第一話 天才と凡才

ーー2022年 夏

 

都内の西の小さなアパートの二階。太陽が丁度真上に登る頃、蝉の声と熱気に当てられ赤城涼はその一室で目を覚ました。彼は二十七歳、作品でギリギリ食べていけている程度のしがない小説家だった。

酷い頭痛がしている。昨晩、というより明朝に酒を大量に飲んでいた為に他ならない。大量の本や紙が散らばっている。彼が酔った拍子に散らかしたのである。まだ眠気の残る重い瞼を擦り、体を起こした。

「……夢じゃ無いんだよな?」

 涼はまだ昨夜の出来事から立ち直れていなかった。というのも、彼が約二年続けていた小説の連載が終わってしまったから。

 その連載は唯一自身を誇れる仕事で、彼の収入の大部分だった。読者もそこそこ、雑誌の知名度も低くは無かった。そのため、彼は酒による酔いで現実逃避していた。テレビを観ても、遅めの朝食を食べていても内容が頭に入らず、味もしなかった。

 食事を済ませ食器を洗っていると、玄関で鍵を開ける音がした。

「あー、また散らかしたの? 折角昨日掃除しておいたのに」

 心配した様子で部屋に上がって来たのは、二つ年下の彼女である袴田圭子。涼は圭子と三年前から付き合っている。

 きっかけは彼女が働いているカフェで、涼は毎日通い続け小説を書いていた。圭子は本が好きで、昔からよく読んでいた。毎日朝早くから店に来ては小説を書き続ける彼を見て、興味を持つのも不思議ではない。圭子から声を掛け、それから顔を合わせ本の話になれば、自然と互いに惹かれ合った。

「……ごめん。昨日連載してた小説が打ち切りになるって言われてさ」

 圭子にはその背中がとても寂しく思えた。落ち込み項垂れた涼の肩を、圭子は優しく支える。

「えっ、そうなの? ……大丈夫だよ! またきっと良い作品描いて、出版社にあっと言わせれば良いじゃない?」

 あまりの悔しさと自分自身の不甲斐なさに、涼はしばらく小さく震えていた。


ーー同日同刻 フランス(パリ)


「あっはっはっはー! また連載終わるんだ涼君!」

 五十階建て高層マンションの最上階。ようやく日が登り始めた頃。一糸纏わぬ姿で窓ガラスからパリの街並みを見下ろして、若い女性が涼のことを大口を開けて笑っていた。

 彼女の名は白附しらつき華。日本でデビュー後、たった三年でトップモデルに上り詰め、現在は世界中で活躍している。身長一八○センチの長身だけでなく、人形の様な整った顔。艶やかな栗色の髪。そして誰をも魅了する美しく不思議な瞳をしている。彼女は既に世界一のモデルだという評価をしている者も多い。

「華様、そろそろお時間です」

 彼女専属の女性マネージャーに声を掛けられた。華はマネージャーから本や雑誌などを貰い、涼の活動を見ていた。

 彼女は着替えた後、再び街並みを見て嘲笑った。

(だから言ったじゃん。どんなに足掻いても無理だってさ)


ーー2011年 春


 涼は新宿区にある私立成星高校に入学し、晴れて高校生になった。そこへ入学したのは、目指していた公立の進学校の受験に失敗したからに他ならない。都合良く、中学からの親友の内田賢一が同じこうこうに進学していたのが唯一の救いである。賢一は誰とでも仲良くなれる明るい性格で、他人と関わることに消極的な涼とは正反対だった。

 入学してから三日が経った頃、放課後に賢一が尋ねた。

「なあ涼、お前部活はどうする?」

 賢一は得意な運動部のいずれかに入る予定だったが、涼は違う。成星高校は部活動に一つは入らなければいけないという校則がある。涼は部活紹介の貼り紙を見た時から決めていた部活があった。だがそれは正しくは部活ではない。

「……小説同好会に入ってみようと思う」

「小説同好会? 何だそれ。文芸部と何が違うんだ?」

 賢一は疑問に思った。文芸部は小説も含め、短歌や俳句も作る。この高校にもそれは存在していたが、わざわざ小説に絞った同好会を作る必要があったのだろうか。ただ、涼が小説同好会を選んだ理由はもっと単純なことだった。

「同好会なら部と違ってサボりやすそうだなって。俺は部活やる時間を、家に帰って小説書きたいから。正直、同好会としての活動には期待してないよ」

 そう言って涼は賢一を連れ、小説同好会の活動場所である美術準備室へ向かった。賢一を連れて来たのは単に心細いから。

「失礼します」

 美術準備室の戸を開けると、そこには一人の女子生徒がいた。美しい顔立ちで物寂しげに窓に外を見つめていた。しんとした淋しさを感じる。すると、涼達の姿に気付いた彼女は表情が一変し、待ち侘びたと言わんばかりの笑みを浮かべ二人の元へやって来た。恥ずかし気もなく涼の手を握り、彼女は言う。

「私は二年生の白附華。よろしくね!」

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