あまり芽が出ず、このままでは次回の契約も危ういと噂されていた。

 涼が担当の編集者と打ち合わせのため編集部へと足を運ぶと、そこには担当だけでなく他の編集者からも称賛の声を掛けられている一人の男がいた。その男は称賛されているにも関わらずどこか物足りない、退屈だと言いたげな表情をしている。

 涼はその男を以前より知っていた。金井真である。

「こんにちは。金井先生」

 控えめな声を金井に掛けると、金井は先程までの表情とは打って変わり、期待と歓喜の表情を浮かべ涼のもとへと駆け寄った。

「赤城先生じゃないですか! お久しぶりですね」

 彼らは十年前、初めて顔を合わせた。涼はそれ以前に雑誌に載る金井を見て顔は知っていたが。それからあまり機会は無いものの、金井は涼に会う度に明るく声を掛けている。変わり者と言われていたが、金井は同じ小説家でも涼には一際興味を抱き、優しく接している。

 しかし、金井は涼の目を観察するように見ていると、突然落胆した。

「赤城先生、もう僕を越えようとは思っていないのですか?」

 その言葉を聞き、涼は核心を突かれた気がして驚きで体を少しだけ震るわせた。恐ろしい観察眼と直感。だが涼が驚愕したのは彼自身の心境の変化に違いなかった。

「期待していて待っていたのに……残念です」

 彼は気付いてしまった。野心も志も失っていたいつの間にかの自分に。かつては夢も希望もあったのだが、今の自分を見つめて愕然とした。昔の自分はどうだったか思い出そうとすると、ある出来事が脳裏に過ぎる。

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