9/8 食事
9月8日。食事に呼ばれる。
昨日の晩、国語科の主任から食事の誘いがあった。バイトの頃から一緒の授業に入ることの多かった人で、この間誘いのあった社員さんと同じくらいお世話になった人だった。
どんな裏があるわけでもなく、単に私の身の上を心配してのことだった。この間の社員さんに様子を見るように頼まれたのかもしれない。
お昼ご飯にサラダ付きのパスタをごちそうしてもらい、餞別として本まで買ってもらった。「この間は消え入りそうな感じだったけど、少し元気になったようでよかった」この間の社長との面談を思い出したのか、そう主任は言った。
人と過ごす時間はひとりで過ごすよりも気がまぎれたが、帰ってくるとどっと疲れがこみあげた。やることもないので、そのまま今日買ってもらった本を読んだ。オースティンの「高慢と偏見」。現代社会の話やきらきらした話は今は堪える、という話をしたら、勧めてもらった本だ。辻村さんの「傲慢と善良」の元ネタになった本。主任も私が辻村さんを好きなことは知っていたから、それも推薦を後押ししたのだろう。
違う時代の、違う土地の物語は、今の私には心安かった。口下手で不器用で、それゆえ高慢で鼻につく奴と勘違いされるダーシーが、不憫ながらかわいい。
本を読むことで多少暇は潰せたけれど、やっぱり、途中で疲れる。
かじりつくように読む、というフェーズには、まだなれないらしい。そうなれればまだ楽なのだけれど。
この頃、日に一度でもまともな食事をしたら、その日一日はそれでいいような気がしてしまう。たとえたまごかけごはんでも、食事らしい食事を用意するのが億劫だった。まだパックのごはんもおかずもあるのに、それを出して食べることすらままならなかった。
「ちゃんとご飯食べれてる?」だとか、「食事はすべての基本だから、ご飯だけはきちんと食べなさい」だとか、以前から、色んな人に心配されたり言い聞かされたりしていた。今日の食事の誘いもその類だ。
前はいくら鬱々としていても、ごはんだけはなんとか食べていた。けれど、ここ何日か、お腹がすくにはすくのだけれど、面倒だという気持ちが勝つようになった。最近は友達が残していったお菓子で食いつないでいる。お菓子は温めたり器を用意したりしなくていいから楽だ。一度この楽さを知ってしまうと、なかなか戻れなかった。
以前は「私なんかがものを食べてはいけない」という強迫感や自責で食事ができなかった。今はその時とも違って、ただただ、面倒くさい。
昼に贅沢をさせてもらったので、夜はお菓子とインスタントのスープでいいや。薬、飲まなきゃだめかなあ。だめだよなあ……。そんな気持ちで、カップスープを飲みつつこれを書いている。
鬱々とした気持ちは今日は少なめ(当社比)だけれど、生存に対してどんどん怠惰になっていく。
生きているのは面倒くさい。食事も、家事も、お風呂も……。
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