樹海と黒猫と。

 その一声で感化されたように、カノジョは振り返った。

 少しだけ見開かれた瞳がこちらを見つめる。

 ボクとカノジョで無言のにらみ合いっ子が続いたが――、


「おい! 君達、そんなところで何をやってるんだ!!」


 どこからともなくしてきた警官の声によって遮られた。

 見ると、道の奥からライトを持った警察官らしき人がやってくるところだった。 


「……ワタシと一緒に死んでも、何の得もしないよ?」 


 カノジョは欄干の上からボクの前に舞い降りてきた。

 制服のスカートを翻しながら着地すると、くるりと振り返って手を差し伸べる。


 視界に映る、白くて傷だらけな手。

 カノジョはどこか申し訳無さそうな笑みを浮かべていた。

 ボクはギュッとその手を掴む。

 警官を振り切るように、二人で駆け出した。


 結局その日、死ぬことはできなかった。

 帰宅してから帰り道に交換したラインで、ボクとカノジョは死ぬ場所や方法を相談し合った。どうせなら綺麗な場所で死にたいね、と、


『人里離れたところ――例えば、樹海とかはどうかな。電車に乗って行けば、すぐに行ける距離にあるし。そこで首でも吊れば――…』


 最終的にカノジョの提案で、死に場所は樹海に決まった。



 翌週の休日、準備を整えたボクたちは一緒に駅へ向かった。

 電車の席に座って揺られている間、ボクは無言のまま窓の外を眺め続けていた。

 首を吊る用のロープも持った。いざとなった時、飲む用の農薬も持ってきた。

 後悔することなんてない。

 隣ではカノジョもまた、窓の外をぼんやりと見つめていた。


「ねえ、川上くんには何か理由があるの?」

「……えっ」


 突然話しかけられ、思わず間の抜けた声が出た。

 間をおいてから、 ボクは小さくうなずく。本音を語った。

 語り終えるとカノジョは、「そうなんだね」と呟いて再び黙り込んでしまった。


 

 最寄り駅に着いた後、バスに乗り継いで樹海の入口までやってきた。

 樹海の入口では警備員が入山する人達の中に自殺願望者がいないかどうか遠目からチェックしているようだった。こんなときのために登山服を着ていたので、幸いにも怪しまれるようなことはなかった。

 一見なんの変哲もない、ただの登山客に見えたらしい。


 樹海のなかは鬱蒼とした木々に覆われていて薄暗かった。 

 木々の隙間から時折漏れてくる日差しだけが唯一の光源だ。木漏れ日というものらしい。カノジョはボクにそう教えてくれた。

 地面からは小さなキノコが何個か生えていた。それらはどれも毒々しい色をしていたけれど、不思議と恐怖心は湧かなかった。


 樹海の中を二人で並んで歩いた。

 ボクが先頭に立って歩き、その後ろにカノジョが続くという隊列だ。

 道中には自殺を抑制するための看板がいくつもあった。


「……行こっか」

「うん」


 警告を無視して道を外れてわざと道なき道に入っていった。

 落ち葉を踏みしめると足元がガサゴソいう。

 ときどき足裏に返ってくる木の根の感触が硬い。


 辺りに生えている木はどれも細いものばかり。

 どれも、ボクたちの体重に耐えられないものばかりだ。

 なかなか良い木が見当たらない。この辺りの木じゃダメなのかもしれない。

 もう少し奥まで進んでいってみることにした。


 しばらく進むと視界が大きく開けた場所に出た。

 森の最深部のようだ。森の中でぽっかり空いた空間で、中心に一本の大樹がそびえ立っている。樹齢何百年とあるだろう立派な木だった。

 スポットライトのように木漏れ日が降り注ぐ大樹の元に、ボクたちは足を進めた。


「ねぇ、川上くん。あれ……」 


 カノジョが指差す先に目をやる。

 大樹の下に到着したボクたちを迎えたのは、古ぼけた車だった。

 車の外装には無数の傷があり、ところどころ塗装が剥げている。落ち葉をかぶった車体からは、長い間手入れされていないことがうかがい知れた。


「ワタシ達が来るより昔に誰かここに来たのかな」

「うん。そうなのかもね」


 車のドアはだらしなく開いたままになっている。

 車内を覗いてみても当然、誰もいなかった。車内は土やら枯れ草で塗れている。

 何年も前に乗り捨てられたのだろう。

 辺りに車を走らせた跡は残っていない。 


 ここで命を絶った人の忘れ物だろうか。

 そんなことを思いながら、視界を上げると……朽ちた車体の上から黒猫がボクのことを見下ろしていた。縦長に割れた瞳孔が静かにこちらを見つめている。


「――やあ、若人よ。俺の愛車に何か用かい?」


 突然聞こえてきた声に驚く。しゃがれた男の声。それは間違いなく、目の前にいる彼から発せられた言葉だった。


「ね、猫が喋った!?」


 呆気に取られ、言葉を失ったボクの背後で橋崎さんが声を上げる。

 すると猫はぴょいっとボクの頭の上に乗ってきた。


「ふむ、猫か。確かにこの身体はそうに見えなくもないだろうが、実際には猫でも犬でも、そもそも生き物ですらない。ただの精霊だよ。ま、好きに呼んでくれ」


 黒猫は得意げに、図々しくボクの頭の上で毛づくろいをしている。

 頭の上にフケがパラパラ落ちてくるものだから下ろそうとしても、彼はなかなかボクの頭の上から離れてくれなかった。

 

「――そして十数年前に此処で命を絶った、この車の持ち主さ」


 不意に毛づくろいが終わると、彼は寂しげに言い放った。

 車体の上に飛び移って、ボクたちのことを見入る。


 彼との間に静かな空気が流れた。


「お前らは命を絶つために、この辺境の地にやってきたのだろう? つまりどうせは潰える命なのだから、最期に俺の頼み事を聞くぐらい、どうってこともないよな」

「頼みごと?」


 ボクは聞き返す。


「ああ。俺の代わりに、遺書を書いてくれ」

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