9/3 不安という毒

 9月3日。久しぶりの晴れ間。


 今日も私は何もできない。


 夜がつらいから、10時をすぎるといつも睡眠薬を飲んでしまう。それでも、朝は9時まで眠っていた。眠っている間は、悪い夢でも見ない限りは、何も考えずにいられるから楽だった。


 午前10時すぎ。おなかがすいて、でも朝ごはんに食べれるようなものはなくて、近所のスーパーに行った。自分のための食料を久しぶりに買った。ぶどうくるみパン。108円。安い買い物とはいえ、罪悪感に蝕まれた。でも、自分で選んだものはおいしかった。


 それから少しだけ、気になっていた漫画の新刊を読んだ。今はどんなものを読んでも、働いていたりがんばっていたりする人がいるだけで心にダメージを受ける。しんどくならないかと心配だったが、どうにか読めた。だけど、内容が頭に入って来る感じがしなくて、いつもより感情の昂ぶりも少なかった気がする。

 インプットの回路が死んでいる。感受性が悪い方にばかり鋭敏になって、わくわくしたり、面白いと思ったりする部分のアンテナが折れている。アウトプットもままならないのにインプットすらできないことが、絶望感と不安に変わる。


 昼ご飯は卵かけごはん。昼ご飯を食べた後は、動画を流しながら3時過ぎまで眠っていた。眠るといっても、意識が落ちたのは一瞬だけだった。その一瞬で、データの規格が間違っているという、とてつもない悪夢を見た。飛び起きてあわてて確認したら、データは間違っていなかった。よかった。致命的なミスはどうやら防がれたらしい。


 不安は毒のように私を蝕む。大小の不安がかわるがわる押し寄せる。母のもとへ引っ込むための引っ越しも、いつまでに何をどうすればいいかわからないことが、死んでしまいたくなるほどの不安に変わる。

 母に泣きついて、相談して、業者の手配を任せることにした。今の自分ではとてもできないと思った。

 こういう時に甘えられる存在がいるということが、ありがたい反面、すごく申し訳なくなることがある。

 毒親育ちのヒーローみたいに扱われていた自分が、他ならない「親」に甘えている。何もできない状態になって、寄りかかろうとしている。そのことにすごく罪悪感がある。

 私は先導者にならなければならないような気がしていたから。

 望まれるように、誰かを引っ張れる力強い存在でありたかったから。

 今の自分の弱さが情けない。それ以上に、「親」を頼れない人たちの前で、「親」に頼るということが、失望につながる気がして、すごく怖い。


 あの場所でヒーローを演じることが、いつしか自分の義務みたいになっていた。誰かを救うことでしか自分の存在を認められない気がしていた。だから「弁護士になりたい」なんて大口をたたいたのだろう。だけどあれは、躁状態の自分が言っていた戯言だとしかもう思えなかった。今の自分は、弁護士を目指すどころか、自分ひとりの生活さえままならないでいる。毎日のように何もできないと嘆いている自分が、その遠いゴールにたどり着けるとは到底思えなかった。

 日に日に、自分の理想と現実が乖離していく。そのことがすごく苦しい。


 何もできない自分に何の価値があるのだろう、と思う。

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