9/2 wordを開いては閉じる

 9月2日。今日もひとり。

 何かを書きたい、と思う。


 何かを書いている間は生きている実感があった。何かを書いている間だけは生きていてもいいと思えた。私の根幹は書くことにあって、それ以外にはなかった。パソコンに言葉を打ち込むことが、私にとって生きることそのものだった。


 何かが書きたい、と思う。焦る。焦るほどに、言葉が浮かばない。アイデアの痕跡をなぞっても、膨らませるための想像ができない。記事も、小説も。新しく書けるものは私には何も残っていなくて、いまは過去の焼き直ししかできることがない。


 だから、ずっと放っておいたエッセイをどうにか料理しようとした。カクヨムでかつて一番の稼ぎ頭だった、「十九歳で家から逃げました」というエッセイだ。書いたのはもう四年も前の話になる。

 主人公に私と違う名前をつけて、小説調に書き直してみようとした。そうすれば何か前に進めるんじゃないかという気がした。端的に言えば、私の作家としての第一歩につながるんじゃないか、という欲もあった。

 けれどこれも、途中で座礁した。書いているうちに、いまの自分が何も生み出せていないという虚しさだけが募った。リライトしようにも、そもそも小説の形にならない。昔の記憶は情景としてつぶさに思い出せるほど鮮明ではなくて、どうしても事実を淡々と並べるだけになってしまう。私の好きな「小説」にはならない。

 人生を切り取る、というのも難しい。まず問題なのは、どこに山場を置いて、どうやって終わらせるか、だ。めでたく大学を卒業した「主人公」は確かにハッピーエンドかもしれないけれど、その後に出来上がった人間が結局このありさまである。その部分を踏まえて書くなら、小説の最後を飾るのは絶対に「今」じゃない。もう少し落ち着いてから考えなければならない。

 端折っていた部分をどうするかも問題だ。人生は小説よりもかなり複雑で、色んな要素が絡み合っている。何をどれだけ書くか。何を切り捨てるか。判断することが難しくて、結局過去の文をなぞるだけになってしまう。

 過去の私の栄光にすがって、過去の文を反復する。売れるものがないから、人生を切り売りする。

 売り込んだとして、その先は? 筆力が足りなくて落選したら? 自分の人生そのものさえ拒絶されたら、私は立ち直れるだろうか?

 今は色んな事が怖い。賞に出すこともそう。何度も出しては落ちている。自分の実力を直視するのが怖い。

 過去が怖い。未来が怖い。今が怖い。生きるのが怖い。死ぬのも怖い。

 すべてが恐ろしくて、気づいたら一歩も踏み出せなくなっている。


 私はそのまま書きかけのwordを閉じてしまった。

 新しい小説を書こう、と思った。何かを生み出しただけ、生きていていいんだと思えるから。

 けれど、やっぱり、頭には何も浮かばない。短編にできそうな断片も、過去に書いたまま投げっぱなしになっているものの続きも。

 wordを開いては、閉じて、また開いて、結局何も書かずに閉じて。過去の私の書いたものを読み返したりして、いまよりも達者な文が書けていることに嫌になって、膨らまそうとしてもままならなくて、結局閉じて。新しいファイルを開いて、また、閉じて。

 そうこうしている間に、夕方になっていた。

 今日も私は生きられない。

 生きることも、死ぬこともできずに、ただ、息をしている。

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