7/6 鈍痛

 7月6日。晴れ。雲の流れが速い。風は少し涼しいだろうか。


 11時まで寝て、6時からまた2時間ほど眠った。


 眠りと眠りの間、起きてから1~2時間は、ひとりで本を読んでいた。監獄の中にいる気分だった。ただ、目の前の時間をやり過ごすだけ。生きる、ということが、自分の存在が、重たい。明確な痛みはないけれど、身体中がぼんやりと重い。

 精神科のセカンドオピニオンまであと6日。病名はまだつかない、シュレディンガーの鬱。この状態であと何日も待たなければいけないことが、不安で、しんどい。

 自傷は加速する。手首に一筋の傷ができる。ずばっと切ることはやはり無理で、だけど少しずつ、削るように刃を立てた。血がかすかに滲む程度の浅い傷。こんなもの、すぐに治ってしまうだろう。そのことがどこか憎々しい。


 ひとりで鬱屈に耐えているのはひたすらに気が沈んだ。本を数ページ読んで、閉じる。集中力が続かない。小難しい本を読めば、何も考えなくていい気がして手に取ったSFだけど、本を読むことは同時に思考するのと同義だと気づく。だからだろうか。没頭ができない。


 本を読むのは好きだった。好きだったはずだ。寝食を忘れて読んだ本だっていっぱいあった。少しでも隙間の時間があれば、貪るように読んでいた本も。だけど最近は、楽しい、と感じることがすくない。読み終えれば達成感がある。ただそれだけ。半ば、というかほとんど、義務感だけで読んでいる。

 未来について考えることが苦痛になった今では、何のための義務感なのかと思って、虚しくなる。作家にならなければいけない、と思っていた。ほとんど強迫的に。だから本を読んでいた。その意味を失うと、私には本を読むモチベーションがない。

 未来について考えるのは、怖い。未来というのはつまり、生きることを自明の選択とした自分について考えることだから。数日後も、数時間後も、私にはひどく遠い。今がつらい。つらい今がずっと持続し続けることが恐ろしい。生きることを選んだ自分の遠い姿、あるべき姿を考えるのは、自分の義務の放棄というか、裏切りというか、そんな罪悪感がある。自分は生きるべきではない、という思考が、脳裏にべったりと塗りたくられている。


 ひとりでじっと時間の経過に耐えるのは気が滅入って仕方なかったので、フォロワーさんと通話をして過ごした。心配をかけている。「大丈夫ですか?」「大丈夫じゃないですよね」「今の状態、はっきり言ってやばい」人から言われると、ああやばいのか、と思うけれど、そこから先に思考が働かない。

 フォロワーさんに見守られ(?)ながら、昼はどうにか冷凍ピザを半分食べた。自責感は昨日ほどではなかった。

 何が自分をこんなに苛んでいるのか、うまく説明がつかないのが、苦しい。


 いつから私はこんな風だったんだろう、と考える。

 前の精神科に初めてかかった時は、せいぜい1~2カ月前からだと答えた。けれど、それは正しい答えではなかったような気がする。ひどい落ち込みに陥ることはそれまでもしばしばあった。常に、というわけではなくて、特にひどい時期と、そうでもない時期とを繰り返していた。それを勘定に入れていなかった。

 一番落ち込みが激しかった時期は、今を除くと、たぶん家を出た直後。けれど、その前から、漠然とした「生きづらさ」「息苦しさ」「死にたさ」みたいなものは、ずっと抱えていた。中学生くらいの頃から、休みの日の午前中が眠りでつぶれることはざらだったし、家にいたくない気持ちのなかで、ずっと「どこかに逃げ出してしまいたい」「このまま目が覚めなければいいのに」と思っていた気がする。「このまま途中で電車を降りて、荷物を抱えたまま川に入ってしまおうか」と思ったことも記憶にある。楽な自殺の方法を調べたことは、この間が初めてではなかった。最初は確か中学生か高校生の頃。高校生の時には、遺書めいた私小説を書こうとした時期もあった。

 生きづらさも息苦しさも死にたさも、自分の中で恒常化していて、それが当たり前だった。だからたぶん、それを「気分が落ち込んでいる状態」だと判断できていなかった。「いつ頃から落ち込みがありますか?」と訊かれたら、本当は、気づいたらずっとそうだったと答えるべきだったのだろう。これに気付いたのはつい今日か昨日。私は馬鹿だった。下手くそだった。最初にきちんとこう答えられていれば、今ほど宙ぶらりんにならずに済んだのかもしれない。

 最初の診察で、「ストレス性の抑うつ状態」と診断された。それから8カ月がたっている。明確なストレッサーらしきものはないのに、私は何かにひたすら苛まれている。

 病名がつかないのが苦しかった。自分は必死に痛みを訴えたつもりなのに、「あなたはまだたいしたことないです」「もっとひどい人もいますよ」と自分の甘えをつきつけられたような気がしていた。だけどそれも、思えば自業自得だった。私がうまく答えられていれば、きっとこうはならなかった。


 自分を責めるための言葉はいくらでも浮かんでくる。

 それ以外のことは、うまく思考がまとまらないくせに。

 

 病名がついたら、少しは楽になれるのだろうか。

 この正体不明の息苦しさを、きちんと認められた気がするのだろうか。

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