第9話

「…え?」

なんの冗談だよ、そう笑い飛ばしたいのに。彼女の目は真剣で冗談を言っているように見えなかった。


「だから、君は誰って訊いてるの。」

彼女は、なにをいっているんだ?


「私が好きになった勇気は、あなたみたいに優しい人じゃない。」

彼女の一言一言が重く、僕の心にのしかかる。


「思い出して。私たちの記憶」

彼女は、静かに語る。僕の知らない物語を…。


今日、私は海に来ていた。


『希望!今日こそ彼氏ゲットするよー!』

未来は自慢の黒髪を揺らしながらこちらを振り向く。


『別に、そういうのは興味ないから…。』

未来は恋に恋しているんだろう。

未来は可愛いからすぐに彼氏とかできるに決まってるのに。


『ヤッホー!一郎くん。そっちが勇気くん?』

すぐに未来は男の子たちのところへ駆けていく。


『こ、こんにちは…。』

もう、早く帰りたいのに。


『初めまして。勇気です。よろしくね。』

黒髪の、爽やかな雰囲気の青年だ。笑顔をこちらに向けてくる。


『え、勇気くんカッコよ…。タイプすぎー!』

未来は彼にゾッコンなようだった。


…でも、あの笑顔は私も好き。だって、目が笑ってないもん。


あの後、未来は勇気君にアタックしてつきあうところつきあうところまで持って行ったらしい。流石だな、あの子は。


でも、私も勇気君が気になる。彼をもっと知りたい。


以前、大学の食堂で彼を見た。


『あいかわらず、勇気はよく食うよな。』

『うるさいな、一郎は…。俺はお前と違って二人分、頭を使ってるんだよ。』


いつも、彼はよく食べるから目立っていた。

最初は、目立ってるから彼を見ていた。でも、ある日気づいた。


『彼の目は暖かい時と、冷たい時があるな。』

なんだか、その冷たい目が好きだった。…ずっと、見ていたかった。



『勇気と、今度水族館行くんだー♪』

勇気くんと付き合い始めてから、未来はよく笑うようになった。


『そうなんだ。いつ?』

『えっとねー…。』

未来はご丁寧に待ち合わせ場所や、時間まで教えてくれる。ほんと、バカ。


…私も、いくよ?


勇気くんのことをもっと知りたい。もっともっともっと。

家に着いて行った。デートを尾行した。こっそり、電話番号を調べた。


『好きだから、普通、だよね?』

私のものなればいいのに。


…未来なんて、いなくなればいいのに。



「ちょ、ちょっと待てよ。」

慌てて彼女の言葉を遮る。


「なに?」

希望はさも不思議そうに僕を見る。


「お前、歪んでるよ。おかしいよ。」

なんだか、笑いが込み上げてくる。


…ストーカー


僕が恋した希望は僕のストーカーだった。


『勇気には私がついてるからさ。今も、昔も。』

【着信拒否 希望】

筆箱に入っていた盗聴器


思い出される過去の記憶。全部、全部、物語っていた。

僕に伝えようとしていた。


「歪んでる?」

キョトンとする彼女。その後、突然笑い出す。


…まるで、子供が新しいおもちゃを見つけたかのように。


「とっくに歪んでるのは、あなたでしょ?」

嬉しそうに、言葉を紡ぐ。


「盗聴器まで隠して?希望より歪んでるなんて、そんなわけないじゃないか!」

僕は、普通だ。なぜ、僕を歪んでると言うんだ?


「盗聴器?」

希望は訳がわからないと言うふうに、首を傾げる。


「希望だろ!盗聴器を筆箱に仕込んでいたのは!」

言葉が、強くなってしまう。


「そんなの、知らないけど?」


…は?


「私じゃない。」

彼女は僕の目をまっすぐに見て言う。


嘘じゃない。じゃあ、一体誰が?


「そんなことよりさ。まだ、記憶は戻らない?」

希望は、僕の手を取り、尋ねる。


「さっぱりだよ。何が起こってるんだか、何を信じればいいのか、もうわからない。」


そう、と希望はつぶやくと


「こっち。連れていかなきゃいけないところがある。」

そう言って、僕の手を引く。


着いた場所は、僕が記憶喪失になった、あの崖だった。

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